大映俳優列伝(57)高野通子

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大映は時代劇、文芸物、サスペンス物、特撮物まで網羅するジャンルの幅広い会社だったが、一方で全くダメだったのが喜劇である。そして喜劇ほどではないが、青春映画もあまり得意なジャンルではないだろう。倉石功によれば、「青春物に重きを置いていなかった永田雅一社長の鶴の一声」で中止になってしまった作品もあると言う。そのため大映から青春スターは生まれ難かったようである。
劇団若草から大映入りした高野通子も青春映画でヒロインを演じたもののぱっとしないまま消えてしまった。
若草在籍中の57年5月に日活映画「倖せは俺等のねがい」で映画初出演。俳優・宇野重吉の第三回監督作品で、フランキー堺と左幸子の新婚夫婦の許に親のいない4兄弟が転がり込んでくる話である。その4兄弟に若草の子役が扮し、高野通子は長女を演じた。
大映には同年の「地上」で舞妓役、「十七才の断崖」に叶順子の妹役で出演。59年2月の松竹映画「吹雪と共に消えゆきぬ」を経て3月の「情炎」以降は大映専属となる。ただ61年頃までは出演クレジットに「劇団・若草」のカッコ書きがついていることがあるので、いつ正式に大映入りしたのかは不明である。
60年、田中絹代監督の「流転の王妃」では"天城山心中"の愛新覚羅慧生(劇中では英生)を演じているが、何故か各種映画データベースには名前が載っていない。
61年に歌謡曲をモチーフにした「北上夜曲 北上川の初恋」で六本木真とともに初主演する。次いで「命みじかし恋せよ乙女」にも六本木真とのコンビで主演。未見だが、あらすじを読む限りどちらも古色蒼然とした悲恋物だったようである。
同年暮れに公開された「新 源氏物語」では紫の上役に抜擢されている。「源氏物語」は51年にも長谷川一夫の光源氏で映画化されているが、今度は市川雷蔵主演で再映画化したものだ。尤も今回は川口松太郎の現代語訳が原作だが、10年前に紫の上を演じたのは乙羽信子だったのだから、スター候補生としてそれなりに期待されていたのだろう。
その後も「若い奴らの階段」(61年)「すてきな16才」「かっこいい若者たち」(62年)「若い樹々」(63年)などの青春映画に出演している。だが、姿美千子や高田美和の台頭で脇役に回ることが多くなっている。「高校三年生」(63年)では黒縁メガネの地味な三枚目役だった。
映画出演はそれが最後で、以後はテレビに転じ「太閤記」(NHK)「特別機動捜査隊」(NET)「銭形平次」(フジテレビ)「大奥」(フジテレビ)などにゲスト出演している。71年以降は出演記録がない。

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大映俳優列伝(56)苅田とよみ

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野球繋がりで今回は苅田とよみである。
何故野球に関係があるのかと言うと、父親が苅田久徳だからである。
苅田久徳はプロ野球創成期の名選手である。1934年(昭和9年)の大日本東京野球倶楽部(読売ジャイアンツの前身)設立に参加し、澤村栄治がベーブ・ルースやルー・ゲーリックを相手に好投したことで知られる日米対抗戦に出場した。翌35年2月から7月までのアメリカ遠征にも参加し、娘のとよみは、その遠征から帰国する2週間前に生まれている。以後 東京セネターズ、東急フライヤーズなどで51年までプレーして初代盗塁王や最高殊勲選手を獲得し、兼任監督も務めた。69年野球殿堂入り。
とよみが映画界入りした経緯はわからないが、おそらく球界に顔が広かった永田雅一大映社長との直接の縁ではないかと思う。
56年、「宇宙人東京に現わる」でデビュー。高度な科学力を持つ友好的宇宙人パイラ人が地球の危機を救うために来訪する内容の日本初の特撮カラー映画である。川崎敬三、見明凡太朗、山形勲らが出演し、苅田ともみは人気スター歌手・青空ひかりと、彼女をモデルにパイラ人が人間に変身した姿の天野銀子の2役を演じている。東京撮影所所長だった永田秀雅によれば、パイラ人から銀子に変身するシーンの特撮には丸1日を擁し、とよみはこの日だけで3キロ近く痩せたと言う。演技は硬いが、エキゾチックな美貌が異星人らしさを醸し出していた。
印象が残るのはこれ1作だが、それで辞めたわけではない。大映と正式に契約し専属女優になっているのだ。出演作は「宇宙人東京に現わる」を含めて11本だが、そのうちの「スタジオは大騒ぎ」と「スタジオはてんやわんや」は大映のプロモーションビデオのようなものなので、実質は9本である。
「東京犯罪地図」(56年)では川崎敬三の恋人役、「狙われた土曜日」(57年)ではヒロインを演じたがそれ以外は脇役に回っている。58年、「猫は知っていた」を最後に退社し、そのまま女優を引退した。なお、永田がオーナーの大毎オリオンズでコーチをしていた父親の久徳もこの年限りで退団している。

