日本沈没

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大作映画は丹波とともに(1973年・東宝・森谷司郎監督)

物語。 日本海溝の調査をしていた地球物理学者の田所博士(小林桂樹)、深海艇の操舵士・小野寺(藤岡弘)らは地殻変動で日本が沈没してしまう事態を予見。その直後、東京に大地震が起こり360万人の死者・行方不明者が出る。山本首相(丹波哲郎)は1億1千万日本人を脱出させるため外交交渉を開始するが、その間にも沈没の時期は加速して…。

70年代のパニック物、というより大作映画の原点となった作品。当時この映画の大ヒットで史上空前の配給収入を上げた東宝は、これも創業以来初めての臨時ボーナスを全社員に支給した、という逸話があります。

映画は冒頭、何億年も前から大陸が移動して、現在の日本列島が形作られるまでが示され、それに続き公開当時の日本の姿が映し出されます。富士山、新幹線、ねぶた祭り、新車のモデルショー、行楽地、ラッシュアワー…現役時代の長嶋茂雄も見られます。この日本が…野や山が、街が、人々が…この全てが沈んでしまうのか…と、これから起こることを観る者を最初から暗示させ引き込んで行く、手堅くも効果的な手法です。

「日本が沈没する」という荒唐無稽な課題を正面から受け止め、東大の竹内均教授(本物)まで引っ張り出して、できるだけ観客が納得するよう科学的根拠を裏づけています。こういう生真面目な演出は良くも悪くも東宝らしいのですが、説明的なシーンが多いのでいささか退屈です。また、藤岡、丹波、小林らのそれぞれに話が分散して中心がぼやけてしまうので展開が平板になりがちです。藤岡といしだあゆみのシュールな?男女関係なんかは、後の大作物だったらここぞとばかりにくどくど、だらだら描くウザったらしい箇所。それを非常にあっさり扱っているところは良いのですが。

最大の見せ場は、渡老人(島田正吾)が山本首相(丹波哲郎)に「日本民族の採るべき進路」の第四のオプションとして「何もせんほうがいい」、つまり日本列島とともにそこに住む日本人も一緒に沈んでしまうのが一番いいのではないか、を提示する場面でしょう。演技なのかマジなのか、珍しく丹波が目を潤ませるウエットな芝居を見せてくれるとともに「『日本人』とは何か?」という根源的な命題を突きつける名場面です。ここで泣けないような奴は日本人じゃない(?)

この頃の丹波はまだ50そこそこ。当時、戦後最年少で政権に上り詰めた「コンピュータ付きブルドーザー」こと田中角栄首相を彷彿させます。もっとも角さんは日本を沈めない代わりに、日本列島改造計画で土地インフレを招き日本経済を沈没させてしまいました。丹波の首相はそのアンチテーゼなのかもしれません。丹波はこれ以降大作映画の「顔」となり、どんなにつまらない内容でも丹波が出ているだけでスケールの大きさを感じさせるという稀有な存在感を発揮。こんな俳優はもう二度と出てこないでしょう。二谷英明、中丸忠雄、滝田裕介の地味なおじさんスリーアミーゴズの好演も光ります。

一方、俳優たちの熱演に対して、特撮パート(中野昭慶)はイマイチ。地震の被害に見舞われる人々などの細かいリアルな描写はいいのですが、「日本沈没」じゃなくて「日本大爆破」なんじゃないかと思うぐらい爆発炎上に終始し、肝心の日本が沈没する場面になると航空写真のような俯瞰図で示されるだけなので、え、もう沈んじゃったの!?という感じ。恐怖感がビジュアル面で伝わって来ません。
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怪談雪女郎

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雪女の心も溶かす人の愛、
そして雪女より恐い妖怪婆・原泉!
(1968年・大映・田中徳三監督)。

