大映俳優列伝(45)星ひかる

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昭和のガメラシリーズ全てを手がけた監督は湯浅憲明である。だが唯一「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年)だけは特撮監督専任に回り、本編の監督は田中重雄が務めている。その「ガメラ対バルゴン」であわじ丸船長を演じた星ひかるは湯浅の実の父親であると言う。
まるでアイドルか宝塚歌劇のような名前だが本名は湯沢明(旧姓・内藤)である。息子と姓が違う理由はわからない。ちなみに星も「透明人間現わる」(49年)でのみ何故か湯浅豪啓の名で出演している。
母親は初期の帝劇の女優で「朱と緑」(37年、松竹)などに映画出演歴もある東日出子。つまり母が「日出」、息子が「星」と言うわけで、何だか駄洒落のような名前なのである。
1924年(大正13年)、松竹蒲田撮影所へ入社し、25年「恋の選手」に星光名義でデビュー。喜劇俳優として活躍する。30年(昭和5年)、星ひかるに改名。31年「公認駈落商売」で主演したのちに退社し、河合映画社に入社。田中重雄の監督第1作「たぬきと精神病患者」などに主演した。「裏町天国」では監督・原作・脚本・主演の4役を務めている。
32年、日活太秦撮影所へ入社。34年、日活多摩川に移り、35年以降は脇役に回る。42年、統合によって大映に所属。
戦後は松竹、東横映画などに出演したのち、51年から大映東京撮影所専属となる。以後「馬喰一代」(51年)「幻の馬」(56年)「巨人と玩具」(58年)「浮草」(59年)など120本以上出演した。71年の倒産まで在籍していたようだが、出演は69年の「女賭博師さいころ化粧」が最後で、それ以降の活動記録はない。
なお息子の湯浅憲明は1957年に入社し助監督を経て64年に監督へ昇進しているが、親子ではやりにくかったのか、湯浅の監督作品には出演していない。

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大映俳優列伝(44)蛍雪太朗

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「蛍雪太朗」と聞いてまず10人中10人が連想するのは似た芸名の俳優「螢雪次朗」だろう。蛍雪太朗は昭和の「ガメラシリーズ」、螢雪次朗も平成の「ガメラシリーズ」に出演しているため混同されることがあるが、無論別人である。
ウィキペディアによれば、雪太朗は雪次朗の「師匠」にあたると言う。だが一介の大部屋俳優にすぎなかった蛍雪太朗に何故「弟子」がいるのか、よくわからない。そもそも1971年に倒産した大映の雪太朗と、80年代から映画出演歴が始まっている雪次朗とは、どこで接点があったのだろうか。
その疑問は後で解くとして、取り敢えず蛍雪太朗の経歴を辿ってみたい。
と言ってもプロフィールは全く不明である。「蛍雪太朗」と言うインパクト大な名前は勿論芸名だろうが、由来も謎である。新人に変な芸名を付ける趣味があった永田親子にしても、ちょっと奇を衒い過ぎている気がする。
ともあれ出演クレジットに載ったのは63年7月公開の「温泉女中」あたりが最初なので、62年頃には大映東京撮影所に入社したのであろう。ちなみにその頃入社したニューフェイスは倉石功や青山良彦である。
以後大映倒産まで在籍していたと思われるが、出演作の大部分は端役である。脇役として目立つ役は丸井太郎とのコンビで本郷功次郎の部下を演じた「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)や江波杏子のお供で旅をする「女賭博師尼寺開帳」(68年)など、僅かであろう。ほかには「兵隊やくざ」(65年)、犬シリーズの「ごろつき犬」(65年)「鉄砲犬」(66年)「早射ち犬」(67年)、「与太郎戦記」(69年)などに出演している。
大映倒産後はテレビドラマに転向した様子はなく、映画も75年に「鬼の詩」と言うATG作品に出演したのみである。監督が大映出身の村野鐡太郎だった縁で呼ばれたらしく、ほかにも大映OBの早川雄三や伊達三郎が出演している。
…と言う訳で、書くことにも困るほど目立たない俳優だったのである。
では先ほどの疑問、螢雪次朗とはどこで師弟関係を結んだのか?
実は雪太朗の最後の出演作「鬼の詩」に雪次朗も出演していたのである。
螢雪次朗の本名は「渡辺潔」と言う。70年に高校を卒業後、劇団「アンサンブル」に入るが25歳(74年)で退団。『日本映画人名事典』によれば、その後しばらくいくつかの映画に端役で出演していたそうで、そのひとつが「鬼の詩」だったのである。調べてみると、なるほど確かに「鬼の詩」出演者の中に「渡辺潔」の名もあった。雪次朗が大映映画に出演した形跡はないので、雪太朗との接点はこの映画しか考えられないのである。
つまり「師弟関係」と言うのは、撮影で親しくなった縁で芸名を貰ったことを指すのだろう。まあ、実際のところは本人に聞かなければわからないが。
ちなみに大映時代の芸名表記は「蛍」雪太朗だったが「鬼の詩」では「螢」雪太朗になっている。「弟子」が「螢」雪次朗なのもそのためだろう。