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大映俳優列伝(55)橋本力


大映のほかにプロ野球団を所有していた映画会社は東映(東映フライヤーズ)と松竹(松竹ロビンス)である。尤も松竹は大映への対抗心で球団を持っただけなのであまり熱意がなく、初代のセ・リーグ優勝球団になったのに4年で撤退している。
一方、大映の永田雅一は采配にまで介入するほどの野球好きである。同じく野球の好きな東映社長の大川博とは犬猿の中で、フライヤーズの投手から東映の俳優に転向した八名信夫によると、映画五社の社員による草野球大会の際には、大川から「絶対に大映に勝て」と厳命の電話が掛かって来たと言う。
その八名と同じように、オリオンズの選手から大映の俳優になったのが橋本力である。
名前を聞いて、顔を見てもわからないかもしれないが、「大魔神」と言えば、知らぬ者はおるまい。その中の人(スーツアクター)だったのが橋本である。
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1933年(昭和8年)生まれ。函館西高校在学中に野球部員として甲子園大会に春夏連続出場を果たし、53年に毎日オリオンズ(58年から大毎オリオンズ)へ入団。1年目から一軍に出場し、5年目の57年には119試合に出場して外野手のレギュラーを獲得している。
だが59年、怪我で二軍落ちする。この際に、「一刀斎は背番号6」にアドバイザー兼選手役で出演している。と言ってもどこに出ているのか確認できないノンクレジットの端役だが、撮影でダイビングキャッチを演じた際に鎖骨を折ってしまう。これが原因でオフに自由契約となり現役を引退するが、気の毒に思った大映本社の意向で俳優に転身。同期には伊丹一三(十三)や村上不二夫がいた。
なお公式プロフィールには「大映京都撮影所の専属俳優」と書いてあるが、入社当時の所属は東京撮影所であろう。初クレジット作はたぶん同年4月公開の「勝利と敗北」だと思うが、その前に3月の「からっ風野郎」で既に愚連隊の一人としてノンクレジットで顔を出している。
以後クレジット作だけで100本近く出演しているが、俳優としては素人で、台詞廻しもうまくないので殆どが端役である。コワモテでガタイがいいので、やくざや酒場の用心棒、刑事の役が多い。格闘シーンも多く、「黒の超特急」(64年)では田宮二郎をボコボコにするやくざ、逆に「悪名市場」(63年)「兵隊やくざ」(65年)では勝新太郎にボコボコにされている(ウィキペディアには「『悪名市場』で、バーテンの役で田宮二郎に殴られる出番があり」と書いてあるが、本編にそういうシーンはない)。
そんな橋本に初めての"主役"が巡って来たのが、66年の「大魔神」三部作である。体力と目の迫力を買われて大魔神役に抜擢され、1度も瞬きをしない目の演技で昭和のちびっこ(死語)を震え上がらせた。68年の「妖怪大戦争」でもダイモンのスーツアクターを演じている。
ちなみにガメラシリーズにも第4作「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」(68年)に出演している。こちらはスーツアクターではなく、役名は「医者風の男」(となっているが、要するにバイラス人の人間体の一人)である。
大映倒産後は勝プロに所属。72年には香港映画「ドラゴン怒りの鉄拳」に出演し、敵役としてブルース・リーと共演している。
85年、永田雅一の死去をきっかけに俳優を引退するが、近年も大魔神やブルース・リー関係のイベントやインタビューに顔を見せていて健在のようである。

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大映俳優列伝(54)宮川和子

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前回で取り上げた「一刀斎は背番号6」(1959年)には宮川和子がキャバレーのダンサーの役でワンシーン出演している。
『日本映画人名事典』の記述では39年(昭和14年)生まれなのだが、ウィキペディアでは37年になっている。いずれにせよ松竹音楽舞踊学校に在学中の57年に大映の「踊子」にダンサー役の一人で出演したことがきっかけで大映に入社し、同年「透明人間と蠅男」の婦警役でデビューしている。当初の芸名は三宅川和子だったが60年の「好き好き好き」から、宮川和子となっている。
「好き好き好き」は叶順子、野添ひとみとのトリオが川口浩を巡って争う恋愛コメディである。タイトルはフランク永井の同名流行歌に由来し、本編のタイトルクレジット上も単に「好き好き好き」なのだが、プログラムやポスターでは何故か「セクシーサイン 好き好き好き」になっていて各種の文献でもそちらが正式タイトルのように扱われていることが多い。
続く「嫌い嫌い嫌い」では野添が抜けて叶順子と宮川が金田一敦子の花婿選びに絡む話である。ちなみに伊丹十三(当時は一三)のデビュー作で、ポスターには「新スタア」のカッコ書きがある。61年の「投資令嬢」 では再び叶順子・野添ひとみとのトリオで出演している。
一方で弓恵子、仁木多鶴子ともトリオを掛け持ち(?)で「お嬢さん三度笠」「東海道ちゃっきり娘」「銀座のどら猫」(60年)等に主演した。後に脇役に回るが、ひとくせのあるOLや水商売系の役が多かった。63年の「黒の札束」では、後述する高松英郎の内妻役である。
64年「アスファルト・ガール」を最後に大映を退社してフリーとなり、「特別機動捜査隊」(NET)などのドラマにゲスト出演。変わり種では「ウルトラセブン」第41話(69年、TBS)にも出演している。71年「可愛い悪女」(日活)を最後に女優を辞めたようである。
80年刊の『日本映画俳優全集』には、その後は「赤坂でクラブを経営するかたわら高松英郎のマネージャーをしている」と書いてあったのだが、96年の『日本映画人名事典』にはこの部分がない。
その代り近年現れたのが、「高松と結婚した」という情報である。
元大映社員中島氏のブログやウィキペディアにそう書いてあるのだ。
だがウィキの高松の記事中にもあるように、高松は62年に別の女性と結婚したはずだし、再婚したと言う公の情報はない。中島氏にメールで尋ねたところ、情報源は確かなようだったが、もう少し事情がわからないと何とも言えないように思う。

