ふりむくな鶴吉

往年の東宝映画スター、俳優の中丸忠雄氏が亡くなりました。76歳。合掌。
新聞等には映画の「独立愚連隊」のほか、テレビの代表作として「キイハンター」とか「Gメン75」が挙がっていましたが、うちは親がNHK以外あんまり観ていなかったので、中丸さんと言えば金曜時代劇「ふりむくな鶴吉」(1974年)の同心役、NHK特集「明治の群像 海に火輪を」(76年)の星亨役、そして大河ドラマ「花神」(77年)の海江田信義役が印象に残っています。
中でも「ふりむくな鶴吉」は故・沖雅也の出世作としても記憶に残ります。残念ながらこれはソフト化されていない(何話分かはVTRが残っているらしいですが)のでリアルタイムで観ていた人以外は知らないでしょうね。。
出演者は主人公・岡っ引の鶴吉に沖雅也。中丸忠雄はその上役の同心・三宅伝蔵役。鶴吉の岡っ引仲間が西田敏行、鶴吉の幼馴染が竹下景子、その父で蘭方医の宇野重吉、など。
一話完結型で、父親の後を継いだ若い岡っ引・鶴吉の成長を1年かけて描いていくという物語でした。
細かい内容は忘れてしまいましたが、最後の方に来てレギュラーの中丸や宇野重吉が次々死んでしまった結末に茫然とした記憶があります。
考えてみれば沖雅也も中丸忠雄も、西田敏行も竹下景子も、みんなこのドラマで初めて(たぶん)知ったのでした。
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鏡地獄の美女 江戸川乱歩の「影男」

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黒の駐車場

田宮二郎主演の黒シリーズ第6作目(1963年・大映・弓削太郎監督)

物語。かつてやくざだった泉田敬(田宮二郎)は丸木製薬の営業部長松崎(見明凡太郎)に目を掛けられ今は下請け会社の社長になっていた。しかしその松崎が或る日謎の自殺を遂げる。死因に疑惑をもった泉田は、業界紙の記者北見典子(藤由紀子)と捜査に乗り出し…

黒シリーズはタイトルに「黒の―」が付いていると言う以外、作品間相互に関連性はなく、出演者もまちまちなのですが、全11作中7作で主演した田宮二郎、6作でヒロインを演じた藤由紀子が代表的キャストであることは衆目の一致するところ。二人の共演はシリーズ中4作ですが、ともにクールで知的でエレガントな美男美女の組み合わせはまさにゴールデンコンビ!
この二人が後に結婚してどういう人生を辿ったかはまた別の話であって、私個人としてはただ俳優としてスクリーンの中で輝いていたカッコイイ田宮さん、美しい藤さんだけを観ていたいと言う気持ちです。

お話は、恩人の死に疑問を抱いた田宮さんが調査に乗り出すと、どうやら今自分の会社で開発中の新薬に関係しているとわかります。事件の黒幕は親会社を乗っ取って今は社長に収まっている株屋の角沼(小沢栄太郎)か?それともライバル会社の女社長で新薬を狙っている吉野(中田康子)なのか?…と、新薬を巡る製薬会社間の争いに殺人事件を交えたミステリーと言う黒シリーズらしい展開です。

田宮さんは元やくざで今は立ち直って小さな製薬工場を経営していると言う役柄。社長が社長なので社員も喧嘩っ早い元チンピラ(工藤堅太郎)とか、病弱ですぐ貧血でぶっ倒れてしまう女の子とか、天才的な研究者だが変人気味でとっつきの悪い服部(仲村隆)とか、普通の会社だったらちょっと勤まらないような面々が集まっているのですが、皆が親分肌の田宮さんを慕っているというところが観ていて心地よいです。
中でも仲村隆は大映東京の脇役で、他の黒シリーズでもよく見かけるんですがイマイチ目立つところがありませんでしたが、本作の生真面目で研究オタクっぽい役はぴったり。
その彼が一人で開発中の新薬が画期的な製品であることから親会社やライバル会社の陰謀の渦に巻き込まれ、田宮さんは下請け中小企業の悲哀を味わいつつ、会社を守りながら恩人を殺した真犯人も追うと言うストーリーが平行します。最後には、まんまと新薬を盗み取ったかに見えた女社長を土壇場のどんでん返しでギャフンと言わせる結末が実に爽快。「黒の試走車」以来築かれてきた、主人公が苦い思いを味わうと言うこのシリーズのフォーマットからは外れているのですが、本作に限ってはこの爽快感ゆえにハッピーエンドが許せます。

