三大怪獣 地球最大の決戦

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東宝怪獣映画のターニングポイントとなった作品(1964年・東宝・本多猪四郎監督)。

物語。進藤刑事(夏木陽介)は来日するサルノ王女(若林映子)の護衛を命じられるが、王女の乗った飛行機が爆破されてしまう。やがて日本各地に王女そっくりの金星人と名乗る女が出現、「ゴジラ・ラドンの復活」と「5000年前に金星を滅ぼしたキングギドラの襲来」を予言する。
その言葉どおりゴジラ、ラドン、そして黒部渓谷に落下した隕石からはキングギドラが出現。ゴジラとラドンが兄弟喧嘩のような小競り合いをやっている間に、キングギドラは狂ったように引力光線を吐き続け日本各地を破壊する。平和の守り神・モスラは、一緒にキングギドラと戦おうと呼びかけるが、ゴジラとラドンはふてくされて言う事を聞かない。やむなくモスラは独りで戦おうとするが…。

タイトルの「三大怪獣」とは、ゴジラ・ラドン・モスラのこと。つまり地球の三大怪獣がその命運を賭けて宇宙怪獣キングギドラと決戦する、というのがコンセプト。ところが後年「東宝チャンピオンまつり」でリバイバル上映された時にはタイトルが「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 地球最大の決戦」に変えられていました。あれ?ラドンは?

さてこの映画は黒澤明監督の「赤ひげ」の完成予定が延びたために穴埋めで急遽製作されたそうです。
東宝特撮映画の歴史で言えば、この時点で前年だけから見ても「マタンゴ」「海底軍艦」「モスラ対ゴジラ」「宇宙大怪獣ドゴラ」とそれぞれ特色の違う特撮作品を製作・公開して来ていました。
このあたりはバカのひとつ覚えにゴジラシリーズを続けるしか能がなかった平成時代と違う、昭和特撮の素晴らしいところですが、、、ただ残念ながら「ドゴラ」は失敗でした。
そこへ急遽新作製作の指令。やむなく既存の三怪獣ゴジラ、ラドン、モスラを投入してお茶を濁しますが、それだけじゃ様にならないので、ドゴラから宇宙怪獣というコンセプトだけ引継ぎキングギドラも新登場させます。かくして本作では1度に四怪獣が登場する豪華版となった次第(だと思う)。

ただ、結果から見ればこれが裏目になり、怪獣映画の行き詰まりと以後の迷走を招いてしまいました。
その最たるものが、ゴジラの「転向」です。
「モスラ対ゴジラ」で憎々しい敵役を演じたばかりのゴジラですが、そのモスラとも共闘して宇宙怪獣を迎え撃つとなれば自ずと人間寄りにならざるを得ません。とは言え、いきなり180度転向して「人類の味方」になる、という発想はまだなかったと見え、敵なんだか味方なんだか曖昧な描かれ方がされています。
現に、よく見るとこの映画でのゴジラ(とラドン)は単なる義侠心からモスラ個人に加勢したに過ぎず、必ずしも人類の味方になったわけじゃないんですね。この曖昧模糊としたゴジラの立場はこれ以降も暫く続き、「ゴジラ対ヘドラ」(71年)に至って突如「正義の怪獣」としての登場を果たす、というわけのわからん経緯を辿りますが…、いずれにしろこの映画がその分岐点になったことだけは間違いないでしょう。

それはまあ後のこととして、この映画の特撮では隕石からキングギドラが出現するシーンやゴジラとラドンの初コンタクトシーンなどは迫力があります。また、ギドラとの決戦では、ふわふわ飛んでいるだけで一見役立たずっぽかったラドンがモスラを背中に乗せて共同攻撃を図るという頭脳プレーを見せるのは(ラドンファンとしては)うれしいところ。
これ以後ゴジラのライバルとなったキングギドラは一本調子な芸風(笑)が個人的には嫌いなのですが、よく首が絡まないもんだと操演技術の高さに感心します。

本編に目を向けると、王女を狙う暗殺団、それに王女とボディーガードとの「ローマの休日」っぽいほのかな恋を絡ませた筋立ては、急遽企画されたにしてはなかなか面白くできており、さすが関沢新一(脚本)は娯楽の職人。
ちなみに伊藤久哉が演じた暗殺団のボス役は土屋嘉男の代役だったそうですが、無表情な台詞棒読み口調の不気味さが役にはまっており、適役だったと思います。尤も、落石を抱きかかえて墜落死する際のマヌケっぷりは何とかならなかったのでしょうか^^;;
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若親分千両肌

