雅羅倶多館

1960~80年代のテレビドラマや映画を中心にあらすじや感想を書いています。

『江戸川乱歩傑作選』を読む角川春樹


寝そべって文庫本を読む男・・・
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若き日の角川春樹である。
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1979年のパロディ映画「金田一耕助の冒険」(大林宣彦監督、角川春樹事務所製作)の一場面だ。
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自ら仕掛けたブームに終止符を打つかのように、この映画では金田一耕助そのものを徹底的に茶化し、角川春樹自身も団地の亭主役と本人役の二役で出演して横溝正史とも共演している。

それはともかく、さっき角川春樹が読んでいた文庫本は新潮文庫の『江戸川乱歩傑作選』である。
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長いこと、このカバーだったと思うが、いつのまにか今は装丁が変わってしまったようだ。
1960年初版で、ちなみに自分が持っているのは74年の22刷である(定価は180円!)
横溝映画の中で、新潮文庫の乱歩を角川書店の社長が読んでいると言うのも悪趣味だが、と言って当時乱歩作品が角川文庫に入っていなかったわけではない。
今では光文社文庫版の全集をはじめ迷うほどいろいろな出版社から乱歩作品が文庫化されているが、その頃は角川文庫と春陽文庫が少年物を除くほぼ全作品を収録していた。
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角川文庫(73~75年初版)は全20冊、春陽文庫には『江戸川乱歩名作集』(62~73年初版)全11巻と『江戸川乱歩長編全集』(72~73年初版)全20巻があった(今は絶版)。
ちなみに自分は講談社の全集(78年版)を揃えたため文庫ではあまり買わなかったのだが、どちらを選ぶかと言えば、角川のほうがメジャーだし、解説と年譜が付いているので便利だろう。 ただ、ひとつだけ春陽が優って?いる点があった。
それは春陽文庫では「盲獣」の完全版が読めたからだ。
乱歩は61年に生前最後の桃源社版全集を改訂した際に、「盲獣」の「鎌倉ハム大安売り」と言う章を「作者の私が吐き気を催すほどだ」として 削除してしまったため、没後の角川文庫や講談社の全集にも、この章がなかった。 ところが春陽文庫だけは、削除前の59年に出版されていた自社全集が底本だったので、「鎌倉ハム大安売り」も載っていたのである。 今では創元推理文庫や光文社文庫版の全集にも収録されているようである。
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「日記」に見る横溝正史ブームの裏側