藤由紀子さんは田宮さんと恋仲の女性記者で、危ない目に合いながらも田宮さんため捜査に協力すると言う役柄。田宮さんもそうですが、やはりこの人には記者とかスチュワーデスとか知的な職業の役柄が似合います。
小沢栄太郎は田宮さんと並ぶと、どうしても「白い巨塔」の鵜飼医学部長と財前教授に見えてしまうのですが、本作でも親会社と下請けと言う、上司と部下のような関係。二人は「華麗なる一族」「不毛地帯」でも似たような関係の役柄を演じていましたが、本作の場合は田宮さんが善玉であるところが違います。
中田康子は色っぽくて貫禄たっぷりのやり手女社長役がはまっています。他には、松村達雄が一見人の良い老社員に見えて実はと言うちょっと捻った役を演じています。
なお、タイトルにある「駐車場」と言うのは、劇中で田宮さんが暴漢に襲われた場所が駐車場だったと言う、それだけの繋がりしかありません。もう少し内容に即したタイトルの付け様はなかったのでしょうか。

ちなみに原作の「廃墟の唇」(黒岩重吾・作)は翌64年にテレビドラマ化され、田宮さんの役をテレビでは天知茂先生が演じているようです(mamiさんのブログ参照)。田宮さんと天知先生が演じた数少ない同一の役柄と言うことで興味深いのですが、映画の田宮さんは熱血青年社長と言うイメージなので、これをニヒルな天知先生に置き換えてもピンと来ません。原作は読んでいないのですが、おそらくストーリーが少し違うのでしょうか。残念ながらテレビ版の方は現在では観ることができないので比べる術がありません。

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男はつらいよ 寅次郎頑張れ!

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ご存知、渥美清の寅さんシリーズ第20作目(1977年・松竹・山田洋次監督)

物語。とら屋の二階に下宿するワット君(中村雅俊)は食堂の幸子(大竹しのぶ)に惚れている。寅さん(渥美清)のコーチで何とかデートまでは漕ぎ着けたが告白はできない。漸く思い切って告白するが、タイミング悪く母親の病気の知らせで気が動転していた幸子を怒らせてしまう。これを失恋と勘違いしたワット君はガス自殺未遂を起こしてとら屋の二階を爆破(!)いたたまれなくなって故郷の平戸に逃げ帰る。ワット君を心配して平戸にやって来た寅さんは、そこで姉の藤子(藤村志保)に一目惚れ。彼女の営むみやげ物店を手伝い始めるが…

これ公開当時に映画館で観たはずなんですが、殆ど内容を覚えていませんでした。特に藤村志保さんが出ていたことなどさっぱり…だって、マドンナなのに出番が少ないんですもの。と言うことは、主役の寅さんすら脇に追いやられているということでもあり、事実上中村雅俊と大竹しのぶ、当時人気絶頂だった若い二人の物語となっています。

後年、渥美さんが年を取ってからは、寅さんが若い恋人たちのコーチ役に回るというパターンはしばしばありましたが、この時点でも既にそう言う話があったことに驚き。尤も、今では全部で48作あるのうちの20作目なんてのはまだ序盤のように感じてしまいますが、シリーズ物を20作も続けていたらネタ切れを起こしても不思議はないんですけどね。寅さんを失恋させるパターンも出尽くしただろうし。

それはいいとしても、この作品がひどいのは、若者(ワット君)の身勝手な言動に終始するばかりで、どこにも泣けも笑えもできない点です。

まずワット君が他人様の家で迷惑も顧みずガス自殺未遂を図り、とら屋の二階が爆発するという陰惨な展開には、これホントに寅さんの映画か?と目を疑いました。しかもそれほどの大惨事を起こしておきながらさっさと逃げ出すワット君の無責任振りにはあきれるばかり。でもこれはまだほんの序の口です。