市川雷蔵主演の「若親分」シリーズ第8作(1967年・大映・池広一夫監督)

物語。青柳組の一人息子・栄吉(山口崇)と間違えられて襲われて負傷した南条武(市川雷蔵)は、偶々通りかかった奇術師の昇天齋辰丸(長門勇)一座に助けられ、同一座で働く。
青柳組では親分の竜作(東野英治郎)が病床に臥せっている間、代貸の黒崎(北城寿太郎)が取り仕切っていたが、黒崎は新興やくざの赤松(織本順吉)と通じていた。養女の君江(藤村志保)は義兄・栄吉の帰りを待っていたが、やくざの父を嫌う栄吉は女給の葉子(久保菜穂子)に入れあげ家を飛び出したままだった。
或る日、海軍時代の同期生・水上少佐(藤巻潤)と再会した武は、青柳組が建設中の海軍秘密兵器工場を訪ねて、酸素魚雷の発射実験を見学する。しかしその夜、工場が爆破され秘密兵器の設計図が盗まれ、武と水上、竜作に疑いがかけられる。江藤技術少尉(木村玄)の挙動を怪しんだ武はその後をつけて大杉天道(三島雅夫)の道場を訪れる…

シリーズ最終作。シリーズ当初は明治末期が舞台でしたが、本作では昭和初期まで時代が来ていました。雷蔵さんが元気ならまだ続く予定だったのかどうかわかりませんが、上海事変やロンドン軍縮会議が語られるなど戦争の足音が近づきつつある時代になると、「海軍士官上がりのやくざ」という設定はいささか具合が悪いです(五・一五事件の海軍将校の中にも若親分の同期生がいた、なんてことになったら洒落になりませんし)。
しかし時代を明治から昭和まで思いっきり進ませてしまった原因は、おそらくそろそろ大映の懐具合が悪くなって、セットで明治の町並みを再現するのが難しくなってきたからでしょう。昭和初期ならこの映画の製作された昭和40年代初め頃にはまだロケでもごまかしがききます。

本作には藤村志保さんや久保菜穂子、伊達三郎などお馴染みに加えて長門勇や山口崇、財津一郎、織本順吉などそれまでの大映作品で見かけなかった顔ぶれが大挙出演しています。若親分が奇術師一座で働くという導入部は面白そうだったのですが、実際のストーリーにはあんまり関係なく残念。折角財津一郎なんか出ていてもコメディリリーフほどの役割がないのも勿体無い感じ。ただ、長門勇が大陸仕込みの空手の使い手と言う設定で、腰の据わったアクションを見せてくれるのはうれしいです(ちなみに熊髭の水兵役は国際プロレスのレフェリーだった阿部脩)。
東野英治郎と藤村志保さんは「白い巨塔」「座頭市鉄火旅」に続き父娘役。「昔気質の老親分=善、権力と結託した新興やくざ=悪」という構図の中で老親分が殺され、若親分がそのあだを討つパターンは前にもありましたし、「眠狂四郎」などと違ってこのシリーズでの志保さんはいつもか弱きヒロインばっかり。毎度同じ役柄なので新味がありません。
若親分が去って行くラストシーンでは藤巻潤の歌う主題歌が流れます。これが高倉健の東映任侠映画だったら歌も主演の健さんが歌うところなんですが…雷蔵さん、歌は苦手だったのでしょうか。それにしても「♪たーけしーたーけしーなーんじょーたーけしー」ってコーラスはちょっとまぬけです^^;;


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ニッポン無責任時代

無責任男ここに誕生(1962年・東宝・古沢憲吾監督)

