悪魔の手毬唄

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石坂浩二主演の金田一耕助シリーズ第2作(1977年・東宝・市川崑監督)。前作「犬神家の一族」は角川事務所の製作で東宝は配給だけでしたが、これ以降は東宝の製作・配給となっています。

物語。岡山県鬼首村。亀の湯旅館に逗留する金田一は、旧知の磯川警部(若山富三郎)からこの宿の女主人リカ(岸恵子)の夫が20年前殺害された事件の再調査を依頼される。
村出身の歌手・別所千恵(仁科明子、現・亜希子)が帰郷した日の夕刻、金田一は調査のため総社の町へ赴く途中、仙人峠で老婆とすれ違う。ここから手毬唄にまつわる連続殺人事件の幕が切って落とされる…。

この映画は私がリアルタイムで見た最初の金田一シリーズ作品、と言うより、怪獣とアニメ以外で初めてスクリーンで見た一般映画でした。金田一が老婆とすれ違うシーンで戦慄が走ったことは今でも覚えています。そういうこともあって非常に印象深いのですが、公平に見てもシリーズ中一番の傑作はたぶんこれでしょう。

原作は言うまでもなく「本格探偵小説」なので、一見怪奇な謎が緻密な推理で解明されることに醍醐味があります。ただ映画でこれをそのままやると謎解き部分のぐだぐだ感がどうしようもなく、しまりのない結末になってしまう恐れがあります。しかしこの作品では、リカに寄せる磯川警部の想いというサイドストーリーの存在がそれを救っています。つまり事件は解決しても悲劇は終わらない(皮肉にも解決することが磯川警部にとっての悲劇となってしまう)というドラマ性が生きているので、この作品を奥深いものにしているのです。
また、原作では真夏に設定されていた季節を冬に変えたのは成功で(単に撮影時期の都合でしょうが)、冬枯れの寒村、どんよりと曇った冬空、暗く濁った沼と言った風景描写がこの作品を情感豊かなものにしています。このシリーズでは「犬神家」が秋、「手毬唄」が冬、そして「獄門島」が夏…と作品ごとに季節感が上手く生かされています。「犬神家」の時はまだぎこちなく感じた独特のカット割りや殺人シーンの間を笑いで繋ぐ手法なんかもかなり手馴れてきています。ただ岸恵子はミスキャスト。リカにはもっと翳りがあるべきなのですが、岸恵子の場合どうしても華やかさが出てしまうのが致命的です。
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犬神家の一族

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言わずと知れた、石坂浩二主演の金田一耕助シリーズ第1作(1976年・角川春樹事務所・市川崑監督)。

ストーリーは有名だし、面倒くさいので書きません。犬神家の遺産を巡って連続殺人事件が起こり、湖にニョッキリ二本足が立つ話ですね、ハイ。このシーンは当時の宣伝ポスターにも使われ注目を引きました。
また、ゴム仮面の佐清、そして何と言っても犬神佐兵衛(三國連太郎)の遺影のもと一族が会同しているシーンの妖しさ・いかがわしさが圧巻で、それがこの映画の成功を決めたと言っても過言でないでしょう。そういう意味で角川映画の第一作として数ある横溝作品の中からこの作品を選んだのは正解でした。

尤も映画の出来としてはさほどのものとは思えませんが。
他の作品でもそうですが推理物、連続殺人物の宿命として第二第三の殺人と続く中盤から謎解きに至る終盤の展開が冗長で退屈、だれます。特にこの映画の場合、うら若き美女が漏斗を口に突っ込まれてるとか木の枝に逆さ吊りされてるとか言うような殺人自体の華やかさもなく至って地味なので、ビジュアル的な見せ場もありません。言い換えればあんまり映画向きの素材じゃないんですが、ただ市川監督以外の金田一作品にロクな物がない(やや拮抗するのはATGの「本陣殺人事件」ぐらいか)ことからすれば、健闘した部類ではあります。

出演者で今見て改めて思うのは、松子を演じた高峰三枝子の存在感です。大家の未亡人らしい気品と貫禄、わが子への献身的な愛情とそのためには人殺しも厭わない冷酷さを名演。子供の頃は単に怖いおばさんだな~としか思わなかったのですが。
それにしても戦前からの正統派大女優がよくこんな汚れ役やったもんですね、何しろ血しぶき跳ね返って顔射ですから。この後も大女優による犯人役は岸恵子、司葉子、佐久間良子と続き、更に実現しませんでしたが山本富士子や吉永小百合という案もあったやに聞いています。でも当然ながら後になればなるほどインパクトは薄くなっていくわけで、やはり最初に引き受けた高峰三枝子に女優魂を感じます。さすがフルムーン(ってその方が後か)。

