座頭市果し状

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座頭市の歌が聞えます(1968年・大映・安田公義監督)

物語。秩父にやって来た座頭市(勝新太郎)は医者の順庵(志村喬)と娘のお志津(三木本賀代)の家に世話になる。その頃手配中の強盗一味(小松方正、井上昭文、野川由美子ら)が江戸から逃げてきて松五郎(土方弘)一家に潜伏する。一味の浪人(待田京介)は順庵の息子だった…

シリーズ第18作目。
シリーズもここまで来ると、だいぶ当初とは様変わりしていますね。

勝新太郎が主題歌を歌っています。
五社協定も既に有名無実化していたのか、大映以外の様々な顔ぶれが出演しています。
ストーリーが劇画チックで、かなり殺伐として来ています。

本作の見所は、座頭市と強盗一味&松五郎一家との壮絶な戦い。やや小粒でこれと言った大物はいないものの、待田京介、小松方正、井上昭文ら個性的なキャラでストーリーの薄さを補っています。
鉄砲で撃たれて片腕の使えない市の、力任せに殴りつけるような殺陣が見ものです。

志村喬は、口は悪いが患者思いの「酔いどれ天使」的な医者の役で存在感を発揮。
野川由美子は格から言ってもただの悪女で終わるはずがないと思ったら、案の定最後は改心して市を助ける役。ただ、その改心の仕方があまりにも唐突で、人物描写が杜撰です。
主要キャストの中で三木本賀代は唯一の大映専属。割と好きな女優さんなのですが、イマイチ個性が弱かったのか今まで見た中ではあんまりいい役を貰っていませんでしたが、この作品ではヒロイン格なのは嬉しいです。
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関連タグ: 勝新太郎 大映
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黒蜥蜴

江戸川乱歩の原作小説を三島由紀夫が劇化した作品の映画化(1962年・大映・井上梅次監督)

物語。怪盗・黒蜥蜴(京マチ子)から宝石商の岩瀬(三島雅夫)に、一人娘の早苗(叶順子)を誘拐するという脅迫状が届く。護衛のため雇われたのは、自称日本一の名探偵・明智小五郎(大木実)。女賊対名探偵の、虚虚実実の対決が始まる…!

脚本・新藤兼人、音楽・黛敏郎、そして主演はグランプリ女優・京マチ子という超豪華な顔ぶれで製作されたミュージカル仕立ての不思議な作品。
何しろ乱歩のオリジナルではなくて三島の戯曲が事実上の原作なのです。三島独特の修辞に満ちた長台詞が飛び交う人工的世界を、舞台ならともかく映画で表現するのは非常に不自然。ならば、と言うわけなのか、ミュージカルの要素を導入して(ミュージカルそのものではなない)軽演劇風に仕上げられています。その結果、物語の不自然さは救われたものの、作品の意図がどこにあるのかよくわからないものになってしまいました。
まずタイトルバックからいきなり、三島由紀夫作詞による「黒蜥蜴の歌」に乗せて鞭をふるいながら編みタイツ姿で踊る京マチ子が登場します。更に、早苗の誘拐に失敗して警官隊に追い詰められた京マチ子は紳士に変装してくるくる踊りながら逃げて行く。京マチ子はOSK出身だから踊りは堂に入ったものなのですが、この唐突感には唖然。しかし、更に次々と奇抜な演出が繰り出されます。
場面変わって岩瀬邸。「♪用心棒ったら食いしん棒~」と言う、緊張感のない歌と踊りに興ずるのは丸井太郎(「図々しい奴」)、北城寿太郎(「大怪獣ガメラ」の自衛隊司令官)、藤山浩二(「ガメラ対バルゴン」の極悪人・小野寺)、そしてヒゲの阿部脩(プロレスラー)などなどおよそミュージカルに似つかわしくない面々。女中に化けた黒蜥蜴の手下の女は「黄色い獅子、朝のたてがみと夜の尻尾」とか何とか三島特有の唯美的レトリック丸出しの台詞で暗号電話。そして早苗誘拐に成功した手下たちはご褒美に黒蜥蜴から「爬虫類の位」とやらを頂戴し、大喜びでまた踊り出す。それを横目に見ていた川口浩は「ボクはいつになったら爬虫類になれるのですか?」と恨めしそう。
極めつけは、明智小五郎が自分を鼓舞する台詞「しっかりしろ、日本一!」。って、どこの世界に自分に日本一って呼びかける奴がいるんじゃいっ。うーむ、当時まだ乱歩先生はご存命だったと思いますが、これをどうご覧になったのかしら。三島雅夫のおやじの、一人だけテンション高いバカ笑いもやたら印象的。
明智役は何故大映専属の俳優がやらなかったのか不思議ですが、考えてみれば確かに船越英二、菅原謙次、根上淳じゃイメージ違うし、天知茂はまだ新東宝か。それにしても無骨でイモっぽい大木実にはインテリジェンスや色気が感じられず、とうてい黒蜥蜴が惚れそうに思えないのですが。
ちなみに、監督の井上梅次は後にテレビの「江戸川乱歩の美女シリーズ」でもメイン監督。「黒蜥蜴」も「悪魔のような美女」(黒蜥蜴は小川真由美、明智小五郎はもち天知茂)のタイトルでドラマ化されているので、比較して見るのも面白いかも。