物語。競馬で会社をしくじり失業中の平均(植木等)は太平洋酒の社長・氏家(ハナ肇)に取り入りまんまと入社。しかし毎日遅刻と無責任振りを発揮する。
その頃、乗っ取り屋の黒田(田崎潤)と黒幕の山海物産社長・大島(清水元)が株を買占め会社の乗っ取りを図っていた。平は大株主の富山(松村達雄)を接待して防衛策を講じるが失敗。会社は乗っ取られるが平は今度は新社長の黒田に取り入り部長に出世。
氏家の息子・孝作(峰健二、後の峰岸徹)と大島の娘・洋子(藤山陽子)は恋仲にあったが双方の親が許さない。平がその仲を取り持ち、更に氏家は社長に復帰するが、平は大島に嫌われクビになってしまう。しかし1年後、孝作と洋子の結婚披露宴が催された時、そこに平があっと驚く姿で現れる…

底抜けに明るく陽気な植木等のパワーが炸裂する、主演第1作目。ここから歴史に残る無責任男のキャラクターも誕生しました。
植木扮する主人公は押しが強く、口からでまかせで調子のいいことを言いながら出世して行ってしまう男。その言動が面白い反面、考えてみればかなり嫌な野郎でもあります。
ただ結果的に出世するとしても本人は割りと無頓着でその日その時を面白おかしく過ごせればいいという、文字通りの無責任。殆どいきあたりばったりで失敗も多いのですが、それでも何故だか最後には帳尻が合ってしまい、自分ばかりでなく周りのみんなもハッピーになって終わります。というわけで、見ているこっちも幸せな気分になれる痛快喜劇映画です。
「スーダラ節」「無責任一代男」など青島幸男作詞・萩原哲晶作曲のお馴染みソングもふんだんに盛り込まれていてミュージカル映画の要素もあります。何しろ道を歩きながら突如歌い踊り始めるんだから凄い。日本人のミュージカルって見てる方にも照れが入りますが、全く違和感ないのは植木等ぐらいでしょう。
実際は脚本に穴が多くて話の辻褄が合わないところもなくはないのですが、この映画に限ってそんなことはどーでもいい感じ。筋立てやギャグも今から見れば古めかしいところはありますが、万民の心を明るくする植木等の魅力は不滅でしょう。
この作品はクレージー映画でもあるので、他のメンバーも主要な役どころで出演。谷啓はハナのワンマン社長と植木の無責任社員に挟まれた中間管理職で、後の「釣りバカ」佐々木課長の原型か。石橋エータローのオカマ芸も見られます。
社長秘書役重山規子は途中で突然、美脚も艶かしく踊り子姿で出て来てびっくりしましたが、それもそのはず日劇ダンシングチーム出身なのだとか。
ハナの息子役峰岸徹は、若いし名前が違うし、それにてっきりずっと大映の人だと思っていたので最初はわかりませんでしたが、よく言われるようになるほど赤木圭一郎にちょっと似てますね。


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座頭市と用心棒

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時代劇版「ガメラ対ゴジラ」、或いは「ジャイアント馬場対アントニオ猪木」(1970年・勝プロ・岡本喜八監督)

物語。血で血を洗うやくざ旅に飽きた市は三年前訪れたことのある平和な里にやってくる。しかし里のまとめ役だった兵六(嵐寛寿郎)は落ちぶれ今では小仏の政五郎(米倉斉加年)というやくざに支配されて荒み切っており、優しい娘だった梅乃(若尾文子)も金で身を売る女になっていた。
座頭市が来たことを知った政五郎は、用心棒の浪人(三船敏郎)に百両で市殺しを頼む。政五郎は父親で対立する烏帽子屋弥助(滝沢修)が密かに隠し持っているという金を狙っていた。
更にそこへ烏帽子屋の末息子で金座の養子になっている三右衛門(細川俊之)、その用心棒で正体は幕府隠密の九頭竜(岸田森)らも現れ、やがて欲に取り憑かれた金の亡者どもの殺し合いが始まる…