物語。仏師とその弟子の与作(石浜朗)は山奥に観音菩薩像の材となる巨木を探しに来た帰り道、吹雪で迷い小屋に泊まる。その晩、雪女が現れ、眠っている仏師を凍死させる。更に与作をも凍死させようとするが、「お前は若くてイケメンだから(?)」と殺すのを止め、その代わり「今日見たことを誰にも言ってはならぬ」と固く誓わせる。
師匠の代わりに観音菩薩像の製作に取り掛かった与作は或る日、軒先で雨宿りをしていた美しい女・ゆき(藤村志保)と出会う。二人は夫婦になり、やがて息子の太郎も生まれ5年の歳月が過ぎた。
ゆきに横恋慕した地頭(須賀不二男)は都から有名仏師(鈴木瑞穂)を連れて来て与作と競わせ嫌がらせする一方、「御料材を盗伐した」といいがかりをつけて、罰金を払えなければ与作の首を刎ねると無理難題を押し付ける。しかしゆきは守護・美濃権守(内藤武敏)の1人息子が熱病に罹っていると聞き、雪女の妖術でこれを治し、貰った礼金を地頭に払って危機を切り抜ける。それでも諦めない地頭はゆきを拉致監禁して襲おうとするが、雪女の正体を現したゆきに家来ともども凍死させられる。
それやこれやの間に与作の観音菩薩像は完成間近になる。しかし最後の最後にどうしても「慈悲の目」が表現できないことに悩んでいた。その時ふと、昔雪女に出会ったことをゆきに話してしまう…。

民話で有名な「雪女」の伝説をベースにした作品。
タイトルがおどろおどろしいので一見B級ホラーのようですが、内容は夫婦愛、そして母性愛をテーマにした物語と言っていいでしょう。一般に知られている「雪女」の話(小泉八雲の「怪談」など)で与作に該当する人物の設定はただの木こりだったと思うのですが、ここでは仏師に置き換えてを話を工夫するとともに、子を思う雪女こそ菩薩の慈悲の心そのもののというところに結末を持って行っています。
人の世の幸せを知ったゆき=雪女が、その幸せを離すまいと懸命に努力する姿はいじらしく、予め結末がわかっているだけに尚更哀れを誘います。特に子供にわらべ歌を教えるゆきの姿を与作が遠目に見守っているシーンは感動的。また、最後に子供に思いを残しながら去って行く淋しそうな後姿も切ないです。
ただ、最後に与作が雪女の顔から「慈悲の目」のインスピレーションを得ると言うのはちょっと興醒めな気が。雪女の方は尽くすだけ尽くして結局全てを失ってしまったのに対して、与作は妻を失った代わりにおそらく今後仏師としての成功を掴むんだろうと思うと、幻想的な世界からにわかに現実に引き戻されてしまいます。
藤村志保さんは金色のコンタクトレンズを入れ、表情によってメイクも変えるなど雪女を熱演、いや雪女だから冷演か。雪女はもとより、人間体となったゆきが初登場した雨宿りのシーンなどの清楚な美しさに目を見張ります。またCGなどない時代に大映美術陣も底力を見せて頑張っています。欲を言えば、雪女の動きにすーっと水平移動してくる非人間的な感じを出したかったんでしょうが、それがどうしても戸板の上を台車に乗って動いている感アリアリなのは残念。
しかし、何と言ってもこの映画で一番恐いのは特殊メイク不要の妖怪婆・原泉でしょう。巫女役の原泉が「この悪霊め!」とゆきを責める場面では、「悪霊はアンタだろっ!」て突っ込みたくなります。この人は巫女とか祈祷師とか、いつも妖しい老婆の役が多かったですね。尤もああ見えて若い頃は絵のモデルをしていたそうですから・・・昔は美人だったんでしょうか。
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関連タグ: 藤村志保 大映

君は海を見たか

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倉本聰原作・脚本のテレビドラマを天知茂主演で映画化した作品(1971年・大映・井上芳夫監督)