それと、島田陽子。今からはあんまり想像しにくいかもしれませんが、当時、清楚、可憐なヒロインの第一人者と言ったらこの人でした。
それがこの映画では、佐智(川口恒)に犯されそうになるシーンでなんと乳首を露出。これはずっと吹き替えだと思っていましたが、市川監督にけしかけられた(?)川口恒が事前の了解なしで本当に下着をひん剥いちゃったのだとか。尤もこの時はちらっと見えただけでしたが、、、、テレビ映画「将軍」でヌードになり見事な貧乳を曝け出して世の男性ファンをがっかり(!)させたのはこの4年後のことでした。

ちなみに乳首ポロリの犯人・川口恒はそのたたり?でか、後に麻薬で捕まり芸能界を引退。同じく捕まった妹の晶ともどもこの映画が最後の勇姿となりましたが、てっきり故人だとばかり思い込んでいたら、まだ生きてるんですね、川口恒。いや、クスリの後遺症で体壊して早死にしたもんだと勝手に妄想しておりました。。
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東京オリンピック

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公開当時「記録か芸術か」で物議をかもした、東京オリンピック(1964年)のドキュメンタリー映画(1965年・市川崑監督)。

この映画は、どう評価したらいいんでしょうか…。

開始から30分あたりまで、つまり聖火リレーから開会式まではメチャクチャ素晴らしいです。

戦後19年。敗戦国であり敵国だった日本が立ち直り、その復興のシンボルでもある平和の祭典に世界中から集まってくる人々の顔、顔、顔。
それを迎える日本人もまだ質素で素朴で、今とは確実に違う顔をしています。
そして全ての過去を洗い流し、これからの日本と世界の未来を祝福するかのような青天の下、力強く優しい古関裕而作曲の「オリンピック・マーチ」に乗って繰り広げられる、商業主義化される以前の開会式の原風景。
シンプルでも華やかで、温かみに満ちています(NHK鈴木文弥アナの実況もイイ!)。

泣けます。
涙がこぼれます。
当時を知る由もないにもかかわらず、何でこんなに泣けるのだろうか…というぐらい。
東京オリンピックが行われた時代と、そこに生きていた人間とをきちんと映し出しているので、ノスタルジックな気持ちになれるのです。
今年の北京は勿論のこと、もし8年後にもう一度東京オリンピックが開催されたとしても、こんな感動はもう二度と戻って来ないでしょう。
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ところが。

開会式が終わり個々の競技が始まると、途端に極度の退屈に見舞われます。

確かにスローモーションとか様々なアングルやストップモーションなどは時々はっとさせられます。
しかし基本的には大昔の、何処の国の誰とも知らない選手たちの演技を次から次へと延々見せられるだけですから、現代の我々がその緊張と興奮を享有するのは土台無理な話。やはりスポーツという「筋書きのないドラマ」は市川崑の演出が届かない別次元のものなのだなあと思わされるのです。

ただ、マラソンの円谷幸吉にだけは泣けてしまいます。
土壇場でヒートリーに抜かれて三位に終わったにもかわらず、表彰式での円谷は全てをなし終えた男の、晴れやかで誇らしい表情しています。
後に彼を襲う悲劇をこの時、市川崑は勿論のこと、円谷本人ですら誰一人として知る由もなかったのですから。

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ちなみに当初、東京オリンピック組織委員会は黒澤明監督に記録映画を委嘱。しかし返ってきた答えは、予算とは倍以上の開きのあるべらぼうな製作費の要求額。
結局折り合いがつかづ断念し、その後巡り巡った挙句市川監督にお鉢が回ってきたのだとか。
黒澤版オリンピック映画も見てみたかった気もしますが。


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影の車

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松本清張の連作小説『影の車』より短編「潜在光景」の映画化(1970年・松竹・野村芳太郎監督)。

物語。旅行案内所に勤める浜島(加藤剛)は或る日、帰りのバスの中で偶然幼馴染の泰子(岩下志麻)と再会する。結婚して10年になる妻(小川真由美)との間には会話もなく、団地と職場を往復するだけの平凡で味気ない毎日を送っていた浜島と、4年前夫に先立たれ保険外交員をしながら六歳の息子・健一と暮らす泰子。2人は何度か会ううちに惹かれ合い、結ばれる。
以来妻の目を盗んで泰子の家を訪れる浜島。だが健一が一向に懐こうとしないのが気になる。そればかりか自分への敵意、やがて殺意すら感じるようになる。浜島には幼い日の、忘れることのできない記憶があったのだ…