この映画の音楽は「ゴジラ」でお馴染み、「座頭市」シリーズも大半を手がけている伊福部昭です。
でもこの映画じゃ控えめ、劇中でさっぱり目立たちません。なんとも中途半端で画面に合っていないというか、いつもはあれほど印象的な伊福部サウンドなのにねえ。。。と巨匠伊福部昭を以ってしても時代劇界の二大怪獣、座頭市と用心棒の競演につけるテーマ曲はなかったのかと、妙に納得してしまいました。
尤もこの映画での三船は「用心棒」と言っても「三十郎」ではなく、かなり嫌味でねちっこい性格。女にメソメソして情けないし、からっとして豪快だった三十郎をイメージしていると裏切られます。
一方座頭市はいつもの座頭市ですが、この頃の勝新はあまりにも太り過ぎ。当然殺陣にキレもなく、ただのコミカルなデブ。
物語は当然この2人を主軸に展開するのですが、顔をあわせれば「バケモノ」「ケダモノ」と罵り合っていて、少しは信頼しているのかそれとも嫌い抜いているのか要領を得ない関係がだらだら続くのは見ていて辛いです。
勝新、三船に加えて若尾文子、滝沢修、嵐寛寿郎らのビッグネーム、米倉斉加年、岸田森、細川俊之、神山繁、寺田農、草野大悟ら個性派が大挙出演。
と、キャスティングは大変賑やかですが、ストーリーの方はやはり登場人物が多過ぎたせいかごちゃごちゃとまとまりない感じ。
特に若尾文子と滝沢修はミスキャスト。若尾はどう見てもクールな悪女なのに描かれ方は薄幸なヒロインだし、滝沢修も上手いんですけど最後が新劇調の誇張された芝居になってしまうところが痛い。
唯一の儲け役は顔色の悪い殺し屋を演じた岸田森だけか。
いろいろ不満を言い出すとキリがありませんが、とは言え、「ガメラ対ゴジラ」や「ジャイアント馬場対アントニオ猪木」のように実現不可能で終わってしまうカードが数ある中では、まさかまさかの夢の顔合わせ。この映画の意義はそれだけで十分なのでしょう。
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四谷怪談

「善人」の民谷伊右衛門(1959年・大映・三隅研次監督)

物語。無役の小普請組・民谷伊右衛門(長谷川一夫)は傘張りで生計を立て釣りで憂さを晴らす毎日。或る日、酔っ払いの侍にからまれていた大身の旗本伊藤家の娘・お梅(浦路洋子)を救う。
伊右衛門と一緒になりたいとせがむお梅のため父・喜兵衛(嵐三右衛門)は、伊右衛門の悪友・秋山(須賀不二男)、関口(杉山昌三九)と結託。伊右衛門の妻・岩(中田康子)と民谷家の小者・小平(鶴見丈二)の密通をでっちあげ、離縁させることを思いつく。
さらに秋山の中間・直助(高松英郎)が伊右衛門からの薬と偽って毒薬を岩に届ける。それを飲んだ岩の顔は醜く変色していく・・・。

普通「四谷怪談」と言えば、色と欲に目がくらんだ民谷伊右衛門が古女房のお岩に毒を盛って殺害、亡霊となって現れたお岩の姿に祟られ…というのが定番。
しかし演じるのが天下の二枚目大スターの長谷川一夫御大とくれば、悪人にするわけにはいかなかったのか、この映画での伊右衛門は基本的にいい人。
悪いのは周りの奴等で、伊右衛門の知らないところでお岩に罠をかけ殺害。真相を知った伊右衛門が「岩の怨み!」とか言いながら悪人どもを成敗するというお話。
お岩の顔のメイクもさほど怖いはないし、ラストシーンでは、息絶えた?伊右衛門の体の上にお岩の着物がそっとかぶさって、悲しいながらも純愛を貫くハッピーエンド(?)。
いや、こういう四谷怪談もアリなのか…と呆れるやら感心するやらの不思議な作品です。同じ年に新東宝でも天知茂主演の「東海道四谷怪談」(中川信夫監督)が作られ、当時興行的には長谷川御大を擁する大映の圧勝だったようですが、半世紀経った今日、名作の誉れ高いのは天知版の方…というのもうなづけます
お岩を演じた中田康子が大映・永田社長の愛人だったのは有名な話ですが、伊右衛門に尽くし尽くす一方ダンナの脱いだ着物に付いた他の女の残り香に嫉妬で震えるシーンなどを見ていると、実生活でもこうだったのかなと想像させたりして。それにしても長谷川御大のチャンバラシーン、まるでスローモーションで見るようなゆったりしたリズムですねえ。。。


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妖怪百物語

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「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」の併映作(1968年・大映・安田公義監督)