物語。真っ黒に塗り潰された絵。
学校で「海の絵を描け」と言われて11歳の正一が描いた絵である。ずっと以前、一度だけ父親に見せてもらったことのある真っ暗な海の底を描いたのだ。
正一の父・増子一郎(天知茂)は海中公園建設の設計技師。仕事一筋の猛烈サラリーマンである増子は妻亡き後、息子を妹(正一にとっては叔母)の弓子(寺田路恵)に任せっきりで、普段ろくずっぽ話をしたこともない。
ある日、体の異状を訴えた正一を弓子が病院へ連れて行くと大学病院に回され、更に精密検査の結果即座に入院させられる。その間も土佐の建設現場へ行き放しだった増子が漸く帰京し、忙しい中渋々と言った感じで病院に行くと、主治医(内藤武敏)から「ウィルムス性腫瘍が進行しており長くてあと三ヶ月の命」と宣告される。
愕然とする増子。「何故もっと早く気がつかなかったんだ」とつぶやく。すると弓子が「正一は二ヶ月前にも兄さんに言っていたそうよ」と言う。例によって仕事にかまけて、聞き流していたのだ。
残された時間を息子と過ごすため会社に休職願いを出した増子は担任の先生(中山仁)を訪ね、父親として何をしてやったらいいのだろうかと尋ねる。先生は正一が描いた黒い海の絵の話をし、「普通の父親と子供のように、海を青いと感じさせてやることが重要ではないのか」と言う…。

20年ぐらい前にテレビで見た作品をビデオで再見。大映時代の天知茂が末期に出演した唯一の(大映での)主演作ですが、あろうことかサラリーマン役、それも不治の病に冒された子供の父親という役。究極のミスマッチが強烈です。
「あの」天知茂が息子相手に「パパは…」と語りかけたり、会社で工事の遅れをせっつかれて「文句は天気に言ってくださいよ」と愚痴ったり、作業服姿でラーメンをすすったり、宴会で手を叩いて一緒に歌ったりする場面はある意味でシュール。ここまで「普通の人」を演じるのは珍しいという気がします。
かと思いきや、息子の余命を告知された時などはまるで「江戸川乱歩の美女シリーズ」のDVDカバー写真さながらの凄まじい形相を浮かべたりもします。どうしても天知茂=ニヒルと言う固定観念が邪魔しがちですが、家庭を顧みなかった仕事人間が急にぎこちなく父親らしいことをし始める姿には普段およそ家庭的なイメージのない天知先生だけに却って説得力があります。また一方では、息子が死んだ後で、結局自分の自己満足で良い父親を演じていたに過ぎなかったのではないか…と独りくどくど悩むあたりに、本来の持ち味である孤高のヒロイズムも生かされています。
主治医役の内藤武敏は誠実さに適度の素っ気なさを交えたいかにも医学者らしいと言った雰囲気のはまり役で、物語にリアリティを与えています。また学閥を楯に診療を冷たく拒む嫌味な教授役で中村伸郎が出てきたときは、思わずここは浪速大学(by白い巨塔)かと思ってしまいました。
演出も淡々としていていいのですが、ただ肝心な場面で奇を衒ったりするのがちょっと目障り。劇的な場面はむしろ普通に撮った方が(天知先生のキャラがくどいだけに)良かったと思うのですが。
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続忍びの者

「忍びの者」の続編(1963年・大映・山本薩夫監督)