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大映俳優列伝(43)三夏伸(三夏紳)

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「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年)では藤山浩二がバルゴンに食べられてしまうシーンがあったが、次の「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)では三夏伸がギャオスの餌食になっている。
1941年(昭和16年)生まれ。日大芸術学部卒。在学中の61年に第15期ニューフェイスとして大映東京撮影所に入所している。同期には京都のフレッシュフェイスから転じた石黒三郎、澄川仁恵(葵三津子)、歌手の広瀬みさらがいた。
一部のプロフィールでは何故か66年の「陸軍中野学校」がデビュー作になっていることがあるが、実際に三夏伸の名がクレジットされ始めたのは62年の「雪の降る街に」あたりからである。三夏と言う姓は珍しいが、本名なのか芸名なのかプロフィールには書いていない。だが俳優でもある息子の姓が山田(哲也)なので、こちらが本名だろう。
最初の数年間は「剣」(64年)の剣道部員、「あゝ零戦」(65年)の飛行整備員、「犬シリーズ」のチンピラなど大半が端役であった。漸く貰った初めての大役が「陸軍中野学校」なのである。
シリーズ化された2作目以降と違って、この1作目は主演の市川雷蔵だけでなく中野学校生全体の青春群像劇になっている。この中で三夏はバーのホステスに入れあげて軍刀を盗み出して売却しようとした責任を追及されて自殺に追い込まれる中野学校生・手塚を演じたのである。
その後は「女賭博師シリーズ」「与太郎戦記シリーズ」などに出演。「ガメラシリーズ」の常連でもあり5本出演しているが、印象に残っているのはやはり冒頭で記したように「ガメラ対ギャオス」の新聞カメラマン役である。英一少年を置き去りにして自分ひとり助かろうとしたために却ってギャオスの餌食になってしまい、昭和のちびっ子たちに「因果応報」と言うことを身をもって教えている。
大映倒産後はテレビで悪役が主になり、77年の「快傑ズバット」第8話(東京12チャンネル)では座頭市を模した地獄市なる仕込み杖の用心棒を演じている。ちなみにどの作品か不明だが「座頭市」で勝新太郎の吹き替えをしたこともあると言う。
90年代以降の出演作では下の芸名を「伸」から「紳」に変えている。また大映テレビ室出身の監督の松生秀二と「三松座」と言う劇団を結成し公演や俳優養成も行っている。
尤も大映後のことは今回調べるまで知らなかったし、率直に言って世間一般的な知名度はあまり高くないだろう。
そんな三夏が突如マスコミに登場したのは2007年、「おふくろさん騒動」の時である。歌手の森進一が「おふくろさん」の歌詞を無断で改変したことに激怒した作詞家の川内康範が森に「歌唱禁止」を喰らわせた、例の騒動だ。そのさ中、67年に川内が作詞し勝新太郎が歌った「座頭市」(作曲曽根幸明)のリメイク・バージョンを三夏が唄うことになったのである。
レコーディングに立ち会った川内は三夏の手を握りながら「〝座頭市〟を歌える歌手はいないと思っていたが、やっと現れた」と感無量の様子で、"森との違い"を強調してみせた。かくして「新座頭市」が三夏の歌唱で発売され、CDジャケットには晩年の勝新そっくりの風貌で写っている。
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大映俳優列伝(42)藤山浩二