物語。但馬屋利右衛門(神田隆)は寺社奉行の堀田豊前守(五味龍太郎)と結託して長屋を取り壊し、岡場所を作ろうと目論む。その余興に備前守らを招き噺家(八代目林家正蔵、後の彦六)の百物語の会を催す。百物語の終りには必ず憑き物落しのまじないを行う作法になっていたが、利右衛門はまじないを施さず、客たちに土産の小判を渡して帰してしまう。すると帰途についた客たちはおいてけ堀の不気味な声に脅されて、小判をすべて堀の中に吸い込まれてしまった…。

所謂大映の「妖怪三部作」の第1作目。悪人たちが妖怪たちに祟られ取り殺されるという話ですが、さほど怖くはありません。但馬屋の少し頭の弱い息子・新吉(ルーキー新一)が描いた傘のお化けが動き出して来て(アニメーションの合成&操演)、新吉と戯れる描写などユーモラスな面も強いです。
併映の「ガメラ対バイラス」が大幅に予算を削られチープな作りになっているのに比べると、こちらはさすが時代劇作りの伝統ある京都撮影所の製作だけあって、美術や特撮はきちんと造られています。
妖怪たちの造形も今から見れば他愛もありませんが、CGでは表せない手作りの温かみが感じられます。
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大魔神

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特撮時代劇「大魔神」三部作の第1作(1966年・大映・安田公義監督)。

物語。時は戦国。家老・大館左馬之助(五味龍太郎)と腹心の犬上軍兵衛(遠藤辰雄、太津朗)の謀反で殿を殺された花房家の忠臣・小源太(藤巻アデランス潤)は若君の忠文(二宮ガム秀樹@マグマ大使)と姫君の小笹を連れて山へ落ち延び、魔神を封じた武神像の近くに隠れ住む。
それから十年。
領民を苦しめ暴虐の限りを尽くす左馬之助を討とうと忠文(青山良彦)と小源太は山を降りるが逆に捕らえられてしまう。 兄たちが処刑されるのを知った小笹(高田美和)が武神像に祈りを捧げ、滝に身を投じようとした時、武神像が大魔神となって動き出す…。

この映画の封切当時の同時上映作は「ガメラ対冷凍怪獣バルゴン」だったようです。と言うと、なーんだやっぱりガキ向けかと言う感じですが、2作目の「大魔神怒る」は勝新太郎主演「座頭市海を渡る」、3作目の「大魔神逆襲」が市川雷蔵主演「新書忍びの者」と併映だったところを見ると、必ずしも子供が対象というわけではなさそう。当時は東宝の怪獣物も若大将シリーズなんかと二本立てだったし、特定の客層にターゲットを絞った興行形態を取ってはいないんですね。映画は老若男女全ての大衆の娯楽という前提からでしょうか。

内容の方は、極悪非道の領主が暴虐の限りを尽くし、最後の最後に大魔神に蹴散らされ因果応報で滅ぼされるという徹底した勧善懲悪の大筋は3作とも共通します。ただこの第1作では、魔神と、魔神を封じ込めている神(武神像)とが別々のものとして語られているのでちょっと話がわかりにくいです。この点では大魔神と武神像を単純に一体のものとした2作目の「大魔神怒る」の方が話はすっきりしています。

先に「大魔神怒る」のレビューで既に触れましたが、このシリーズの真の主役は善男善女でも大魔神でもなく、実は悪役。土壇場までとことん悪業三昧をやりたい放題だし、最後のやられっぷりの小気味良さも含めて、これほど悪役が目立つ時代劇も少ないでしょう。
一方、善玉役の藤巻潤は芸もなくあっさり捕まってしまうので、さっぱり見せ場がありません(その代わり拷問シーンで自慢の筋肉美を見せ精一杯自己主張!?)。
ヒロイン役高田美和は当時19歳ぐらいでしょうが、はれぼったい下唇の艶かしさは後年「軽井沢夫人」になる素質も既に十分という感じ。
また、いつも悪役が多いしゃくれ顎の伊達三郎は忠臣の1人、キツネ目の木村玄(元)は虐げられる領民と、今回は善人の側でした。
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大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス

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昭和ガメラの第3作目(1967年・大映・湯浅憲明監督)