故郷に帰ってぶらぶらしているワット君。そこへわざわざ心配して東京から様子を見に来てくれた寅さん。尤も、寅さんにしてみりゃ旅のついでかもしれませんが、客観的に見たら家を破壊されたその文句を言うどころか心配して平戸くんだりまで来てくれるなんて、何て善意の塊みたいな人なんだろう…となるはず。事実、藤村志保さん扮するワット君の姉は感激しているのですが、ワット君には感謝の念が薄杉。
そればかりか、寅さんが姉に一目惚れしたのをいいことに、家の仕事を寅さんに押し付け自分は相変わらずぶらぶら。更に、東京のさくらさん(倍賞千恵子)からの連絡でワット君の失恋は誤解であった(幸子もワット君を好きだった)とわかるや、アカの他人の寅さんに留守番を押し付けて自分は姉ともども嬉々として上京してしまいます。
と、ここまでの展開だけでも自分のことしか考えていない中村雅俊、いやワット君を殴り倒したい衝動に駆られましたが(怒りの余り役と本人との区別が付かなくなってきた^^;)実はまだこれでも十両か幕内下位程度の話で、結びにはとんでもない一番が控えていました。

とんとん拍子にワット君と幸子の結婚まで話が運び、とら屋でささやかな祝宴が行われる日、その間すっかり忘れられていた寅さんがふらふらになって平戸から戻ってきます。さて祝宴の席上、折り返しまた寅さんが姉とともに平戸に帰り、今後もみやげ物店を手伝うと聞いたワット君は急に何やら不機嫌に。そして姉を二階に呼び出したワット君、何を言い出すかと思いきや、「姉さんは寅さんの気持ちを利用しとる!」と決め付けて姉を非難し始めました。弟の思いもよらぬ言葉に泣き出す姉の藤子。
これには観ていた私の憤怒も頂点に達し、テメーコノヤロー、藤村志保さんを(とまたも役と本人を混同し)いじめやがってーっと、目の前のテーブルひっくり返してテレビぶっ壊してやろうかと思いました。今まで散々寅さんを利用していたのはテメーの方だろーが、と。それを棚に上げて、逆に姉に罪を擦り付けるとは。しかも今まで散々寅さんの世話になった恩を仇で返すかのように、自分の恋さえ成就すれば後は邪魔者とばかりにボロ雑巾のように寅さんのポイ捨てを図るとは。これじゃ寅さんが余りにも可哀想。全く何と狡猾で卑劣な若者でしょうか、中村…じゃなくてワット君という奴は。天地ともに許せません!(ちなみにこの話を陰で聞いていた寅さんが淋しく身を引いたのは、おそらく失恋と言うよりワット君の卑しい心に絶望したからに違いないと確信しています)

…尤も(^^;)映画の構成上からすると、この辺りはかなり苦しいところ。と言うのは、いかにこの作品がワット君中心の話であろうと最後は寅さんの「失恋」で終わらないと「男はつらいよ」にならないのですが、肝心の寅さんとマドンナの間には失恋に至るほどの物語も何も生まれていないので、どうにもなりません。そのためワット君を「悪者」にしてでも無理矢理二人の間を裂かないと話が終わらないんですよね。
逆に言うと、マドンナをいかに悪者にしないで寅さんを失恋させるかが難しいところなのです。そのためワット君の姉(藤子)を「とてつもなく純真な心の持ち主」として描いています。
毎週、日曜日の朝には欠かさず教会に通ったり、道端の草花に目を輝かせたり。いい年してちょっとピュア過ぎるんじゃない?という性格にしているのは、そうじゃないとマドンナが寅さんの恋心に気付かないのが不自然になってしまうからでしょう。また、今回のマドンナ役に清純イメージの藤村志保さんを起用したのも藤子の性格の不自然さを少しでも軽減するためであろうと推測されます。
しかしファンとして癪に障るのは、折角マドンナ役を演じながらつまんない使われ方で影の薄かった藤村志保さんのこと。大映育ちの藤村志保さんにとってこれは松竹初出演作で、既にテレビに軸足を移していた志保さんはこの時期の映画出演自体殆どありません。年齢的にもまだお若くてお美しかったのですから、寅さんとマドンナの恋物語が中心の話で出演して欲しかったと思います。

