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雅羅倶多館

1960~80年代のテレビドラマや映画を中心にあらすじや感想を書いています。

浦辺粂子はいつまで大映の専属だったか

浦辺粂子は各社の映画に出演していたため大映の女優と言うイメージが薄いが、大映の創立以来ずっと専属だった。 なので他社作品に出演した時には必ずクレジットの横に「(大映)」と付いていた。
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キネマ旬報社の『日本映画俳優全集・女優編』では、1971年の大映倒産まで所属していたように書かれている。だが実際は64年頃に専属を離れてフリーになったのではないかと思う。64年1月公開の東宝映画「乱れる」に出演した時はクレジットに付いていた「大映」の括弧書きが、同年10月公開の松竹映画「にっぽんぱらだいす」への出演時にはなかったからである。
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65年10月公開の松竹映画「恐山の女」のクレジットでも、川崎敬三には「大映」の括弧書きがあるのだが浦辺粂子にはない。
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つまり当時の浦辺粂子は既に大映専属ではなかったのである。

大映への出演が64年2月公開の「芸者学校」の後は69年7月の「あゝ海軍」まで途絶えていることに鑑みても、64年の初めに退社していたと考えるのが自然だろう。

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大映の黒須兄弟

1950年代後半の大映の若手俳優に黒須光彦と言うのがいる。たいていは主に学生役で主役のまわりをうろちょろしている程度の端役だが眉毛に特徴があるので印象に残りやすい顔だ。
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46年の「お嬢様お手を」から出ているし、更に遡ると41年の大都映画「大空の遺書」にも名前があるので子役としての芸歴がかなり古かったことになる。
ついでに「氷柱の美女」のキャストを眺めていたら小林少年役が黒須幹彦と言う名前だったことに気が付いた。幹彦と光彦、ミキヒコとミツヒコで、漢字でも読みでも1字違いだし、 眉毛がちょっと違う気がするが面差しはそっくりだ。
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なのでてっきり同一人物かと思ったが、 その3年前の1947年「夜行列車の女」には幹彦と光彦が揃って兄弟役で出演しているのだ。と言うことは実際でも兄弟の子役だったようだ(幹彦が兄で光彦が弟か)。 幹彦の出演作はほかにも同じ47年の「看護婦の日記」や50年の「蜘蛛の街」など数本あるらしいので、弟(?)の後を追ってこちらも子役として活動していたと思われる。
幹彦は子役のまま辞めてしまったのだろうが、光彦のほうはそのまま大映に入り、60年の「暁の翼」あたりまで出演データがあるがその後は途絶えている。光彦と同時期に活動していた他の若手もこの頃から徐々に消えてゆき、代わって仲村隆や森矢雄二など60年代仕様の若手が主役のまわりを固めることになるのだ。

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大映俳優探査録

http://tvmovie.web.fc2.com/daiei/daieihaiyu.html
「大映俳優名鑑」収録700人(組)台に到達。
10年前からこそこそ作り始めてここまで来たが、これでも多分まだ半分にも達しないんだろうな。有名な俳優ばかりならいいが「日本映画俳優全集」にも載っていない無名の脇役俳優を特定するのは難しい。複数の作品を見比べて配役クレジットと睨めっこしながら一人一人顔と名前を一致させねばならないから骨の折れる作業である。クレジットもされない端役の場合はもうお手上げ。
今気になっているのは「透明人間と蝿男」と「青空娘」に出ている背の高い俳優である。
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田宮二郎にちょっと似ているが勿論別人。だがノンクレジットなので名前がわからない。
逆に同一人物かどうかで判断に困っているのが直木明と南弘二。
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左が直木明、右が南弘二。特徴のある眉毛がそっくりである。 キネ旬のデータベースによると直木明は55年まで柔道物などに出演したが56年だけ出演データがなく、57年からまたデータが始まっている。 一方の南弘二は直木明の空白期間である56年にしか出演データがないので、直木明が一時改名していた疑いが濃い。だが確証が持てないので今のところ棚上げにしている。
似たケースで藤江津子と十和田翠にも確証がなかったがこちらは同一俳優の改名で間違いなさそうだ。
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藤江津子
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十和田翠
藤江津子は1961年から63年7月頃まで出演データがあり、オムニバス映画「性生活の知恵」で普通の主婦を演じたこともあるが、たいていはホステスなどの水商売系の端役だった。十和田翠は63年末から65年2月まで、やはり水商売系ながらストーリーに絡む悪女役で存在感を発揮した。グラマー女優として雑誌グラビアを飾ったこともあるのだが、その記事で本名が須藤悦子と判明したので、須藤悦子が本名から須を取って(佐藤幸子の藤由紀子と同じパターン)藤江津子に改名にしたのがわかったのだ。 ちなみに出演データが65年2月で途切れているのは、その直後に飲酒が原因による入浴事故で亡くなったからである。折角改名心機一転して活躍し始めた矢先の出来事で、大映の俳優さんにはどうも不幸な人が多いようだ。