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関連タグ: 江戸川乱歩 三島由紀夫 大映

黒の試走車(テストカー)

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「黒」シリーズの第1作目(1962年・大映・増村保造監督)

物語。タイガー自動車が開発中の新車が極秘テスト走行中に事故を起こし、業界紙にすっぱ抜かれた。更に新車のデザインがライバル、ヤマト自動車に盗まれてしまう。社内にスパイがいるらしい。企画部長の小野田(高松英郎)と朝比奈(田宮二郎)はスパイを割り出し、万全の手を打って販売予定価格を決定。しかし、またしてもその価格がヤマトに盗まれてしまう。朝比奈は恋人の昌子(叶順子)をヤマトの企画室長・馬渡(菅井一郎)に接近させ、相手の予定価格を盗み出させるが…

「サラリーマン・スリラー」と銘打って公開された梶山季之原作の産業スパイ映画。
自動車業界の新車開発競争を背景に、会社のため、出世のためなら脅し、強請り、買収、盗聴、陰謀、そして恋人の体を道具に使うなど、どんな手段をも厭わない企業戦士の熾烈な姿を描いています。
会社にライバル会社のスパイが潜り込んでいて情報がどんどん漏れてしまい、そのスパイを摘発したと思ったのに、またしても情報が漏れてしまい、誰が犯人(スパイ)なのか最後の最後までわからずスリル満点。ライバル社の向かいのビルのトイレから会議を盗撮して読唇術師に解読させたり、やることなすことえげつない。特に産業スパイの元締め・高松英郎と敵方のボス・関東軍参謀上がりの菅井一郎の丁々発止の対決は迫力。
一方、主役でありながら田宮二郎の影がやや薄いのは残念。高松の片腕でこのプロジェクトに成功すれば出世が約束されている田宮は、最初のうちこそスパイ合戦の陣頭に立って活躍しますが、高松の指示で恋人の叶順子を利用せざるを得なくなったあたりから非人間的な企業論理に疑問を抱き、だんだん元気がなくなります。どうせなら田宮に高松の役をやって欲しかったですが、年齢的に無理だったのでしょうか。
船越英二は途中まで「どこにいたの?」と思うぐらい存在感がなかったのですが、最後にその存在感の薄さ自体が観る者も欺く伏線になっていたことに納得。叶順子の終始不機嫌そうなキャラも面白いですね。
映画は冒頭、黒いシートを被せたテストカーが疾走するシーンで始まり、ラストは逆に真っ白に光輝く新車が疾走する姿に被せて田宮の台詞「あの車は真っ黒に汚れている・・・」で終わります。白と黒、光と影のコントラストが効果的。モノクロの古い映画って若い人には敬遠されがちだし、私なんかでも観づらいなあと思うことはあるのですが、この映画に関してはモノロクでなければ出せないシリアスな緊張感に圧倒されること請け合いです。
出演は他に長谷川季子、上田吉二郎、見明凡太郎、中条静夫ら
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関連タグ: 田宮二郎 大映

雪夫人絵図

船橋聖一の同名小説の映画化(1950年・新東宝・溝口健二監督)