どこにでもいるごく普通の人間がふとしたきっかけから破滅に追い込まれて行くという清張お得意パターンの短編を、橋本忍脚本・野村芳太郎監督ら清張作品の映画化では定評のあるスタッフが手がけた心理サスペンスの佳作。
この映画はとてもエロいです。
昼間はキリッと髪を束ね背筋をピンと伸ばしてセールスに歩き、家に帰れば子供に優しい清楚な母親。それが夜になると、ガラス戸を1枚隔てて子供が寝ている隣の部屋で息を殺すようにして愛人に抱かれる…というシチュエーションがすごく淫靡な雰囲気。ラブシーンが多い割りにヌードなどはちっとも見えないにもかかわらず、大人のお色気むんむん漂わせた岩下志麻(当時29歳)の、執拗にアップされるエクスタシーの表情だけで十分お腹いっぱいという感じです^^;また、不倫関係に陥る過程も丁寧に描かれていて、例えば最初の訪問時にはなかった灰皿が何度目かの時は用意されていたりするなど、2人の間の距離がだんだん縮まっていく様子がさりげなく自然に描写されています。
そして母親と愛人との関係を、無表情に見つめている子供が実にコワイ。
素で馬鹿なんだか利口なんだかよくわからないぼんやりした顔つきのこのガキ自体も不気味なのですが、ここに加藤剛自身の子供時代の記憶がオーバーラップしていき、かつてやはり自分の母親と伯父が愛人関係にあって、その伯父を憎悪していたことが劇中で予め明かされているので、妄想のリアリティを増幅しています(この母親と伯父を演じる岩崎加根子と滝田裕介が地味なフツーのオバサン、オジサン然としてるところが却って生々しくて、またいやらしい感じ)。芥川也寸志の甘く、そして不安を誘うような音楽も効果的です。私も男ですが「男の子にとっての母親」は「女の子にとっての父親」ともまた違っていて、この逆のパターンで話はたぶん成立しないのでしょうね。
加藤剛は当時ちょうど「大岡越前」を始めた頃だと思うのですが、生真面目で誠実そうなキャラは同じであるにもかかわらずお奉行様とは全く相反する人物を演じ分けています。世間話好きな主婦・野村昭子や刑事・芦田伸介なんかはあまりに典型的な配役なのでちょっと笑ってしまいますが。
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おさな妻

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大映末期のレモン・セックス路線のひとつ(1970年・大映・臼坂礼次郎監督)

物語。17歳の女子高生・黛玲子(関根恵子、現・高橋恵子)は母を亡くし伯母のもとへ引き取られるが、女たらしの従兄弟(炎三四郎、後の仮面ライダーXこと速水亮)に乱暴されそうになり家を飛び出し、保育園でアルバイトをしながら1人暮らしを始める。そこで玲子は母のない園児まゆみに慕われ、まゆみの父・吉川(新克利)とも親しくなり、やがて結婚を決意する…。

gyaoの無料動画で鑑賞。
高橋恵子と言うと、今では気品と落ち着きのあるベテラン女優、という感じなのかもしれませんが、我々の世代からすると舞台をすっぽかして三流作家と恋の逃避行を決め込んだ「スキャンダル女優」のイメージが強いです。実年齢15歳当時に出演したこの映画でも、清純で真面目そうな反面、どことなくいやらしくてふてぶてしい感じがしてしまうのはその先入観ゆえでしょうか。
新婚初夜のシーンで、木の実をかじるリス、赤い花、風にそよく葦…などなどがイメージ映像としてフラッシュバックされるのは噴飯物で時代を感じます。個人的にはそれより冒頭のブルマ姿の方に萌えましたが。って、おっとオジサン発言。
尤も、おさな妻というタイトルの割りに、結婚後は旦那の浮気騒動ぐらいしか事件が起こらないのは物足りません。第一、継子との間に何の葛藤もなく良好な母子関係に終始しているのはキレイ事過ぎ。でもそんなこと描くのが主眼の映画じゃないんでしょうね。
玲子の亡母役が坪内ミキ子、家を飛び出したとき知り合った酔っ払いの舞台女優が渡辺美佐子、「リンゴをかじると歯茎から血がでませんか」のCMでお馴染みだった福田豊土が担任教師役で出ています。
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怪獣大戦争

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私、"ゴジラシリーズ"って括り方はキライなんですよね(1965年・東宝・本多猪四郎監督)