いずれにしろこの作品は映画としてストーリーが破綻しているし、寅さんシリーズは末期を除いて40本近くは観ていると思いますがこれほど不愉快な気持ちになったことはありません。この当時の山田洋次、こうまで不快な若者像を描くとはよっぽど何か腹に据えかねることでもあったんでしょうか?
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五重塔の美女 江戸川乱歩の「幽鬼の塔」

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座頭市千両首

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勝新太郎の座頭市シリーズ第6作目(1964年・大映・池広一夫監督)

物語。座頭市はかつて自分が斬った男の墓参りに赤城山麓の村にやって来る。ちょうど村では代官所に収める上納金が集まったことを祝うお祭り騒ぎの最中だった。だが上納金の千両箱を運ぶ途中、浪人(城健三朗、後の若山富三郎)たちと国定忠治の子分を名乗る一味に襲われ千両箱を奪われてしまう。市はたまたまその側にいたことから、強盗の一味と疑われる。市は自分と忠治の潔白を明かすため、赤城山に篭る忠治(島田正吾)を訪ねる…

座頭市の映画はどれも水準の面白さを保っていて、基本的に大きくハズレの話はないと思うのですが、その中でもこれはかなり出来の悪い方でしょう。とにかく脚本が支離滅裂で突っ込みどころ多すぎです。
まず冒頭、座頭市は昔自分に斬りかかって来たため返り討ちにした男の墓参りにやって来るわけですが、市が斬った相手なんてゴマンといるだろうに、何でこの男の場合に限ってわざわざ墓参りに来るほど気に病んでいるのかわかりません。
次に、市は偶々上納金の千両箱の上に腰掛けていたことから犯人と疑われるのですが、耳の良い座頭市ともあろうものが、その千両箱が崖から落ちてきたことにも気づかないのが不思議。
第一、そもそもこの「上納金」ってのが意味不明です。百姓が納めるのは「年貢米」じゃないんでしょうか。三年間も不作だった村がどっから千両もの大金を調達したのかも謎です。
さて、自分と国定忠治に掛けられた疑いを晴らすため市は赤城山に向かうのですが、百姓たちは市が犯人だと思っているならとっ捕まえておけばよさそうなもの。
更にここで実在の人物である国定忠治が登場することにはかなり違和感を覚えます。第1作での平手造酒と違い、ここでの忠治は何の説明もないまま最初から市も頭を下げる「エライ人」と言う前提で登場しているので、忠治と座頭市の「友情」とやらも全く心に迫りません。加えて忠治を演じた島田正吾のやたら大げさでくさい芝居にもげんなりしますね。新国劇の舞台ならそれでいいんでしょうけど、映画の芝居としてはどう見ても浮いてます。
かくして中盤、本筋とは関係ない忠治一家の逃避行話がだらだら続きます。
その後で再び麓の村に戻った座頭市は、また百姓たちから責められます。でも市が犯人だと言う話はどうでもよくなっていたのか、市への詮議はそのまま何だかうやむやに。だったらこれまでの展開は一体何だったのかと。もう話がぐだぐだです(ちなみに脚本を書いているのはいつもの犬塚稔ではなく、浅井昭三郎と何故か当時助監督の太田昭和なんですね)
とまあ、いちいち突っ込みいれてたらキリがないほどですが、結局のところ、上納金強奪は代官の陰謀だったと判明して市が奪還します。この辺にもまだ何だかおかしな点があったような気がしましたが、、、もうそれまでの話のくだらなさゆえにどうでもよくなってしまいました^^;尤も当時のプログラム・ピクチャーなんてものは今と違ってビデオで見直しされるわけじゃなし、その場その時に観客が楽しく観られることだけを主眼に作られているのですから、後になってうだうだ突っ込みいれるのは野暮天というものかもしれませんが。
ただこの映画は最後の最後に、それまでの鬱憤をふっ飛ばすような凄い見せ場が用意してありました。
若山富三郎扮する浪人が疾走する騎馬で現れ、座頭市の首に鞭を巻きつけて猛スピードで引きずり回す、引きずり回す。このシーン、スタントとかじゃなくてホントに勝新がやってるよと目が点に。しかも若富、「どうだ、ドメ〇ラ、ワッハハハハ!!」と実弟・勝新を痛めつけて異様なハイテンション。更に馬から転げ落ちた若富、この落ち方がまた首からモロに落ちてる感じなのでよく無事でいられたなと見ているこちらがヒヤリとさせられました。二人とも命懸けの撮影です。全くなんちゅうことやらかす兄弟なんでしょうか。
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悪名波止場