物語。忍者を捨て、妻のマキ(藤村志保)と生まれたばかりの子供の三人で平穏に暮らしていた五右衛門(市川雷蔵)だったが、織田信長(城健三朗、後の若山富三郎)の忍者狩りに襲われ、子供を殺されてしまう。
マキの故郷、雑賀の里に身を寄せた五右衛門の許へ徳川家康(永井智雄)の隠密頭・服部半蔵(伊達三郎)が訪れ、明智光秀(山村聰)が信長に反感を抱いていると教える。五右衛門は光秀の家臣にもぐりこみ、信長への叛意をそそのかす。やがて光秀は本能寺に信長を急襲、その際床下に侵入した五右衛門は火を放ち、更に信長の片手片足を叩っ斬って恨みを晴らす。
備中高松から取って返した羽柴秀吉(東野英治郎)は山崎の合戦で光秀を討つ一方、雑賀の里を攻め、五右衛門が根来衆に救援を求めに行っている間にマキを含め皆殺しにされてしまう。
愛妻を失い復讐に燃える五右衛門は聚楽第に忍び込み秀吉暗殺を狙うが失敗、捕らえられ釜茹での刑に処される。

前作「忍びの者」ではハッピーエンドを迎えた雷蔵&志保コンビでしたが、そうは問屋が卸さず、結局悲しい運命を辿ってしまいました。前作のラストシーンでの幸せそうな二人の顔を見ているだけにつらい展開ですが、元々正続編を以って完結するのが既定のことだったのでしょうから、仕方ありませんね。尤も、五右衛門の最期がはっきり描かれていないのがミソで、案の定復活し「新忍びの者」として第3作が作られシリーズ化。しかしもうそこまでは付き合いきれなかったのか山本薩夫はこの2作目までで降板しています。

物語は、まるで大河ドラマを凝縮したように密度が濃く信長から秀吉の時代まで一気に進みます。若富の信長は殆ど野獣状態ですが、悩める光秀・山村聰、小憎らしい秀吉・東野英治郎、怜悧な家康・永井智雄は適役で、ここだけ見ているとまるで別の歴史ドラマのような風格があります。その反面、主役であるはずの五右衛門は脇に追いやられてしまい、いささか影が薄いです。既に本能寺の変の時点で秀吉の側近に髭面の加藤清正と福島正則がいたりするのはご愛嬌ですが。

山本圭が森蘭丸役と言うのは笑ってしまいますが、この頃はデビューしてまだ間もない頃。当然ながら若く、後に得意とした左翼青年の如くには屈折することなく、本能寺では槍を振るって大奮戦しています。くノ一役の坪内ミキ子も後年「連想ゲーム」に出ていたオバサンの頃しか知りませんでしたが、この当時は若くて可愛かったです。
ちなみに服部半蔵役には本来、天知茂が予定されていた模様で、当時新聞広告やポスターにまで名前が載っていたにもかかわらず何故か出演していません。まさか天知先生のキャラが妖し過ぎるのでリアリストのヤマサツに嫌われた、というわけじゃないのでしょうが^^;

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八つ墓村(松竹版)

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公開当時、「たたりじゃ~」が流行語に(1977年・松竹・野村芳太郎監督)

物語。自分がどこで生まれ実の父親が誰なのかも知らない寺田辰也(萩原健一)はある日、新聞の尋ね人広告に導かれて母方の祖父と名乗る老人(加藤嘉)と会うが、老人は辰也の目の前で毒殺されてしまう。辰也は迎えに来た森美也子(小川真由美)の案内で初めて生まれ故郷・八つ墓村を訪れる。辰也は村の資産家・多治見家の血筋だったのだ。しかしここから尼子の落ち武者の祟りに纏わる恐るべき連続殺人事件が始まる…