物語。木星の第13番目の衛星Xの調査に向かったP1号の富士(宝田明)とグレン(ニック・アダムス)は、そこでX星人と出会う。X星の統制官(土屋嘉男)はキングギドラを撃退するためゴジラとラドンを貸して欲しいと依頼、その礼としてガン特効薬を提供すると申し出る。しかしそれは真っ赤な偽りで、ゴジラとラドンを手に入れたX星人はギドラともども操り地球を侵略しようとする…

東宝特撮の二大潮流、つまり「ゴジラ」「ラドン」など怪獣物の系列と「地球防衛軍」「宇宙大戦争」などSF物の系列が初めて合体した作品。ゴジラ・ラドン・モスラの三大怪獣がキングギドラを倒した前作「地球最大の決戦」(1964年)から直接繋がる世界観を描いていると考えていいのでしょう(今回はモスラ抜きなのは、ザ・ピーナッツのスケジュール事情か)。ちなみに後年「東宝チャンピオンまつり」でリバイバルされた時は「怪獣大戦争 キングギドラ対ゴジラ」にタイトルが変えられていました。あれ、ラドンの立場は!?

自信過剰気味のX星統制官を演じた土屋嘉男の怪演、波川女史役の水野久美の妖艶さ、そして伊福部昭の高揚感溢れる怪獣大戦争マーチなど見所の多い作品。ヅラを被った田武謙三(世界教育社社長)の似合わない宇宙人役が見られるのもこの映画ぐらいでしょう。ただ特撮は過去作品から使い回しが露骨でパワーダウンが目立ちます。

なお、前作以来人間の味方に転向したと言われるゴジラですが、ちょっと違います。前作では、人間の味方というより義侠心からモスラ個人(?)に加勢したに過ぎないし、今作でも、X星人と人間の間で勝手に利用されていただけで、ゴジラ自身は目覚めたら目前に宿敵ギドラがいたから本能的に戦ったに過ぎません。本格的に転向したのはずっと後の、「ゴジラ対へドラ」(1971年)あたりからじゃないでしょうか。
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モスラ対ゴジラ

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「キングコング対ゴジラ」に続く怪獣対戦物第二弾(1964年・東宝・本多猪四郎監督)。

物語。嵐により打ち寄せられた巨大な卵。それはインファント島から流れ着いたモスラの卵だった。親モスラとともに小美人ザ・ピーナッツが引き取りに現れるが、悪徳商人の佐原健二と田島義文は返さない。やがて干拓地からゴジラが出現、街を破壊する。モスラの助けを借りるため、宝田明&星由里子&小泉博がインファント島を訪れる…

「キングコング対ゴジラ」が高収益を上げたことに味を占めて、今度は東宝自家製の両怪獣の対戦と相成りました。しかし個人的には「キンゴジ」より出来は落ちると思います。
まずゴジラとモスラって対戦相手として噛み合わないし絵になりません。爬虫類と蛾ですから。普通だったらゴジラの圧勝でしょう。それを平和の守り神ということで無理矢理モスラの勝ちに持って行っているところに苦しさを感じます。
また、親モスラ死亡から子モスラ誕生までの間合いが長杉。その間「♪マハラ~モスラ~」という同じフレーズの歌を延々聞かされ続けるだけなので単調で退屈です。前半、ゴジラが転んで電波塔と名古屋城が壊れるぐらいしか都市破壊のシーンがないのも物足りなく、そろそろこの作品あたりから特撮にかけるカネが乏しくなってきたのかなあという感じがします。
本編ストーリーでは、原水爆実験による惨禍が語られるなどゴジラ以来のテーマに回帰しているかに見えますが、その責任を何で日本人が感じなければならないのかが全く不可解。日米安保条約、伊達じゃない!?「いい社会を作ることが恩返しだっ」て、子供の反省めいた締め台詞にも萎えますね。
防衛軍の司令長官と言えば藤田進ですが、意外なことにゴジラ映画出演はこれ1本。3000万ボルト放電作戦を幕僚の「上げるんだ!」の一言で強引に続行して失敗するあたりの展開を見ていると、おそらくこの調子でやって戦争も負けたんだろうな~という軍隊気質がよくわかります。ちなみに昭和の怪獣映画って劇中で政府の影が薄く、専ら自衛隊主導ですね。シビリアンコントロールはどうなってるんでしょうか。
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キングコング対ゴジラ

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怪獣プロレスの決定版(1962年・東宝・本多猪四郎監督)