物語。富士山が噴火し、溶岩に惹かれてガメラが現れる。
高速道路建設工事の主任・堤(本郷功次郎)は工事への影響を懸念する。工事は立ち退き料の吊り上げを狙う地主たちの抵抗でただでさえ遅れがちだった。
やがて山中から謎の怪光線が目撃され、調査団のヘリも真っ二つにされる。村長(上田吉二郎)の孫の英一は記者を案内して山に入るが、コウモリの化け物のような怪獣が出現し記者は食べられてしまう。英一もピンチに陥るが、ガメラが現れ脱出。英一はガメラの背中に乗せて貰う。
怪獣は「ギャオ~って鳴くから」(by英一)という安直な理由でギャオスと命名される。また動物学の権威・青木博士(北原義郎)はもっともらしい顔で「ギャオスは強いて言えば『怪獣類』でしょう」とわかりきった見識を披露する。
自衛隊機はギャオスの超音波メスで悉く撃墜されてしまう。やがてギャオスは名古屋に飛来。そこへガメラも現れ中日球場(のちのナゴヤ球場)上空で大空中戦が繰り広げられるが、夜行性のギャオスは日の出とともに逃げ帰る。
対策本部は英一の発案でギャオスをグルグル回してめまいを起こさせ夜明けまで釘付けする作戦を敢行するが失敗。更に英一の言葉をヒントに村長は山火事を起こしてガメラを呼び寄せる計画を提案。その目論み通りガメラがやって来てギャオスと再び対戦。ガメラはギャオスを富士の火口に引きずり込んで勝利した。
ありがとうガメラ~!

昭和ガメラの中で最も人気のある怪獣ギャオスが登場。
超音波メスで何でも真っ二つに切ってしまい、黄色い眼に赤い目ん玉、鋭角的な風貌が恐ろしくもカッコよく、私も子供の頃はゴジラ、ガメラに次いでたくさんお絵描きしたものです(笑)
特にガメラとの大空中戦は圧巻で、これはゴジラ物には真似できなかった芸当(後にゴジラも「対ヘドラ」で飛んでみせ、そのカッコ悪さで当時のちびっ子たちをすら唖然とさせましたが)。日の出とともに赤く光り出すギャオスの頭頂部、その足を咥えて離さぬガメラの攻防戦は手に汗握ります。
ちなみにギャオスは平成ガメラにも登場しましたが、魔法使いのお婆さんのようにくしゃっと潰れたブサイクな顔になってしまいガッカリ。ああいうのはギャオスと認めません!

それはともかく、昭和ガメラは本作から子供向けになったと言われることが多いですが、私個人はその過渡期の作品と考えています。確かにガキがしゃしゃり出てきてウザイのですが、あくまで主役ではなく狂言回しの役割。映画そのものはさほど子供に媚びた作りにはなっていないと思います。
また、この映画では高度成長の社会情勢のもと、道路建設公団=善、立ち退きを拒む地主=悪という構図になっている点が時代を感じさせます。環境問題を背景に、今なら逆の描かれ方になるでしょうね。

大映特撮には東宝の佐原健二、平田昭彦のような常連役者が少ないですが、強いて言えば佐原的なポジションが本郷功次郎で、博士役に該当するのは北原義郎か(平田博士に比べるとかなりトンチンカンですが)。「ブヒヒヒ」と言う感じの喋り方が特徴的な上田吉二郎も印象深いです。
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座頭市物語

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勝新太郎主演の座頭市シリーズ第1作(1962年・大映・三隅研次監督)

物語。下総のやくざ・飯岡の助五郎(柳永二郎)の許へ草鞋を脱いだ風変わりな座頭・市は、盲目のやくざで居合い抜きの達人。
或る日、溜池に釣りに行った市はそこで労咳(結核)病みの浪人・平手造酒(天知茂)と知り合い、意気投合した2人は酒を酌み交わす。平手は助五郎と対立する笹川の繁蔵(島田竜三)に雇われた用心棒だった。
互いに心惹かれ合う市と平手。しかし運命に導かれるようにして、やがて対決の時を迎える…。