この映画は公開時に見に行きました(横溝ファンだから)。
正直言って、何じゃこりゃ!?と思いましたね。石坂・市川コンビのスタイリッシュな金田一シリーズの方を先に見ていると、非常に野暮ったい感じ。
もともと原作自体が横溝作品の中でも伝奇色の強いものとは言え、「祟りを利用した完全犯罪」と言う原作の本格推理のコンセプトが「祟りそのもの」に摩り替わっているというのは唖然としました。それにただでさえ渥美清は寅さんに見えてしまうのに、麦藁帽に手拭い下げて出てこられたんじゃ笑うなと言うのは無理というもの。
洞窟の中で萩原健一が鬼女と化した小川真由美に追い回されている危急存亡の最中に、渥美清の方は洞窟の入り口にどっかと腰をすえて村人相手に能天気に一席ぶっている場面とか、燃え上がる多治見家を見下ろす丘の上で、白塗りの夏八木勲が声を立てずに哄笑している場面とか、こういうギャグみたいなことを大真面目にやられても、見ている方はどう反応していいのか困るところです。
ちなみにこれは名作「砂の器」と同じ野村芳太郎・橋本忍コンビの作品。社会派リアリズムの松本清張とは180度違う横溝の耽美的な世界に飛び込んで、暗闇に桜吹雪の舞う中での多治見要蔵(山崎努)の三十二人殺しシーンなどはかなり頑張っていると思いますが、根がお上品な松竹でこの題材はやはり無理だったかもしません。
それにしても、これはなんで「現代」の話にしたんでしょうかね?「本陣殺人事件」のATGと違って金がないわけじゃなし、そもそも大部分山村が舞台なんですから原作通り昭和20年代の話で困るわけじゃなし。その方がまだ不自然さが救われたと思うのですが。。。
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関連タグ: 横溝正史 渥美清 松竹

斬る

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数奇な運命に翻弄される剣士を描いた市川雷蔵の主演作(1962年・大映・三隅研次監督)

物語。信州小諸藩士・高倉信吾(市川雷蔵)は優しい父と明るい妹の三人で幸せに暮らしていたのだが、ある日隣人の逆恨みで父妹を殺されてしまう。今際に父は信吾の出生の秘密を明かす。
かつて飯田藩江戸屋敷の侍女だった山口藤子(藤村志保)は、藩のため悪女の側室を殺害、殿の逆鱗に触れ処刑のため国許に送られた。藤子を哀れんだ正室の懇願を受けた家老は、偶々使者として逗留していた長岡藩士・多田草司(天知茂)に「護送途中の藤子を奪って行って、懐妊させてくれ」と依頼。1年経って子供もいれば殿の怒りも和らぐだろうと家老は考えたのだ。
このわけのわからん(しかも他藩の家老の)頼みをどういうつもりでか三白眼の深刻な表情で聞き入れた多田は、護送の列を馬で襲って藤子を奪って去った。そして山里で2人はひっそりと睦みあって暮らし、やがて一子・信吾を授かった。しかし1年経っても殿の怒りは解けず、結局藤子は再び捕らわれて処刑場に送られてしまう。
誰も藤子を斬りたがらない中、自らその役を担ったのは多田だった。死を前にして藤子は、夫と見詰め合って無言の微笑みを交わした。
そして信吾は家老の頼みを受けた小諸の殿様経由で高倉に預けられ、彼の子として育てられたのだった・・・。

この映画は正直言って、退屈でわけのわからない話です。三隅監督が絵作りに凝っているのはわかりますが、それも才気走って空回りしている印象。ちゃんと映画館のスクリーンで見ればまた違うのかもしれませんが。
事実上前半でクライマックスが来てしまうので、その後は虚無感に支配された主人公の姿が淡々と描かれるだけ。特に旅の途中で出会っただけの女の死に様が何故実母や妹のそれと同等の重みを持つのか、その内面が全く描かれていないので理解できません。あのエピソードが別になくたって、主人公の人生観は変わらないという気がするのですけどね。作り手の独りよがりを押し付けられても困ります。つまらない話をかろうじて雷蔵さんの魅力で保たせている感じで、やっぱり監督より大事なのは俳優の存在だと思った次第です。

映画は冒頭、大映マークに続きいきなり藤村志保さんがアップで登場します。
髪を振り乱し鬼気迫る表情でお方様(側室)を刺し殺し、その場面に乗せて映画タイトル、スタッフ&キャストのクレジット。
場面変わって、白装束で処刑場に座らされている志保さん。首を打つ役の侍・天知先生と何らやら微笑みを交わします。
次の瞬間、刀が閃いて・・・と開始から数分でもう死んでしまいます。
観ている側には何が起こったのかわからないのですが、それは物語が進むにつれ明らかにされていく、と言う趣向です。