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大映俳優列伝(53)仁木多鶴子


大映はプロ野球チームを所有していた。最初は大映スターズだったが、1957年(昭和32年)開幕前に高橋ユニオンズと合併して大映ユニオンズ、更に同年11月には毎日オリオンズと合併して大毎オリオンズとなり、オーナーは引き続き大映の永田雅一が務めた。当時毎日側の選手だった須藤豊(後に大洋監督)によれば、帝国ホテルで行われた大毎の結団式には永田が山本富士子や市川雷蔵ら「スクリーンでしか見たことがない」映画スターを引き連れて現れ、選手たちを驚かせた。オフの日には調布の大映撮影所に行って女優さんとおしゃべりするのが楽しみだったと言う。言わば映画俳優とプロ野球選手が系列会社の社員同士だったわけだ。その大毎オリオンズの選手と"社内結婚"したのが、仁木多鶴子である。
39年生まれ。父親はジャズトロンボーン奏者で、その影響か国立音楽大付属中学、同高校を経て国立音楽大ピアノ科に進む。化粧品のPR雑誌に写真が載ったことをきっかけに中退し、57年に大映第11期ニューフェイスとして入社。同期には藤巻潤や丸井太郎がいた。東京撮影所所長だった永田秀雅(雅一の息子)によれば、新人の頃から撮影所内では若尾文子に似ていると評判だったらしい。
同年12月、本名の鶴田和子で「十七才の断崖」に出演しデビュー。58年、仁木悦子の江戸川乱歩賞受賞ミステリー原作の「猫は知っていた」に主演し、原作者に因んで仁木多鶴子に改名している。
59年にはメロドラマの「たそがれの東京タワー」に主演するが、なまじ若尾文子に似ていることが個性を削いでしまったのか、この路線ではスターになれなかったようである。
次に出演したのが野球映画「一刀斎は背番号6」である。原作はジャイアンツが舞台だが映画ではオリオンズに変更され、当時の主力である田宮謙二郎、山内和弘、榎本喜八、荒巻淳、小野正一らオリオンズの選手たちに加え、西鉄ライオンズの稲尾和久らも出演している。仁木多鶴子がオリオンズの選手と共演するシーンはないが、撮影中に顔を合わせる機会は何度もあったのだろう。後の伴侶である小野正一との出会いはこの映画がきっかけとされている。
小野正一と言っても今では殆ど誰も知らないだろうが、当時の大毎のエースで、通算184勝、通算2244奪三振を記録した左腕投手である。
余談だが58年のオープン戦では当時のゴールデンルーキー長嶋茂雄にホームランを打たれているのだが、新聞に「同じ左腕の小野を打ち込んだからには、開幕で対戦する国鉄の金田正一を打ち込んだも同然」などと書かれ、それを読んだ金やんが「同じ"正一"だからって一緒にすんな!」といきり立ったと言う逸話がある。「一刀斎は背番号6」の劇中でも、菅原謙二演じる一刀斎の打撃練習に登板しホームランを打たれる役割である。
話を仁木多鶴子に戻すと、60年には市川雷蔵主演の「濡れ髪喧嘩旅」で妖艶な女間諜に扮し、以後は弓恵子、宮川和子とのトリオで「お嬢さん三度笠」「東海道ちゃっきり娘」「銀座のどら猫」などの明朗映画に主演した。一方、小野もこのシーズンに最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠を獲得する活躍でオリオンズに合併後初のリーグ優勝をもたらした。その年の暮れに2人は結婚したのである。
その後も女優を続けたが徐々に出演が減り、68年の「セックス・チェック 第二の性」を最後にスクリーンを去り、引退した。
83年、44歳の若さで他界した。

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