大魔神死す 橋本力追悼

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大魔神の”中の人”(スーツアクター)だった元大映俳優の橋本力さんが今月11日に亡くなったそうである。83歳。つい2か月前にこのブログで取り上げたばかりだった。
http://garakutakan.blog.fc2.com/blog-entry-733.html
活動歴はそちらに詳しく書いたので、ここでは手持ちのビデオから大映時代の出演シーンの一部をピックアップして追悼に代えたい。

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「悪名市場」(1963年)
役柄はバーテン兼用心棒。客としてやってきた勝新太郎扮する八尾の朝吉に鋭い眼光を飛ばす。この後で勝新と一対一の格闘シーンがある。

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「座頭市血笑旅」(1964年)
座頭市(勝新太郎)を付け狙う5人組の殺し屋のひとり。

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「大魔神怒る」(1966年)
大魔神のスーツアクターを務めるとともに千草の家臣・池長俊平としても出演していた。

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「氷点」(1966年)
犯人役で新聞記事の写真にのみノンクレジットで出演。

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「早射ち犬」(1967年)
天知茂扮するショボクレの同僚刑事。取調室で容疑者を睨みつけ「馬鹿もん!」と一喝。

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「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」(1968年)
バイラス人の人間体のひとり。左から豪健司、夏木章、中原健、橋本力、山根圭一郎。

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「妖怪大戦争」(1968年)
ダイモンの中の人。

・・・ご冥福をお祈り致します。合掌。
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田宮二郎の時代劇

同じ大映にいながら全く接点がなかったのが田宮二郎と市川雷蔵だ。2人は1度も共演していない。雷蔵は京都で時代劇中心、田宮は東京が拠点の現代劇俳優だったせいもあるが、川崎敬三や川口浩は時代劇で雷蔵と共演しているのだから田宮にもできないことはない。一説では二人を共演させないのは社長の永田雅一の方針だったと言うが、大映オールスターが出演する大作映画にも田宮が出なかったため同じプログラムに名前が載ることすらなかった。
そもそも田宮には時代劇への出演歴そのものが殆どなく、生涯でたった3本だけ。時代劇全盛時代の俳優でこれほど時代劇と無縁だった人も珍しい。
その数少ない時代劇出演の最初は「お兄哥さんとお姐さん」(1961年)。「悪名」で名を挙げた直後に再び勝新太郎とのコンビで出演した作品である。とは言え田宮は物語の最初と最後に顔見世的な出演をしているだけだった。八州廻りの侍役だったがあまり様になっているとは言えず、これで時代劇に不向きと判断されたのか大映時代は二度とお呼びがかかることがなかった。
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2本目は12年後、松竹の「必殺仕掛人」映画版(1973年)で針師の梅安役。役柄上、髷姿ではなく坊主頭(と言うよりスポーツ刈りっぽい頭)なのであまり時代劇と言うイメージがしない。松竹は映画版をシリーズ化するが、2作目から梅安役はテレビ版と同じ緒形拳に替わっている。
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3本目にして最後の時代劇出演は引き続き松竹の「宮本武蔵」(1973年)で、高橋英樹演じる武蔵のライバル佐々木小次郎役。 長身なので「物干し竿」と言われる長剣を背負った立ち姿やニヒルな風貌はカッコいいのだが、台詞回しが現代劇口調なのでやはり時代劇向きではない感じがする。
ちなみに「木枯し紋次郎」の原作者笹沢佐保が紋次郎のモデルにしたのは田宮二郎だったが、テレビ化に際しては監督の市川崑の意向で中村敦夫に決まっている。もし田宮が演じていたらその後の運命も違っていたかもしれない。
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川口浩と田宮二郎

川口浩が大映退社前に出演した最後の映画は「秦・始皇帝」(1962年11月)である。前年の「釈迦」に続く70ミリ大型映画第2弾として製作されたこの作品には、主演の勝新太郎を始め市川雷蔵、長谷川一夫、本郷功次郎、川崎敬三、倒産した新東宝から移籍した宇津井健ら大映オールスターが出演している。だが出演していないスターもいる。田宮二郎である。
川口と田宮は同じ年に大映入りし年齢もほぼ同じ(田宮が1つ上)。だがスターとして活躍した時期がずれているため同時代の映画俳優と言う印象が薄い。川口が華々しく主演デビューした1956年に田宮は大映第10期ニューフェイスとして入社。デビュー作は1957年8月公開の「九時間の恐怖」とされているが、実際に初めて名前(当時は本名の柴田吾郎)がクレジットされたのはその前の「満員電車」(1957年5月)であり、主演の川口浩とも初共演している。役柄は川口と同窓の大学生役、卒業式で川口に「どうした?無理すんなよ」と声をかける冒頭シーンだけの出演だった。
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その後も同期の叶順子や石井竜一がいち早く青春スターとして抜擢されていくのに対し、田宮にはなかなか芽の出ない日々続く。58年1月公開の「東京の瞳」(若尾文子主演)で川口と2度目の共演をしているが、6月公開の川口の主演作「巨人と玩具」ではクレジットにも載らないエキストラ扱い。だが芸名を田宮二郎に改めた59年から主演女優の相手役として起用されるようになり、1959年5月公開の「私が選んだ人」では実生活で川口と結婚する野添ひとみの結婚相手を演じている。 何故かこの作品が田宮の初主演作とされていることが多いのだが、ポスターもクレジットも野添に次ぐ二番手だしストーリー上から考えても準主演だろう。初めて田宮の名前がトップに来るのはその次の「代診日記」と言う作品である。とは言えこの作品はSP(ショートピクチャー)と呼ばれる60分余りの添え物映画であり、まだ二軍のスターの域を出ていない。一時は俳優を辞めようと思ったこともあったようだが、61年に勝新扮する主人公朝吉の弟分モートルの貞役を演じた「悪名」が大ヒットし、漸くスターとして認知される。翌62年には田宮の主演作4本に対し川口は1本と逆転。その年限りで川口は芸能界を去り、2人がスターとして並び立つことはなかった。
ちなみに川口は5年後に俳優業に復帰し大映にも1度だけ出演しているが、その時に田宮の姿はなかった。前年に社長の永田と喧嘩して大映を退社していたのだ。やがて田宮がテレビドラマに主軸を移した頃に川口は再び俳優から足を洗ってしまっている。
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大映東京撮影所