志保さんにとってはこれがデビュー作「破戒」に続く二作目で、デビュー作では雷蔵さんの恋人役だったのに今度は母親役でした(と言っても直接共演するシーンはありませんが)、台詞は殆どなくて専ら表情のみで感情表現をするという難しい役を演じきっています。

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ガメラ対深海怪獣ジグラ

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昭和ガメラ第7作目にして最終作(1971年・大映・湯浅憲明監督)

物語。鴨川シーワールド内にある国際海洋動物研究所に勤める石川とトム、その子供の健一とヘレンの4人はボートごと宇宙船に捕獲されてしまう。中にはジグラ星人と名乗る女がいて、東京をマグネチュード13の大地震で壊滅させジグラ星の科学力を誇示する。
大人2人はだらしなく眠らされてしまうが、健一とヘレンはスイッチをあべこべに押して脱出に成功。更にボートがやられそうになった時ガメラが現れ無事救出。
ガメラは宇宙船を攻撃。すると爆破した宇宙船から巨大化したジグラが出現。ジグラの怪光線を浴びたガメラは海底に沈む。一方、子供を追ってシーワールド内に潜入した女は追いかけっこの挙句にトランシーバーの電波を浴びて気絶し正気に戻る。
石川たちはガメラの生死を確かめるため海底に潜るがジグラに捕まってしまう。ジグラは彼らを人質にして全人類に降伏を勧告。すると地球防衛軍の司令官が即座に(!)降伏を決断。しかしその晩、落雷で目覚めたガメラはジグラが寝ている隙に人質を奪い返す。
ガメラはジグラの不得手な陸上に引きずり出して格闘。背びれを叩いてガメラマーチを奏でた後、火炎噴射で焼き殺した。ありがとうガメラ~!

公開の数ヶ月後に大映が倒産してしまったことから、結果的に最後のガメラとなってしまった作品。この映画は一応海水汚染、公害問題を背景にしています。そういえば「ゴジラ対へドラ」も同じ年。時代を感じます。
尤も子供の頃は単純に「ガメラ頑張れ」で見ていただけですが、今見ると倒産間際だけに余りにもお粗末な出来で、目を覆いたくなります。
ジグラとの人類存亡を賭けた戦いが鴨川シーワールド内で展開されるという凄まじいまでのスケールの小ささ…もさることながら、「あべこべスイッチ」や「人質のために全人類降伏」「人間を食料にする宇宙人」「潜水艇でガメラ救出」などなど、ストーリーの大部分が悉く過去のシリーズからの焼き直し。海底が舞台というのもセットを省略するための苦肉の策だったんでしょうね。ジグラのデザインは鋭角的でなかなかかっこいいので、もう少し金をかけて製作できていたらと惜しまれます。
観客の対象年齢を更に下げたのか、主役の子供二人は幼稚園児。当時はこっちも同年代だったからエラソーなことは言えませんが、今見るとキンキン声で小賢しい台詞を吐く様子にイライラさせられます。それにトムってよく見たら藤山浩二、つまり日本人なんですね。大映版ジェリー伊藤か。
セクシーなお姉さんがビキニとミニスカート姿で延々ウロチョロするのは子供に随伴の父兄向けサービスだったのでしょうか。尤も夏休みに子供の付き添いで来るのは殆どお母さんでしたけどね^^;
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関連タグ: ガメラ 大映

皇帝のいない八月

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「新幹線大爆破」「動脈列島」と並ぶ日本三大(?)鉄道パニック映画のひとつ(1978年・松竹・山本薩夫監督)