所謂「横溝正史ブーム」の頃には、横溝の小説だけではなく、エッセイ集も何冊か出ていた。
その中の一冊、『真説金田一耕助』は、毎日新聞の日曜欄に1976年(昭和51年)の9月第1週から翌年8月最終週まで51回に渡って連載されたエッセイをまとめたものである。77年12月に毎日新聞社から刊行され、後に角川文庫にも収録されている。
横溝のエッセイ集を全て読んだわけではないが、内容的には他のエッセイや対談等と重複する話も多いようである。とは言え、時期的にちょうど映画「犬神家の一族」の公開やTV「横溝正史シリーズ」の放映などブームの絶頂期にあった著者が自作の思い出や秘話などを語ったエッセイと言うことで、 それなりに読み応えのある内容だろう。
ただ、もしこの本を未読の横溝ファンが今後古本での購入を考えているならば、是非、角川文庫版ではなく毎日新聞社版の方を捜し求めるようにお勧めしたいと思う。 と言うのも毎日新聞社版には、76年8月22日から77年8月20日まで1年分の横溝の「日記抄」が収められているからである(角川文庫版では削除されている)。
横溝によれば、毎日新聞社から単行本化するにあたって、分量が足りないので日記を入れたいと要請されて仕方なく応じたもので、 日記の中にも「こっちは迷惑千万だが、つい安請け合いしてしまってホトホト後悔している」と正直に記されている。 なお、「日記抄」となっているのは本書の「あとがき」でも断っているように、その当時現在進行中の日記だったために差し障りのある部分は「適当に削らせていただいた」からである。
だがブームの真っ只中にあった横溝の日常が垣間見れると言う意味では、本文よりはるかに資料的価値が高いだろう。言わばブームの「裏側の裏側」の記録なのだ。
まず眼を引くのは、角川書店からの文庫重版とその部数の通知が克明に記録されていることである。 例えば、
「◎角川より重版通知四点▲夜歩く(14)六万8/17▲真珠郎(8)六万8/17▲悪魔の設計図(再)五万8/13▲犬神家の一族(22)8/12五万」
・・・などである。 その印税による税金対策に頭を悩ましている様子なども記され、77年6月25日付の日記には「今年はまだ文庫本がよく売れているからいいようなものの、来年はどうなることやらと心細きこと限りなし」などとも書かれている。
次に驚かされるのは、ほぼ毎日のように来客や電話がひっきりなしにあることで、その大部分が取材であったり、インタビューや原稿の依頼であったりしていた点である。 加えてしばしば対談等に引っ張り出されたり、細かなコメントを求められたり、果ては避暑先の軽井沢にまで押し掛けてこられたりしているのだから、一躍マスコミの寵児になった横溝がいかに引っ張りだこにされていたか、 その様子が改めてよくわかる。
尤も既に高齢の上に決して健康ではない横溝にとっては疲労も大きかったろう。例えば76年11月11日の日記には、
「昼寝のあとニッポン放送から中島、中川アナウンサー、田中のぶ女史来訪、一回八分ずつ五回分のインタビューをうけ、そうとう疲れる」
とある。だったら断ればいいのに、とも思うが、頼まれたら断れない性格や持ち前のサービス精神が邪魔をしているらしく、 そもそもこの「真説金田一耕助」も当初7回の予定で受けたのに連載が始まってから1年間に延長してほしいと要請され、日記には「あとで後悔するとしりながらOKす。われながら困ったものである」と記されている。
また、空前のブームで出版社に顔が利くようになった(と、思われている)横溝が、往年の作家仲間の遺族から再刊の口利きをしつこく頼まれて閉口している様子なども記されていて、これもまた精神的な負担になったであろうことが想像される。 当時エッセイやインタビューでブームが嬉しい反面で何かと面倒でもあることを強調していたのが、決して誇張ではなかったことがわかるのである。

日記には、映画化やテレビ化の経緯も書かれている。
例えば「犬神家の一族」の大ヒットを受けて、ロードショー公開から4日後の76年10月20日には早くも東宝から「悪魔の手毬唄」映画化の話を持ち込まれている。 そして23日には東宝と契約し、記事には「原作料百五十万円也」と金額まで記されている。 ところが11月11日の記事になると、「東宝解約改めて春樹君と契約。その代り原作料五十万円上積となる」と書かれている。 つまり最初は角川春樹事務所を介さず東宝と直に契約し、その直後に角川と契約し直しているのである。
どういう経緯でそう言うことになったのかわからない。 ただこの頃、「犬神家の一族」の制作費使途不明を巡って角川春樹と東宝側が告訴合戦を繰り広げると言う騒動が起きている。 結局示談で収まったようなのだが、角川と東宝とは決別し、「悪魔の手毬唄」からは東宝の単独製作になるのだ。
そうしたことは横溝の日記には一切触れられていないが、 翌77年3月7日の記事で「以後、拙作の映画、テレビ化一切春樹事務所に一任する旨契約を入れる」ということ になるのは、一連の騒動の成り行きも反映した結果ではないかと推測される。単行本への収録に当たって省いた日記の「差し障りのある部分」とは案外、そのあたりを指すのかもしれない。