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前回の守田学同様に藤山浩二も80年代まで活動していたにも関わらず79年の『日本映画俳優全集』に収録されていない。
1929年(昭和4年)生まれ。大映入りの経緯は不明だが、映画データベース上で確認できる出演記録は57年3月の「女の肌」が最古である。その頃の芸名は藤山浩一だった。当時27歳なのでこれが最初の出演だったとすると随分遅いデビューである。
以後10年余りで100本近い作品に出演している。「巨人と玩具」(58年)では主役の川口浩とは親友でライバル関係にある宣伝部員を演じ準主役級で出演したこともある。
60年の「轢き逃げ族」から藤山浩二に改名しているが、理由は不明である。「続悪名」(61年)では勝新太郎の朝吉と縄張りを争う新世界のカポネ役を演じている。見るからに悪役向きの面構えで時代劇・現代劇をまたにかけて出演し、田宮二郎の「犬」シリーズではギャング役で常連だった。
ガメラシリーズにも4本出演し、中でも「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(66年)で演じた血も涙もない極悪人・小野寺は強烈である。尤もこの印象が強いのでいつも悪役だったように思いがちだが、ほかの3本ではむしろ善人役なのである。「大怪獣ガメラ」(65年)では俊夫少年を救うコンビナート主任、「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」(68年)では自衛隊司令官、そして最後の「ガメラ対深海怪獣ジグラ」(71年)ではヘレンちゃんの優しいパパ、しかも外国人の役だった。長崎の出身なので本人もよく外国の血が入っていると言って笑っていたそうだが本当かどうかはわからない。
68年末頃におそらくフリーになったのだろう、以後大映にはその「ガメラ対ジグラ」を含め倒産までに4本しか出演していない。69年からは東映が主舞台となり、高倉健の「網走番外地シリーズ」や「昭和残侠伝シリーズ」など50本前後のやくざ映画に出演している。
テレビでも悪役を演じ「キイハンター」(TBS)「大江戸捜査網」(東京12チャンネル)などに出演。特に「プレイガール」(東京12チャンネル)にはセミレギュラーの如く頻繁にゲスト出演している。
1983年1月の「右門捕物帖」9話(日本テレビ)を最後に出演記録はなく、以後の消息は分からない。

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大映俳優列伝(41)守田学

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1995年刊行の『日本映画人名事典』(キネマ旬報社)には映画に1、2本しか出ていないようなテレビタレントが収録されている一方で、個人的には載っていて当然と思う1950~60年代の脇役映画俳優の多くが漏れている。これは同書の原版となった79年刊行の『日本映画俳優全集』でも同様で、守田学は当時まだ現役だったにもかかわらず載っていない。
キネ旬データベースに載っている出演記録は1953年(昭和28年)12月の「にっぽん製」が最初である。だが、それより4年前の49年7月に公開された「虹男」でも既に出演クレジットされているので、48年か49年頃には大映東京撮影所に入社していたものと思われる。当初は殆どが端役で、役柄も新聞記者とか刑事とか善人側が多かった。「地上」(58年)では工場労働者の指導者役を演じている。
しかし62年、座頭市シリーズの第1作「座頭市物語」に飯岡の乾分・清助役で出演した頃からは京都撮影所で時代劇の悪役を演じることが多くなっている。窪んだ小さい目を鋭く光らせ、やくざの代貸や憲兵など冷酷非情な役柄がはまり役であった。その一方「眠狂四郎炎情剣」(65年)では無辜の罪で役人に追われる男を演じるなど役柄の幅は意外と広かったようである。
69年の「天狗党」出演を最後に大映を離れたらしく、70年からは芸名を守田学哉に改めて東映の「新仁義なき戦い」(74年)や若山富三郎主演の「極悪坊主」シリーズ(70年)などに出演している。
テレビドラマにも「遠山の金さん」(NET)「銭形平次」(フジテレビ)など時代劇を中心に80年代半ばまで出演していたが、85年2月22日放送の「ザ・ハングマン4」第21話を最後に出演記録が途絶えている。

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