物語。某年8月14日未明、盛岡で不審なトラックを追跡したパトカーが機関銃で撃たれ炎上した。翌日、内閣調査室長の利倉(高橋悦史)からの連絡で事件を知った陸上自衛隊警務部長の江見(三國連太郎)は自衛隊内外の不穏分子を列記したリストに娘・杏子(吉永小百合)の夫・藤崎(渡瀬恒彦)の名を発見して愕然とする。
夫から東京へ行くとの手紙を受取った杏子は、東京へ向かう寝台車「さくら」に飛び乗る。そこで杏子は、かつての婚約者・石森(山本圭)と再会する。更に夫の藤崎が「さくら」に同乗しており、クーデターの実行首謀者であることを知る。
一方、佐橋首相(滝沢修)は鎮圧作戦を命令。クーデター同時多発は未然に鎮圧される。しかし藤崎一派だけは「さくら」に爆弾をしかけ、乗客を人質に政府へクーデターの黒幕、元首相の大畑(佐分利信)を首班とする内閣の樹立を要求。その間も列車は東京へと走り続け…。

この映画は内容グダグダ。自衛隊のクーデター、それも三島由紀夫にインスパイアされた青年将校が決起するなどという大嘘を描くなら、それ相応の風呂敷の広げ方がありそうなもの。ところが舞台は狭い列車の中と言うスケールの小ささ、しかも話の大半は渡瀬恒彦と吉永小百合と山本圭のジメジメした男女三角関係が中心というショボさ。
唯一ヤマサツらしさを感じさせるのは滝沢修の首相を中心とする政治劇で、本来ヤマサツがやりたかったのはこっちの方なんだんだろうなあというのは伺わせますが、クーデター側の描き方とうまくかみ合わないので話がちぐはぐ。ヤマサツはリアルな題材での政治エンターテイメントには無類の腕を発揮しますが、こういう一から十まで嘘っぱちなポリティカルフィクションには向かなかったんじゃないでしょうか。せめて森谷司郎あたりに撮らせていたら、もう少し纏まりの良いものになったんじゃないかという気もしますが。
内容の薄さに反してキャスティングだけは例によって無駄に豪華。ブレイク前の風間杜夫、伝説の女優岡田嘉子に渥美清まで出ています。
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関連タグ: 山本薩夫 渥美清 松竹

ガメラ対大魔獣ジャイガー

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昭和ガメラの第6作目(1970年・大映・湯浅憲明監督)

物語。大阪万博の展示物としてウェスター島から巨大石像が運び出されようとしていた時、何故かガメラが現れて妨害しようとする。島の言い伝えで、石像を動かすと祟りがあると言われていたのだ。
やがて石像の発掘跡からジャイガーが出現、ガメラと格闘になるが、手足に吹き矢を刺されたガメラはひっくり返ったまま動けなくなる。
ジャイガーは大阪に飛来し大暴れ。そこへ復活したガメラがやって来て格闘となるが、ジャイガーに卵を産み付けられて真っ白になってしまい動かなくなる。
ガメラを救出すべく、弘とトミーの二少年が小型潜水艇でガメラの体内に入ると、卵から孵ったジャイガーの幼虫がいる。それをやっつけ、更にガメラの心臓に電流を流すとガメラは復活。ジャイガーを倒し、その死体を再び石像に封じ込めるべくウェスター島に運んでゆくのだった。ありがとうガメラ~!

大阪万博が開催された当時、その会場を舞台にした作品。建設途中のパビリオンが見られるのは貴重です。太陽の塔、三波春夫、人類の進歩と調和…嗚呼昭和は遠くなりにけり。
今回は過去のシリーズからの使いまわしもなくて予算環境は多少良くなっていた模様。脚本もなかなか練ってあって、特撮映画として一応見られる出来栄えになっています。ただジャイガーはバルゴン亜流でちょっと新味に欠けるか。考えてみれば、モスラ、キングコング、ガッパ…昭和の怪獣はとにかく「南の島」から連れて来れば済んだので、プロットが楽で良かったですね(笑)また、折角石像の運搬を止めに来たはずのガメラが、火山が噴火するとすぐそっちへ行っちゃったり、相変わらず意味不明な展開もあります^^;
のちの「仮面ライダーX」速水亮が炎三四郎という芸名で出演。平泉成も万博ガードマン役で出演しています。
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長脇差忠臣蔵