日常生活の面では、野球好きの横溝が執筆の傍らでラジオとテレビのナイター中継を聞いていたり、 結構テレビ好きで「花くれない」「大草原のちいさな家」「花神」「お国自慢にしひがし」などの番組を見ていたりとか(NHKがお好みだったらしい)、 「歌のグランドショー」を見て「こういうのがだんだんつまらなくなるのはトシのせいか」などと自嘲しながら、懲りずにまた 「レコード大賞から紅白歌合戦。延々4時間45分歌を聴い」て「食傷気味」になっていたりしている。
ちなみに横溝は山口百恵のファンだったらしい。76年12月21日の日記には「週刊文春より電話で原稿の催促。あわてて『わが愛しの百恵ちゃんへ』を半ペラ五枚かく」、 12月27日にも「大急ぎでブッツケ本番で『百恵ちゃんジレンマ』をかき東京新聞の使いに渡す」と言う記事があって、忙しい合間に山口百恵に関するエッセイを2本も書いているのである。
一方、この頃の横溝は盟友の城昌幸や延原謙など同時代の友人知己を相次いで失った時期でもあった。日記には「なんだか物悲しくて」常用している精神安定剤や酒の量が増えていたり、それでも「物悲しさは去らず。いやいっそう物悲しい」などと 心情が吐露されていたり、老作家がブームの喧騒の影では寂寥感にも包まれていた心境が伺える。

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横溝家の一族

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まもなく横溝正史の命日(12月28日)を迎えるこの年末に、横溝の「幻の長編小説」が発見されたと言うニュースが飛び込んできた。

横溝正史、幻の長編小説=金田一の原型?登場

 「八つ墓村」「犬神家の一族」などで知られる推理作家、横溝正史の幻の長編「雪割草」のほぼ全文を確認したと、二松学舎大(東京都)の山口直孝教授らが21日発表した。横溝が生み出した名探偵・金田一耕助の原型とも言える人物が登場し、後の作品世界につながる貴重な資料という。
 「雪割草」は横溝が残した遺稿から草稿の断片などが見つかったものの、掲載先が不明で「幻の作品」視されてきた。山口教授が題名をヒントに雪国の地方紙を調べ、1941年6~12月の「新潟毎日新聞」(途中、統合で新潟日日新聞に改称、現在の新潟日報)への掲載を確認。長野県諏訪などを舞台にヒロインの成長を描いた家族小説と判明した。
 金田一は46年に雑誌「宝石」に連載された「本陣殺人事件」に初めて登場するが、山口教授は、ヒロインの夫となる画家が「もじゃもじゃの髪で外見を気にしないなど、類似が見られる」と指摘。画家の戦時下の創作に対する苦悩も描かれ、「横溝自身を投影している」と分析している。(2017/12/21-19:48)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017122101198&g=soc


なーんだ、探偵小説じゃないのか・・・と少し拍子抜けだが、稀代のストーリーテラーだった横溝のことゆえ、その気になれば家庭小説だろうとメロドラマだろうと、何だって書けただろう。
それはともかく、横溝が小説の中に「自分自身を投影」することは、さもありなんと言う気がする。そもそも横溝の作品群自体が巨大な自己投影の所産と言えなくもないのだ。

よく知られているように、横溝正史が多くの探偵小説の中で描いたのは、複雑極まる人間関係が生みなす血で血を争う殺人事件だった。これには、横溝自身の複雑な生い立ちが反映していた。
横溝の半自叙伝「書かでもの記」(徳間書店『横溝正史の世界』所収)よれば、横溝の父母はそれぞれ既に家庭と子供がありながら、いわばダブル不倫で駆け落ちして結婚し、横溝が生まれたのである。従って横溝には父方に母親の違う兄と姉、母方に父親の違う兄がいた。ややこしいことに、その母親は横溝が5歳の時に亡くなり、父親が新たに迎えた後添えの継母との間にも異母弟妹が生まれたのである。
しかも、父親が捨ててきた異母兄もやがて横溝家に引き取られ、狭い家の中に「三腹の兄弟」が同居することになったのだ。特に横溝を悩ましたのはこの異母兄・歌名雄の存在である。
「歌名雄」と言えばピンとくるように「悪魔の手毬唄」の登場人物、亀の湯の長男・歌名雄はこの異母兄の名前を用いたものである。
実在の異母兄・歌名雄の母は横溝の父親に捨てられた後、首を縊って自殺した。幼い頃の横溝はそうした話を聞くたびに「罪の意識」(「書かでもの記」)に悩まされ「強い劣等感」を抱いたと言う。
一方、「悪魔の手毬唄」の中の歌名雄の母・リカは逆に自分を捨てて愛人と駆け落ちしようとした夫の源治郎を殺し、更にやがて夫が愛人たちの間に生ませた子供たちを次々殺そうとする。言わば「悪魔の手毬唄」では歌名雄の母=横溝の父の自殺した前妻による「復讐」をフィクションに仮託して描いたのである。