勝新太郎&田宮二郎の悪名シリーズ第7作目(1963年・大映・森一生監督)

物語。連絡船の中で清次(田宮二郎)は自分そっくりの格好の三郎(藤田まこと)がイカサマ博打をやっているのを押さえる。病気の妹のためと言い訳する三郎の後を付いて船を下りた朝吉(勝新太郎)は、三郎の妹のおとし(紺野ユカ)が麻薬中毒になっているのを知る。地元やくざ鬼瓦組の金を持ち逃げした三郎の代わりに朝吉と清次は借金の返済のため働くことに…

悪名シリーズは第1作と2作が戦前編、3作と4作が戦後編となっていて、本来ならこの辺で止めておけばよかったものをまだまだ続いたところから、第5作を挟んで6作から地方ドサ回り編(?)が始まり、本作では前作のラストシーンから話が続いています。言わば悪名版の世直し旅。そういう状況も状況ですが、いくら"困っている者を放っておけないのが性分"の朝吉親分とは言え、アカの他人の借金のために肉体労働までして金を返すところまで来ると、もうバカがつくお人好しというか善意の押し売り、単なる物好きにしか見えないので共感する要素が薄く、シリーズの行き詰まりもここに極まれリの感があります。
しかも本作では、朝吉の苦労の甲斐もなく、おとしは情婦の仙太郎(水原弘)に殺されてしまいます。このシリーズでは2作目(当初予定されていた完結編)のラストでモートルの貞が命を落とした以外は誰一人死ぬことがなかっただけに、急に殺伐とした雰囲気を感じてしまいました。おまけに朝吉まであわや水死のピンチに陥るなど、痛快アクションが売り物だったシリーズにしちゃいつになくやや暗いです。これもマンネリ化回避策の一環だったんでしょうか。シャブ中のおとしに朝吉=勝新が「クスリなんかやっちゃいかん」と説教する姿は今見るとギャグにしかなりませんが。
水原弘は「黒い花びら」(1959年)で第1回のレコード大賞に輝いた流行歌手で、私の世代だと「ハイアース」のホーロー看板の人として記憶に残ります。プライベートでは勝新の弟分だったそうなので、これも人気歌手の顔見せ出演程度のことかと思いきや、本格的な演技、それも汚れ役だったのびっくり。調べてみるとこの当時は既に落ち目になっていたみたいなんですね。今も昔も芸能界の浮沈は激しいです。

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悪名市場

勝新太郎&田宮二郎の「悪名」シリーズ第6作目(1963年・大映・森一生監督)

物語。旅に出た清次(田宮二郎)からの知らせで朝吉(勝新太郎)とお照(藤原礼子)が訪ねて行くと、そこは刑務所だった。清次は詐欺師の柿本(田中春男)という男に片棒担がされ一人だけ捕まってしまったのだと言う。朝吉は逃げた柿本を追って四国に渡る。するとそこには何とニセの朝吉と清次(芦屋雁之助、小雁)がいて街を仕切っていた…