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大映テレビ室のドラマ その7

大映テレビ室は「ザ・ガードマン」や「おくさまは18歳」と並行して昼帯ドラマも制作していた。
民放各局は1962年頃から平日の主に12時~13時の時間帯で主婦層を対象にしたテレビドラマを放映し始めたのだが、その制作を請け負ったのも多くは夜のドラマと同様に映画会社のテレビ部門や独立プロダクションだった。大映テレビ室も当然ながらその一翼を担うことになる。
最初に手掛けた昼ドラは日本テレビの番組だった。60年代の日テレでは13時台に15分から30分物の連続ドラマを2本ないし3本放映していた。大映テレビ室はその中の1本を63年から日テレが昼ドラ戦線から一時撤退する68年までほぼ途切れることなく10本以上を制作している。タイトルをあげると「いつの日その胸に」(63年)「水の炎」「この酒盃を」「別れて生きる時も」(64年)「娘の縁談」「妻たち」(65年)「女の旅路」(66年)「北上川哀歌」(67年)「母の暦」(68年)などである。
続いて64年にフジテレビで「或る女」「眠れる魚」を作った後、66年からはTBSでも制作を開始し、「うす羽蝶」(66年)「人妻だから」(67年)「川は流れる」(68年)「流氷の女」(69年)「あなたはいない」(70年)「女の河」(71年)などを大映が倒産するまで制作し続けた。
これらの作品は時間帯から視聴者が限られていたし、再放送される機会も少なかったから個別に詳しい内容はわからないが、大部分がメロドラマや女性の半生を描いた内容だったようである。
出演者は大映やフリーの俳優が中心だが、夜のドラマと違って映画の主演級が投入されることは少なく、ヒロインの女優には三条江梨子(魔子)、坪内ミキ子、渚まゆみと言った映画では助演のクラス、相手役の男優は石黒三郎、網中一郎、平泉征(成)など無名の若手も多かった。ちなみに平泉は日テレの「愛の歌」(67年)でヒロイン西尾三枝子の相手役を演じるとともに、主題歌も歌っている。
なお昼ドラは大映倒産後も独立した大映テレビによって制作が続けられている。この頃はフジテレビの「ライオン奥様劇場」の制作が主で、中でも市毛良枝と初井言榮による「私は泣かない」(77年)などの嫁姑シリーズが人気を呼んだ。シリーズを担当した大映テレビのプロデューサー、柳田博美は後に土曜ワイド劇場で最大のヒット作「家政婦は見た!」を企画・制作することになる。

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大映テレビ室のドラマ その6

60年代後半の大映テレビ室はTBSに次いで日本テレビでの制作が多い。先の「母の曲」「新雪」「氷壁」もそうだが、「夜の主役」「君は海を見たか」「ひかりの中の海」そして「火曜日の女シリーズ」である。
「夜の主役」(1968年7月30日~1969年1月21日)は前番組の「一匹狼(ローンウルフ)」に続き天知茂が主演した(ただし「一匹狼」は東映の制作である)。殺人の汚名を着せられた元弁護士が悪の正体に迫るサスペンス物で、共演者の佐藤慶、藤岡琢也、清水将夫、北林早苗たちに大映色は薄い。天知は新東宝倒産後、大映と契約を結ぶ一方で個人プロダクションを設立してテレビに進出していたが、大映テレビ室の連続ドラマに主演するのはこれが初めてだった。長いこと再放送もなかったようだが昨年DVD化されたので、このあたりの作品は他にも現存している可能性が高い。
「君は海を見たか」(1970年8月31日~10月19日)は倉本聰のオリジナル脚本による難病物で、平幹二朗、山本善朗、姿美千子、野際陽子らが出演。翌年に大映で映画化もされている。以前は映画のヒット作をテレビ化したのだが、逆に今度はヒットしたテレビドラマを映画化するようになったのである。だたしテレビと同じでは沽券にかかわると思ったのか、子役の山本以外は配役を変えている。
「ひかりの中の海」(1971年4月26日~7月12日)も倉本聰の作・脚本によるもので、船越英二、白川由美、山本亘、八代順子、嵐寛寿郎、紀比呂子らが出演している。「家族から疎外される老人をテーマに、老いた義父を自殺で失った男の老後の苦悩を描く」と言うことなのだが、この顔ぶれだと疎外される老人役は嵐寛寿郎なのだろうか?
「火曜日の女シリーズ」は初の本格的な連続推理・サスペンスドラマと言われる。大映のほかに東宝、日活、松竹、国際放映などの各社が作品ごとに制作を担当し、シリーズの日テレのプロデューサーだった小坂敬はここで得たノウハウを後に「火曜サスペンス劇場」で生かしたと言う。
ちなみに大映は東京12チャンネル(現テレビ東京)でも江波杏子主演の柔道物「女三四郎」(1970年10月3日~12月26日)やその姉妹編的な安田道代の「命を賭けます」(1971年1月2日~3月27日)を作っているが、NET(現テレビ朝日)では当時系列局だった大阪のMBSで「千姫」を制作したのみで、NET本体ではゼロだった。これはNETがライバル東映の傘下にあったせいや教育局だったことも影響しているのだろう。後に大映テレビが独立し、NETも総合局のテレビ朝日に改組してからは「土曜ワイド劇場」の中でヒット作を連発した。

関連タグ: 大映 大映テレビ 天知茂

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