ちなみに小説の歌名雄は母親の死後、異母妹の千恵子と「和解」するが、横溝家に引き取られた実在の歌名雄は父親や継母とも異母弟の横溝たちとも相容れぬまま孤独に死んでしまう。 それと前後して横溝家に引き取られて来たのは、継母の連れ子である。つまり継母が前夫との間になした、横溝とは血の繋がらない義姉に当たるのだが、幼い横溝は「またしても、きょうだいであるような、ないような」娘が現れたことに面食らってますます自閉症的傾向になったと言う。
だが、戦時中、横溝はこの義姉の勧めで岡山に疎開することになる。

横溝が描いた複雑極まる人間関係の背景にあったのは、因習に包まれた田舎の閉鎖社会と、そこで代々怨念を抱いて対立する封建的旧家の存在である。これには横溝の岡山の農村への疎開経験が反映していたとされるが、単にそれだけではない。ここに両親の出身地、つまり横溝家のルーツがあったからだ。
旧家の出であった横溝の父親はそこで村の助役、そして横溝の生母の前夫が村長を務めていた。村長と助役でありながらこの二人は仲が悪く、しょっちゅういがみ合っていたそうだ。しかもこの前夫の姓もやはり「横溝」なのである。もともと両「横溝」家は同じ家だったが、遠い先祖で別れて以来、仲が悪かったと言う。まさに「獄門島」の本鬼頭と分鬼頭である。
代々仲の悪かった両「横溝」家はやがてその末裔が一方の妻を奪って駆け落ちすると言う結果に至ったのである。その時に置き去りにされた生母の子供はつまり横溝にとって異父兄に当たるわけだが、横溝は岡山に疎開していた時も近くに住んでいながら決して会おうとしなかった。だが「悪魔の手毬唄」の放庵さんのモデルになったのは、この会ったことのない異父兄なのである。横溝が後に聞いた話では、異父兄は戦後まもなく死亡し、そちらの「横溝」家は絶えてしまったそうである。