悪名シリーズは田中徳三と森一生がほぼ交互に監督していますが、生真面目な演出で勝新を二枚目として撮るのが田中徳三、少し二枚目半にしてユーモアを出すのが森一生という感じがします。個人的には、どちらかといえば森作品の時の方が好きですが、これも複数で監督するプログラムピクチャーのシリーズ物の妙味というものでしょう。
さて、仮面ライダーには偽ライダーが、水戸黄門には偽黄門が定番なように、ヒーローには偽物は付き物。と言う訳で、悪名シリーズにも遂に出た、朝吉と清次の偽物。演じるのは芦屋雁之助と小雁の兄弟で、雁之助は恰幅が勝新に似てなくもないですが、チビの小雁はノッポの田宮と正反対。何せ二人が並ぶと小雁の背丈は田宮の肩どころか胸までしかないのだからそのサイズの違いにびっくり。田宮が大きすぎるのか小雁が小さすぎるのか。偽物の余りの情けなさに本物の清次がトホホとなるところが笑えます。
お話の方は、今までの大阪を離れ四国が舞台。時代設定的には昭和20年代半ばぐらいまで来てるんでしょうから戦後の混乱もそろそろ収まっている頃でしょう。そうなると昔気質な朝吉は都会の中で浮いてしまうので、苦し紛れに地方にでも出すしかなかったんじゃないかという気配がします。
正体を隠して偽の朝吉一家に草鞋を脱いだ朝吉は、詐欺師の柿本と大物やくざの鷺原が地元商店街の土地を騙し取ろうとしていて、偽朝吉たちも利用されていることを知ります。偽朝吉が親分衆に満座の中でなぶられているところに、朝吉が本物として颯爽と乗り込んできて一同をあっと言わせるところが痛快。やっぱり勝新はストレートに二枚目として描くより、途中二枚目半的に見せて最後に決めるべきところでびしっと決めると言う方が持ち味が出るように思います。一方、芦屋雁之助は浪花節やら裸踊りで芸達者なところを見せ、役柄は偽物でも本物の芸があることに感心しました。他にも曾我廼家五郎八、白木みのる、藤田まこと、常連の茶川一郎など関西のコメディアンが脇を固めています。

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早射ち犬

田宮二郎の「犬」シリーズの第8作目(1967年・大映・村野鉄太郎監督)

物語。ギターの流しをしている鴨井大介(田宮二郎)のところへマネージャーの常やん(藤岡琢也)がエミ(嘉手納清美)と言う少女を連れてくる。エミは流しをしながら行方不明の姉・文子(江波杏子)を捜したいと言うのだ。解散した暴力団・九十九会の事務所で文子を見かけた鴨井はエミを連れて行くが、文子はなぜか会いたくないと言う。
その頃、鴨井のアパートの隣人で白タク運転手のゴロやん(小沢昭一)は九十九会組長の白井(伊達三郎)を大阪に運ぶ仕事を引き受けたが、車が謎の爆発事故を起こし、現場から黒焦げの焼死体が発見される。白井は大阪で起きた3000万円強奪事件の主犯と目されていた。警察はゴロやんが白井を殺し3000万を奪って逃走中と断定し、捜査のためショボクレこと木村刑事(天知茂)が上京してくる。ゴロやんの無実を信じる鴨井は真相究明に乗り出すが、九十九会幹部の原(成田三樹夫)らに邪魔され…

「昭和のクールガイ」田宮二郎と「永遠のニヒル」天知茂が共演するコミカルなアクション作品。マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになるようなもん?しかしもう1人のニヒル=成田三樹夫も出てるんだから、それも掛け合わせればマイナスになりそうなもんですけど。って、そういう問題じゃないか^^;
余談ですが、当時の大映にはこの3人と市川雷蔵、つまり4人もニヒルが存在していましたが、映画界の定説「ニヒル早死説」を裏打ちするかのように4人とも比較的若くして死んでしまいました。尤も、天知先生を除く3人はコミカルな役柄も得意としていましたから、その説は少し怪しいですが^^;天知先生だけは三白眼がアブな過ぎてコメディが柄に合わなかったのか(ご本人は好きだったんだそうですが)、晩年「AカップCカップ」(1982年、テレビ東京)と言う頭の痛くなるようなB級バラエティ番組に主演したことがあるぐらいで、コメディ俳優としての素質が開花することはついにありませんでした。そういう意味でもコミカルな一面が見られるこのシリーズは貴重です。