市川雷蔵主演のやくざ版「忠臣蔵」(1962年・大映・渡辺邦男監督)

物語。幕末、遠州掛川の親分・次郎吉(宇津井健)は民百姓の幸せを願い、勤皇方の桂小五郎らとも気脈を通じていたため、対立するヤクザの藤兵衛(上田吉二郎)と老中・本多備前守(名和宏)に言いがかりをつけられて処刑されてしまう。
代貸の喜三郎(市川雷蔵)は亡き親分の仇を討つため表向き一家を偽装解散、ちりぢりになった子分たちはそれぞれ身を寄せた先で腰抜けと罵られ辛い思いをするが、清水次郎長(島田正吾)らの助力で耐え抜き、仇討ちの時期到来を待つ。
やがて有栖川宮(本郷功次郎)を総督に戴く討幕軍が江戸に向かっていることを知った喜三郎たちは、その期に乗じて備前守を討つべく遂に決起。大前田英五郎の名を騙り浜松に潜入するが途中で本物の英五郎(勝新太郎)と遭遇。しかし喜三郎の決意を知った英五郎は励まし、見逃してくれる。
まず藤兵衛を血祭りに上げた喜三郎たちは、更に討幕軍との交戦で手薄になった本陣に突入、見事備前守を討つ。有栖川宮からその功を称された一同は亡き親分の墓前に仇討ち本懐と新しい時代の到来とを報告するのだった。

と言う訳で、忠臣蔵をやくざの世界、そして時代を幕末に置き換えた任侠時代劇。一種のパロディ物ですが、雷蔵さんが尼になった姐さん(月丘夢路)に別れを告げに行く場面があったり垣見五郎兵衛を大前田英五郎に置き換えるなど忠臣蔵のツボを抑えて有名なエピソードをなぞっています。監督・脚本も傑作といわれる長谷川一夫の「忠臣蔵」(1958年)を撮ったのと同じ渡辺邦男です。

また忠臣蔵と言えばオールスター映画ですが、この映画にも雷蔵・勝新・本郷の大映生え抜き3スターに宇津井・天知茂の新東宝移籍組準スター、大御所島田正吾、中村鴈治郎、大女優月丘夢路、更に浦路洋子、阿井三千子、藤村志保らが豪華出演。
勝新は1シーンのみの出演ながら、雷蔵さんとのタイマン芝居でおいしいところをさらっています。
天知先生は備前守の家臣・小松伊織役。さしずめ吉良おける清水一学みたいな役どころで、悪役ですが雷蔵さんと一対一の対決シーンがあり見せ場もあります。何もそーまで三白眼を剥んでも、という例の形相で登場すると、一瞬にして話の雰囲気が変わってしまうオーラを発散しています。

さて藤村志保さんの役は袋井の太十親分(中村鴈治郎)の娘・おみね。喜三郎の弟分・新三(林成年)はおみねと許婚の仲なので頼って行きますが、太十はいっこうに仇討ちをしようとしない娘婿に怒って追い返し、しかしその後で真意に気づき・・・、という勝田新左衛門張りのエピソードで2シーンほど出演しています。雷蔵さんとの絡みもなく顔見せ程度の出演ですね。もう1、2年後だったらまた違う役柄だったかもしれませんが。
ちなみに、本物「忠臣蔵」の時の雷蔵さんは若手スターの定番・浅野内匠頭の役でしたが、もし元気だったら、いずれテレビドラマか何かで大石内蔵助を演じていたんでしょうねえ。その場合は志保さんが大石りく、天知先生に千坂兵部をやって欲しかったです(笑)

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