「勝新=座頭市」の長~い付き合いの始まりとなった作品。
この第1作では、後の「勝新ワンマンショー」的な超人ではない、綿密に練られた脚本・演出の上に人間くさい座頭市の姿が描かれています。曲芸のようにやたらと居合いを振り回すこともなく、見せるのは要所だけで斬るのも3人と控えめ。
サイコロ博打のイカサマや蝋燭斬りなど、後にシリーズで見慣れるシーンは出てきますが、それも「たかがメクラ」と侮る世間への強烈な反骨精神の表れ。
また、そうした市の生き様を見抜き、己れの死生観と対置させる平手造酒も単なる凄腕のライバルではなく、真にわかりあえる心の友として描かれています。
従ってその平手を最後に斬らねばならぬ市の辛さ、悲しみが切々と伝わってきます。
もし「座頭市」が安易にシリーズ化されることなくこの1作かせえぜえ2作で終わってたら「用心棒」「椿三十郎」の三船と仲代のように語り継がれたかもしれません。尤も、そしたら勝新の人生も随分変わっていたでしょうが。

天知先生は新東宝倒産後、初の大映出演作品。血を吐きながら斬りまくり「座頭市・・・待っていたぞ・・・」とニヤリと笑い、「つまらぬ奴の手にかかるより貴公に斬られて死にたかった…」と息絶えるニヒルな死に様のかっこよさは絶品。
柳永二郎の飯岡の親分もステレオタイプな悪党ではなく、一筋縄ではいかない肉の分厚いキャラを好演しています。
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新悪名

勝新太郎&田宮二郎の「悪名」シリーズ第3作(1962年・大映・森一生監督)

物語。かつて河内の暴れん坊として鳴らした朝吉(勝新太郎)は14年も兵隊に取られ、敗戦とともに漸く復員。しかし一生を誓った恋女房お絹(中村玉緒)は他人の妻になっており愕然とする。
朝吉の生還を祝う酒盛りの夜、幼馴染の妹・月枝(浜田ゆう子)が進駐軍に強姦され家出する。月枝を捜しに大阪へ行った朝吉は、そこで死んだ弟分の貞(田宮二郎)の実弟・清次(田宮・二役)と出会う。月枝は清次と情婦のお雪(万里昌代)が作ったパンパンの組織に入っていた。
朝吉は貞の未亡人お照(藤原礼子)らと闇市で雑炊屋を始めるが、お雪の父親で昔朝吉の子分だった勝(須賀不二男)と三国人の金子(沢村宗十郎)は闇市を潰して娯楽場を建設しようと企んでいた…

「悪名」「続悪名」(1961年)のヒットを受け、この第3作から事実上のシリーズ化。ただし前作の最後で田宮扮するモートルの貞は死んでしまっているため、瓜二つの弟・清次という設定で復活。個人的には最初の2作より、田宮=清次のスタートとなったこの「新」の方が好きです。

物語の舞台は前作までの戦前から戦後へと一挙に飛び、戦争から帰ってきた朝吉は最初ややプチ浦島状態。愛妻お絹は再婚しているし(実生活では当時新婚真っ最中だった勝新と玉緒が、この映画の中では別れる設定になっているのがミソ)、かつての悪名も通じずパンパンの女どもからオッサン呼ばわりされボコられる始末。もともと二枚目ではない勝新の良さは豪快さの中に男の可笑しみ哀しみを出せるところにあると思うので、非の打ち所のない男ぶって凄んでいるだけだった前作より、本作での描かれ方が好感が持てます。
勿論そのままで終わる勝新、いや朝吉ではないので、やがて決起した闇市の住民たちとともにやくざども相手に大立ち回り。最後は得意の着流しでびしっと決めて見せてくれるのはやはり銀幕のスターの貫禄。

一方田宮二郎は役柄が貞から清次に変わって更に軽佻浮薄パワーがアップ。前2作までは多少見られた硬さも取れ、英語交じりの流暢な関西弁を操り水を得た魚のようにイカすニイちゃんを熱演。まっ赤なシャツに黒革のジャケットをはおって、ジーパンを履いた足がおそろしく長く、このかっこよさはハッキリ言って裕次郎なんか目じゃありません。

他の出演者は前2作に比べるとやや小粒ですが、イタリア映画に出てくるようなセクシーでエキゾチックな美人・万里昌代、オカマの茶川一郎、コワモテなのに人の良い伊達三郎など、個性豊か。
進駐軍、農地解放、闇市のマーケット、パンパン、三国人、リンゴの歌…大映の美術も素晴らしく、戦後の焼け跡に生きる人々の熱気が描かれていて時代の空気がよくわかる一篇でもあります。


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