物語はちょっとしたミステリー仕立になっていて、タクシーの爆発で死んだのが白井なのかゴロやんなのか誰なのか最後まで(って、観てればだいたいわかりますが)謎が解けない展開になっています。
事件の背後に絡むのは裏で麻薬を売っている怪しげな新興宗教団体の存在。そのクスリ漬けにされているのが江波杏子なんですが、このシリーズではヒロインとして何度も出ているだけに、まさか途中で死んでしまう役柄とはちょっと意外でした。
大阪から捜査のため出張して来たのは、刑事コロンボばりのよれよれレインコートがトレードマークのショボクレ刑事。何やかんや言いながらよほど鴨井の部屋が居心地いいのかどっかと腰を落ち着け、まるで自分の家のようにコーヒーを(たぶん鴨井のカップで)飲んでいるほど馴染んでいます。二人の間で繰り広げられる軽妙な掛け合いが楽しい。最後は鴨井が得意の早撃ちでバッタバッタと(でもかすり傷で 笑)成田三樹夫たちをなぎ倒し、新興宗教の道場に乗り込んで真相を暴き無事解決。
笑えるのは、死んだと思われていた組長の伊達三郎が教祖の北城寿太郎に化けていたシーンで、北城のマスクをベリベリと剥がすとその下から伊達の顔が出てくるところはまるで「江戸川乱歩の美女シリーズ」。しかもそのマスクを天知先生が手に持って怪訝そうに眺めるところなんざ、まるでパロディですが、勿論実際の「美女シリーズ」は10年後なのでこの時点ではまだ影も形もありません。天知先生は自分がやがてこのベリベリで一世を風靡?することになろうとは夢にも思わなんだことでしょう。
財津一郎が鴨井たちにウザったがられているオカマキャラで登場し「ヒジョーにサビシーッ!!」などのお得意フレーズを連発、単なるコメディリリーフかと思いきや最後には麻薬取締官として颯爽と現れたのも意外なオチ。
行方不明の姉・江波杏子を捜す少女を演じた嘉手納清美は、非常にくっきりした南国風の顔立ち(名前からして沖縄の方でしょうか)で、後に「ウルトラセブン」でサロメ星人を演じていました。
ちなみに大阪での取調べシーンで、ショボクレの隣で腕組みしているコワモテの刑事は「大魔神」の中の人こと、橋本力。眼光の鋭さがナルホド大魔神です。

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東京流れ者

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楽しめる人だけ楽しんでね、と言う映画(1966年・日活・鈴木清順監督)

物語。不死鳥の哲こと哲也(渡哲也)は組を解散した親分の倉田(北龍二)の意を汲み、暴力を振るわれても無抵抗主義を貫いていた。しかし倉田のビルを狙う大塚組(江角英明)との抗争に巻き込まれて行き…

日活映画にはあまり興味がないのですがこれを観ようと思ったのは、かつてテレビドラマ「スクール・ウォーズ」(1984年)の中で松村雄基がいつもこの主題歌「♪風はひとりで吹いてくる~」を歌っていたから…と言う、実にくだらない理由からです。まあ、物事に興味を持つきっかけなんてのは大抵他愛もないもんです^^;
監督は難解なカルトムービーを撮ることで知られる鈴木清順監督。
尤も、この映画はストーリー自体が別に難解なわけでもなくて、一応お話としては、親分を守るために恋人(松原智恵子)も捨てて流れ者になった渡哲也が、しかし最後は親分の裏切りで命を狙われ…というやくざの非情な世界を描いたもの。劇中での渡哲也の台詞「流れ者にゃ女はいらねえんだよ」は有名なようです。
映画の見所はむしろ大胆な構図、演出、セット美術などにあって、オブジェのような白一色のセットの中で真っ白なスーツの渡たちが拳銃を撃ち合うシーンとか、モノクロの中でひとつだけ鮮やかな赤い色とか、独特のビジュアル感覚を発揮しています。
また、シーンとシーンの繋ぎを省略した編集法や劇中で執拗に繰り返し挿入される主題歌(14回も流れる!)には、よく知りませんがこういうところにも清順美学が現れているのでしょう。再三登場するヒロインなのにいつも「哲也さん!」しか台詞のない松原智恵子も却って印象的。
棒読み口調の渡はともかく、対立するやくざの郷えい治、殺し屋の川地民夫、終盤の30分ぐらいだけ出てきておいしいとこ取りする二谷英明、玉川伊佐男などは好演しています。
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