大映京都撮影所はなくなったが大映東京撮影所は角川大映スタジオと名を変えて今も調布市の同じ場所にある。だがその規模は遥かに小さくなっている。
「日本映画最盛期の大映東京撮影所時代は、2013年時点の敷地に加え、隣接する調布南高校も、前の道を挟んで駅方向まで占める大規模マンションもなく、京王相模原線の線路の辺りまでずっと撮影所の敷地。撮影所の門は駅前にあったと言います。敷地内には特撮用のプールがあり、夏になると撮影所スタッフが泳いでいたそうです」
(「調布市立図書館 まちの資料情報館」より)
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国土地理院の航空写真で変遷を辿ってみる。

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1936年(昭和11年)9月(開所3年目)。

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1947年(昭和22年)8月。

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1957年(昭和32年)10月。

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1961年(昭和36年)8月当時。

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1971年(昭和46年)4月(大映倒産の8か月前)。

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1975年(昭和50年)1月。

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現在。
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川口浩と石原裕次郎

1960年に作家の三島由紀夫は俳優として大映映画「からっ風野郎」(増村保造監督)に主演した。この経験をもとに書いたのが「スタア」と言う短編小説だ。 主人公は当時流行の太陽族を思わせる若手人気俳優である。 なので初読以来、てっきりモデルは日活の石原裕次郎だろうと思っていた。しかしあとあと考えてみると、半分は大映の川口浩かもしれないと言う気もする。 「からっ風野郎」も大映だったし、「スタア」には大映の長谷川一夫を思わせる老醜の二枚目俳優も出てくる。そして何より川口自身が裕次郎と並ぶ太陽族俳優だった。
日活の太陽族映画第1作「太陽の季節」が公開されたのは1956年5月。ただし主演は長門裕之と南田洋子であり、裕次郎も出ているがまだチョイ役だ。 1か月後の56年6月、今度は大映で川口浩主演の「処刑の部屋」(市川崑監督)が公開される。川口は4月にデビューしたばかりでこれが2作目だった。 更に1か月後の7月に裕次郎初主演作 「狂った果実」が続く。当時はこの3本が太陽族映画と称され、そこに描かれた若者の不道徳な生態が世間の物議をかもしたと言う。
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http://tvmovie.web.fc2.com/daiei/shokeinoheya.html
その後裕次郎は日活の、川口は大映の若手トップスターになる。裕次郎は言うまでもなく石原慎太郎の弟、かたや川口も直木賞作家で大映重役だった川口松太郎と女優三益愛子の長男と言う七光りもあった。尤も人気では裕次郎が水をあけていたようだが、川口も『巨人と玩具』『おとうと』などの文芸映画に出演して名を高めている。1960年に裕次郎が共演者の北原三枝と結婚すると、同じ年に川口も野添ひとみと結婚。
だが、二人とも自ら望まずに若くしていきなりスターになったせいか長く俳優業を続ける気はなく、特に裕次郎は「俳優は男子一生の仕事にあらず」と公言して憚らなかった。これは当時のお坊ちゃん俳優に共通するのか大スター上原謙の息子である加山雄三も同じようなことを言っていた。実際に川口は1962年、26歳の若さで俳優業から引退し実業家として高級マンション「川口アパート」の経営に乗り出す。一時は俳優業にも復帰し「キイハンター」などに出演するが、70年に川口浩探検隊の前身『ザ・ショック!!』を自ら企画し出演。 一方の裕次郎は斜陽化する映画界を見捨てておけなくなったのか62年に石原プロを立ち上げ映画製作にのめり込んでいき70年代はテレビドラマ「太陽にほえろ」に出演。言葉とは裏腹に俳優業を続けることになっている。個人的な記憶にあるのはこの頃からなので、たまに二人が若い頃の映画をテレビで見ても同一人物に見えなかった。精悍なアクションスターだった裕次郎が当時は顔色の悪い浮腫んだ中年になっており、お坊ちゃん顔だった川口がジャングルを切り進むカーリーヘアの探検隊長になっていたからだ。
同じ年に太陽族スターとしてデビューしてその後違う道を歩いた二人は奇しくも同じ年に亡くなっている。1987年7月に52歳で亡くなった裕次郎の葬儀は盛大を極めたが、4か月後に51歳で亡くなった川口の方も「探検隊長」としての知名度の高さでそれなりの話題になった。
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