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江戸川乱歩と横溝正史の合作


「復員殺人事件」は坂口安吾と高木彬光による異色の「合作」だったが、探偵小説の二大巨匠である江戸川乱歩と横溝正史による「合作」も存在する。と言っても2人だけの純粋な合作ではなく、複数の作家によるリレー式の連作小説だが。
ひとつは、1930年(昭和5年)の『新青年』に連載された「江川蘭子」。当時の乱歩は大衆娯楽誌に通俗長編小説を書きまくっていたが、ホームグラウンドである『新青年』とはすっかりご無沙汰になっていた。そこで乱歩に執筆させる手段として連作小説を企画したようで、まず乱歩に第1回を書かせ、以後、横溝正史、甲賀三郎、大下宇陀児、夢野久作、森下雨村の順で執筆している。つまり冒頭に乱歩→横溝と言う直接のリレーも実現しているのである。
その2年後の32年、新潮社が10人の探偵作家に書き下ろしで新作を書かせる『新作探偵小説全集』を企画した際に、各巻の付録として「探偵クラブ」と言う冊子を発行し、その中で執筆者全員による「殺人迷路」と言う連作長編小説を連載した。実はこの全集における乱歩の書き下ろし長編「蠢く触手」はゴーストライターの代作だったのだが、さすがに連作に参加するぐらいは断れなかったのだろう。このときは森下雨村、大下宇陀児、横溝正史、水谷準、江戸川乱歩、橋本五郎、夢野久作、浜尾四郎、佐左木俊郎、甲賀三郎の順番だったので、 横溝と乱歩の間に水谷がはさまっていた。
ちなみにどちらの連作も現在は春陽文庫で一冊に収まっているので読めるのだが、自分が乱歩や横溝を読み始めた頃は、2人の執筆パートすら全集にも収録されていなかった。漸く「江川蘭子」だけは再録された雑誌『幻影城』を古本屋で探し出して読んだが、支離滅裂でつまらないものだったのを覚えている。まあ連作なんてのはそんなもんだろう。
要するにこの手の合作・連作は一種のお遊びと言うか作家同士のお祭りのようなものだが、幻に終わった乱歩と横溝の合作もある。
70年代に復活を遂げた横溝が乱歩の中絶作「悪霊」(33年)の続編を書き継ぐ意志を持っていたようなのである。角川文庫版「病院坂の首縊り家(上)」の中島河太郎の解説の一節にその記述が見える。
何故横溝が乱歩の「悪霊」にこだわりを持っていたのか、と言えば、「悪霊」中絶当時、乱歩と横溝の間でひと悶着あったからだ。通俗長編ばかり書いていた乱歩が『新青年』で久々に本格探偵小説の連載を始めたことで高い期待を寄せられながら、ぐだぐだと休載を重ねた挙句に中絶した不甲斐なさに横溝が憤慨して痛烈に批判したのだ。乱歩が「悪霊」の中絶を決めて『新青年』に「『悪霊』についてお詫び」を発表した同じ号に横溝は「江戸川乱歩へ」と名指しの一文を発表している。
この経緯は乱歩の回顧録『探偵小説四十年』の中に詳しい記述がある。2人はその後和解したが、乱歩にとっては苦い思い出だったらしく、生前の全集に中絶作は入れなかったにもかかわらず、「悪霊」だけは特別に収録されている。一方の横溝も後年まで「悪霊」の中絶をよほど残念に思っていたようで、都筑道夫との対談でも、
「あれは惜しいことをしたな。乱歩の『悪霊』がそうですよ。ぼくが毒づいたばっかりに、よしてしまったけどね。ぼくが乱歩に聞いたら、いや『スミルノ博士』だよといった。その一言でわかるのよ、記述者が犯人だということが」(「別冊問題小説」昭和五十一年冬号、徳間書店『横溝正史の世界』所収「われら華麗なる探偵貴族」)
と語っている。
ちなみに横溝には過去に海野十三の遺作「少年探偵長」(49年)を書き継ぎ完結させた実績がある。また逆に横溝自身が「病院横町の首縊りの家」(53年)を中絶後、完結編を別人が競作する形で結末をつけたことがある(20年後に横溝自身が「病院坂の首縊りの家」として完成している)
ともあれ、乱歩の未完の傑作を横溝が完成させる・・・と言う巨匠の豪華な友情リレーが実現していたら、まさに夢のような出来事だったろう。自分も当時その話を読んで、胸を躍らせたものだ。
だが、実際に横溝が書いたのは、「悪霊」ならぬ自作の長編「悪霊島」であった。って、どういうオチだよとがっかりしたが、結局、横溝は没するまで「悪霊」の続編を書くことはなかった。横溝は最後の小説として、東京と岡山とをまたにかける大事件が起こり、磯川・等々力の両警部が金田一耕助に協力する大長編を執筆する構想を持っていたことが明らかになっているが、個人的に何より一番読みたかったのは「悪霊」続編なのである。