物語。TV番組「世界驚異シリーズ」の視聴率低迷に悩む宣伝部長・有島一郎は、ソロモン群島ファロ島の「巨大なる魔神」の情報をキャッチし高島忠夫と藤木悠を派遣。キングコングを捕獲し日本に輸送する。
その頃、北極に異変が起こり光る氷山の中からゴジラが復活、日本へ上陸する。動物の本能で互いの存在を察知したコングとゴジラは接近、遂に那須山中で遭遇する…

と言う訳で、日米二大怪獣による世紀の決戦と相成ります。
ストーリーなんぞはこの程度で十分。ここから現在まで続く怪獣対戦物が始まるわけですが、個人的には最初の、この肉弾相打つ両雄の決闘が最も面白いと思います。
そもそも放射能火炎を有するゴジラに対して、徒手空拳で戦うコングは分が悪いのですが、途中から高圧感電の影響で帯電体質になったというこじつけでハンディをカバーさせています。このあたりはなかなか工夫しているという感じ。またシーホーク号遭難から引っ張って焦らしてゴジラ出現に繋げる展開も観客をワクワクさせるツボを押さえた巧みな脚本演出です。
本編の方に目を移すと、視聴率に狂奔するテレビ業界という、映画会社にとってのライバルを出汁に使って皮肉っているところは面白いし、有島一郎らの軽妙な芝居でテンポ良く進み退屈させる部分がありません。
ただラストでの平田昭彦博士の台詞「人間は改めて動植物の自然に適応する生命力に学ぶべきだ」って、物語全体の締めとして一体何を意味してるんだかよくわからないのですが…まぁ、所詮天才の言うことは凡人には理解できませんね^^;
ちなみにゴジラが両腕を交差して脇をパコンパコンと鳴らす動作…これは当時の人気プロレスラー豊登の真似ですね。今では豊登自体が忘れ去られてしまったせいか、「怪獣大戦争」(1965年)での「シェー」ほど知られていないようですが。
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空の大怪獣ラドン

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ゴジラに続く東宝の単体怪獣映画(1956年・東宝・本多猪四郎監督)

物語は、九州の炭鉱で発生した連続殺人事件…と言う、一見怪獣とは何の関係もなさそうなミステリー仕立てで始まります。
やがて炭鉱内から巨大なハサミを持った古代トンボの幼虫・メガヌロンが出現。これにより話は急展開し、今までの犯人もコイツだったことが判明します。
一方、自衛隊機が超音速で飛ぶ正体不明の飛行物体を発見、伊福部昭の軽快なマーチをBGMに追跡するも、途中で急反転して来たその物体に撃墜される事件が発生。
落盤で記憶喪失になっていた技師・佐原健二は、鳥篭の卵が孵る様子を見ているうちに、洞窟内で巨大な卵が孵化して鳥の化け物が誕生、メガヌロンを啄ばんでいたことを思い出します。佐原の証言により古生物学者・平田昭彦博士は、古代の翼手竜プテラノドン、通称ラドンが原水爆実験による異変により眠りから覚めたと断定。やがて阿蘇の火口付近からラドンが飛び立ちます…。

と、映画が残り20分近く経って漸くラドンがその全貌を現すのですが、そこに至るまで小さなエピソードを幾つも重ねながら徐々にサスペンスを盛り上げて行く演出が見事です(子供の頃はじれったかったのですが)。

さて、「空の大怪獣」の名に相応しく優れた飛翔能力を持っているラドンですが、ゴジラの放射能火炎のような武器を持っているわけではないので一方的に自衛隊機の追撃を受けて傷つき、福岡に舞い降ります。そこでまた戦車部隊の集中砲火を浴びますが、更にもう一羽のラドンが飛来し、二羽のラドンはいずこかへ姿を消します。
ラドン対策会議(ここに何故か民間人であるはずの佐原健二まで列席しているのは昭和の怪獣物のお約束)の席上、平田博士は動物の帰巣本能でラドンは阿蘇にいると断定。これに拠りロケット弾を撃ち込むとラドンが出現し阿蘇が噴火。しかし傷ついたラドンにはもはや飛ぶ力もないのか、一羽が力尽きて溶岩流の上に落下すると、やがてもう一羽も折り重なるようにして落下。炎につつまれて息絶えて行きます。
その姿を見つめる佐原、平田博士たちの面持ちには勝利感はなく、むしろ怪獣=巨大なるが故に滅ぼされ行くものに対する限りない哀惜の念が込められています。こうした視点で描かれた怪獣物は意外に少なく、他には初期のウルトラ物の一部にしか見られなかったような気がします。
いつも端正でクールなイメージのある平田昭彦博士ですが、この映画では額に大きな絆創膏を張っていたりして、やや二枚目半的な感じがするのは珍しいです。
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