物語。浜子(久我美子)は憧れの雪夫人(木暮実千代)に仕えるべく信州から熱海にやってくる。旧華族の信濃家の一人娘だった雪は直之(柳永二郎)を婿養子に迎えて結婚したが、放蕩三昧の直之は妾の綾子(浜田百合子)のところへ行っていて殆ど帰ってこない。
雪は琴の師匠の方哉(上原謙)に心惹かれていたが、一方で直之から強引に体を求められるといつも言いなりになってしまい…

没落した旧華族の貴婦人が夫に虐げられながらも体では求めずにはいられないという、時代と描き方が変わればロマンポルノになってもおかしくないようなシチュエーションを描いた作品。
口ひげ、たるんだ腹にステテコ姿の中年男、柳永二郎の佇まいはまるで江戸川乱歩のエログロ探偵小説の登場人物。
この夫が、表面では夫人を弄び苦しめているように見えながら内実は夫人の精神的な支配下にあるという倒錯した関係もSMチック。夫人を慕う清純な少女・久我美子が夫人と同じ浴槽に浸ってうっとりとした表情を浮かべるシーンなどもレズ的な感情を示唆しているように見えます。

木暮実千代の主演作としてはずっと以前に同じ溝口の「祇園囃子」を観たことがあるだけですが、本来妖艶な雰囲気を持つ木暮の"耐える純和風貴婦人"は非常に官能的。正真正銘の華族のお姫様・久我美子が、華族の奉公人役というのは皮肉ですが。
山村聰が、夫をちやほや持ち上げながら裏ではその愛人とできていて財産乗っ取りを企んでいる、したたな役を演じています。山村聰の悪役なんて初めて見たかもしれません。
「ウルトラQ」などで特撮ファンにお馴染みの脇役、加藤春哉が書生役で出ていました。これがデビュー作のようですが、あのキューピー顔とキンキン声はすぐわかりますね。


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関連タグ: 新東宝

女王蜂の怒り

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昆虫映画ではありません(1958年・新東宝・石井輝男監督)

物語。海堂組の女親分・ゆり(久保菜穂子)の縄張りを狙う竜神組が港祭りに因縁をつけてくる。そこへ割って入ったのはハリケーンの政(宇津井健)と名乗る流れ者。政はその拳銃の腕を見込まれ竜神組の剛田(天知茂)に雇われる。
竜神組は海堂組の請け負っている船を海賊を装い襲い、荷を強奪する。賠償金を支払うため堵場で体を張ったゆりだったが、剛田のたくらみによりレイプされてしまう。やがて遂に海堂組と竜神組の全面対決の日が訪れた…

女王蜂とはやくざの女親分のこと。つまり後年の女性任侠映画の先駆けのような作品なんですが…何だか要領を得ない話です。
まず、一応は主役であるはずの女親分・久保菜穂子。すらっとした八頭身で見かけはカッコイイのですが、天知茂の悪党に散々翻弄されイカサマに引っかかってしまうわ、極めつけは犯されてしまうわで、ちっともいいところがありません。そもそも、女親分が犯される必要ってストーリー展開上殆どなさそうだし、ただその後に久保菜穂子のシャワーシーンを出したかっただけなのでは?!
一方、天知側の用心棒と見せかけて本当は正義の人っぽいのが宇津井健なのですが、女親分が犯されたのを知っていて助けるでもなく、後になって「狂犬に噛まれたと思って忘れてしまいなさい」とか無茶苦茶を言うだけ。一体宇津井は何のためにいる役なのかと思ったら、最後の久保・天知両組の出入りの段になって突如制服制帽姿で登場。実は海賊事件を潜入捜査していた警察官だった…というオチには、めまいがしそうになりました。
宇津井健が、日活で石原裕次郎がやっていそうなキャラクターを演じていること自体がミスマッチで、ずんぐりした体型と迫力のないアクションに萎えます。中山昭二が久保菜穂子の子分の、血気にはやる若いモンと言うのもどうかと思うし、天知組長の子分役でデビュー間もない菅原文太が出ているのですが、サンダーバードの人形劇のようなぎこちない動きと台詞回しで見てるこっちがハラハラします。
唯一存在感が際立っていたのは、当時27歳にしてフケ役かつ悪役を演じた天知茂先生。口ひげ、七三バックで固め白髪メッシュを入れた頭で和服やスリーピースを着こなし、絶えず不敵な笑みを浮かべた陰湿で卑劣な組長振り、そして最後の最後に宇津井に追われてあたふたと逃げ出しドラム缶にけつまずいてすっ転ぶ情けなさも含め、悪党はこうでなければと思うのでした。
ちなみにこの映画、夜間シーンで突如モノクロになるのはどういう演出上の意図だったのか、それとも単にカラーフィルムの予算が不足しただけなのでしょうか。
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関連タグ: 天知茂 新東宝