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坂口安吾と高木彬光の合作「復員殺人事件」


海野十三の「美しき鬼」は海野の急逝で島田一男が引き継いで完成させたが、当時海野はほかにも10本近い連載を未完のまま抱えていた。江戸川乱歩や横溝正史がそれを惜しんで続編の書き手を探したが、その頃海野のようなSFを書ける作家は皆無に等しかったので、結局「美しき鬼」を島田が、「未来少年」を高木彬光が、そして「少年探偵長」を横溝が書き継ぐにとどまったらしい。
事前の打ち合わせもなく他人の小説を書き継ぐのは大変だったろうが、それでもジュブナイルだから何とかなったのだろう。だが本格推理小説ともなれば別で、その難業に挑んだのが上にも名前の出た高木彬光である。
坂口安吾と言えば無頼派の代表的作家であると同時に、第2回探偵作家クラブ賞(1949年) を受賞した本格推理小説「不連続殺人事件」を書いたことでも知られる。安吾は2作目の長編として「復員殺人事件」の連載を始めたが、雑誌の廃刊のため中絶し、1955年(昭和30年)に没するまで再開されること無く未完に終わった。
1957年、業績不振に陥った探偵小説専門誌『宝石』の建て直しに乗り出した乱歩は、目玉として「復員殺人事件」を完成させることを企画し、その適任者として高木彬光に白羽の矢を立てた。ちなみに高木は処女作「刺青殺人事件」が第2回探偵作家クラブ賞候補に上がったが、「不連続」に敗れた因縁を持つ。
連載は57年8月号から始まり、まず安吾の未完部分までを4回にわたって再掲し(同じ号から横溝の「悪魔の手毬唄」の連載も始まっている)、 5回目から高木による続編を連載した。
「復員殺人事件」のあらすじは、

昭和22年9月のある日、小田原の成金倉田家の玄関に、ヨレヨレの白衣姿で現れた、異様な傷痍軍人。
 片手・片足、両眼はつぶれ、片アゴを砲弾にもぎ取られ口のきけない男は、外地から復員した次男安彦と思われたが、その翌晩、倉田家の家族を突如見舞った惨劇。
 射殺1人、催眠薬を飲まされた者3人、加えて、復員兵の男もまた、絞殺死体で発見された。
 5年前にさかのぼる、長男親子の轢死事件との関係は?復員兵の次男は、果たしてホンモノか?そして、新約聖書マルコ伝中の一句「樹のごときもの歩く」が暗示する、謎とは何か?・・・・・・
(角川文庫版カバー折り返しより)

というわけで、肝心の謎には全く触れられぬまま途切れていたのだ。それを、
「鬼才安吾の中絶作品に高木彬光が挑戦して続編を書きつぎ、『樹のごときもの歩く』の題名で見事完成させた」(同)
のである。
高木は、犯人や「樹のごときもの」と言うキーワードの意味、そしてメイントリックなどを、未亡人が生前の安吾から打ち明けられているということで割合気軽に引き受けたのだが、実際に未亡人から聞いてみると、愕然とした、と言う。その通りに書いたら「不連続より数段落ちる凡作、失敗作」になることが必定だったからである。つまり、安吾の構想が余程お粗末なものだったのだろう。
そのため高木は大変苦労して後半を書き継いだが、結局、続編とその結末は、安吾の遺志どおりには展開されていない。このため総じて辛口のミステリーファンからは厳しい評価が下されているようである。角川文庫の解説でも評論家の権田萬治は、安吾が完成していれば「最高傑作となり得た」と書き、横溝正史も小林信彦との対談の中で「『不連続』を凌いだはずだ」(角川書店「横溝正史読本」1976年)と述べている。本格物に疎い自分には専門的なことはあまりよくわからないのだが、確かに安吾が築いた複雑な複線を活かしきれていないように思えるし、単に安吾の文体を粗雑に真似ただけの薄っぺらい話に拍子抜けであった。
高木本人は後に角川文庫の「不連続殺人事件」の解説の中で当時の「苦労」に触れ、「とかくの批判もあるが私としては自分のベストを尽くした」と弁解している。だが、「坂口氏自身が最後まで書き続けたら、現存の作品を上回る傑作になったろう」と断った上で、「それでも不連続には及ばなかっただろう」と言い切っているのだが、果してどうなんだろうか。
ともあれ、昭和の文豪と推理小説の巨匠との珍しい「合作」と言うことで、一読の価値はある作品だと思うが、残念ながら角川文庫版は既に絶版になっているし、10年ほど前に「樹のごときもの歩く」のタイトルである出版社から復刻したが、それも今は入手困難のようだ。まあ、安吾の書いた前半部分だけは『坂口安吾全集』(筑摩書房)に収められているので、読めるのだが・・・。

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