座頭市牢破り

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シリーズ第16作目は「社会派」の座頭市(1967年・勝プロ製作・大映配給・山本薩夫監督)

物語。座頭市(勝新太郎)は刀を持たず百姓とともに生きる大原秋穂(鈴木瑞穂)という侍と出会う。更にその村には、やくざでありながら民百姓を大切にする善良な親分・朝五郎(三國連太郎)がいた。朝五郎に惚れこんだ市は、朝五郎と対立していた非道な親分の富造(遠藤辰雄)を叩っ斬って旅立つ。だが1年後村に戻ってみると、すっかり変貌した朝五郎によって百姓たちは苦しめられていた…

勝プロダクション製作による第1回作品。自らプロを起こしたからには今までと違ったものを見せなければ、と思ったのか、社会派の巨匠・山本薩夫を招いて風変わりな座頭市を撮ってしまいました。言ってみれば、勧善懲悪の否定。
前半の物語では、善玉の親分・朝五郎に惚れ込んだ市が悪玉の親分・富造を叩き斬って草鞋を履くと言う、よくある普通の展開。尤も、善玉の親分を三國連太郎が演じている時点で一癖も二癖もあり気ですが。。
中盤では、やくざの足を洗ったらしい市が按摩の組織に入っていますが、新入りである市は仲間から嫌われいじめられるという意外なストーリー。社会的弱者であるはずの盲人が、しかしその内部ではやはり上下関係があって弱い者(座頭市が!)いじめが行われているというのは切ない現実です。
そこへ、かつて富造との出入りで市に片腕を斬られた仁三郎(細川俊之)が復讐にやって来て、市が富造を叩き斬って旅立った後、その後釜に座った朝五郎は役人(西村晃)と結託して百姓を苦しめているという意外な事実を聞かされ…というのが後半の物語。
ここで、朝五郎が何故変わってしまったのかが劇中で説明されないのでわかりにくいです。ただ、元は反権力の側だった人間がひとたび権力の座に付くや否や変貌してしまうのは歴史上にもよくあることでしょう。「人が変わった」のではなく、「立場や地位が人を変えてしまった」というわけです。そして市は朝五郎を叩き斬るのですが、富造を斬っても朝五郎が取って代わったように、今度はまた別の誰かが朝五郎に取って代わるのは明らか。結局、市がいくら悪い奴を殺しても何も変わらず、そういう制度や社会そのものを変えなければならない、ということになります。
その市と対照する存在として劇中に配置されているのが、鈴木瑞穂演じる大原秋穂です。おそらく剣を取っても凄腕であるはずなのに刀を捨て、百姓を指導して農村コミューンみたいなことを説いている秋穂は、市にも「剣とは虚しいもの」と説きます。理詰めで来られては市も分が悪かったのですが、実際、秋穂の言うとおり市の剣では何も変わなかったし、むしろ市のせいで結果として清純な乙女だったお志乃(浜田ゆう子)が不幸な末路を辿ってしまいました。最後に市が役人に捕まった秋穂を救い出した後で、百姓たちは表向き市に感謝しているように見えても別に引き止めるではないし、この物語での市は大地に生きる者とは所詮相容れない、徹頭徹尾異質な存在として描かれているのが特徴です。
それにしても、今でこそ、20何作ある座頭市のシリーズのひとつにこういう異色作があっても面白いと思って見られますが、公開当時の観客は、痛快娯楽時代劇のつもりで見にきたらこんなわけのわからない話を見せられて、面食らわなかったのでしょうか。
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関連タグ: 勝新太郎 山本薩夫 大映
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