刑事コロンボ 二枚のドガの絵

1971年/米ユニヴァーサル/1973年7月21日NHK放送
物語。美術評論家のデイル・キングストン(ロス・マーティン/声・西沢利明)は高名な絵画収集家の叔父マシューズを殺害。更に共犯の美学生トレイシー(ロザンナ・ハフマン/声・杉山佳寿子)も口封じに殺害する。コロンボ(ピーター・フォーク/声・小池朝雄)は遺産の絵画目当てのデイルの犯行とにらむが、意外にも絵画は遺言でマシューズの元妻エドナ(キム・ハンター/声・関弘子)に譲られることになっていた…シリーズ6作目。

倒叙ミステリーの「コロンボ」では、犯人側に肩入れしながら見てしまうことも少なくありません。でもこの犯人だけは別。シリーズ中、これほど憎ったらしい犯人はいません。しかし最後は、コロンボの鮮やかなどんでん返しを食らって泣きべそを(マジで)かきます。痛快さと言う点でもダントツです。
冒頭、犯人が被害者を「秒殺」します。おそらく、OPから犯行までの最短記録でしょう。普通のコロンボシリーズでは、それとなく犯人が犯行を決意したあたりの描写から始まるのですが、この話では動機をぼかしておく必要があるため、いきなり犯行場面から始まります。
衝撃の登場後、徐々に明らかになる犯人の人物像は、
美術評論家のくせに趣味の悪いネクタイを締め、テレビ映りをしきりと気にし、画家を批評で叩けば読者に受けると言い放つ、いやらしい性格。更に、愛情を餌に女子美学生を共犯に使って、用が済むと襤褸切れのように惨殺する冷酷非情な人間性。コロンボに対しても、この上なく挑発的で挑戦的。「おまわり」呼ばわりで罵倒します。
犯人を演じているロス・マーティンの顔立ちが、また見るからに憎たらしい。まるでガキ大将がそのまま大人になったようなふてぶてしい顔です。
声をあてているのは、後に「歌声の消えた海」「さらば提督」でロバート・ヴォーンも吹き替えている西沢利明さん。ちなみに西沢さん自身は正反対の、痩せぎすの神経質そうな顔だちです。
中盤、被害者の遺言状が明らかにされるとともに、動機そのものが消滅してしまって虚を突かれますが、もともと犯人の狙いは二段作戦。相続人のエドナに濡れ衣を着せて遺産を横取りする計画でした。自分で罪をかぶせておいて駄目押しの台詞「あんたが犯人だったのか!」が白々しい。
しかしやっぱり、最後はコロンボの方が一枚上手。決め手となった「指紋」の件は決して偶然の産物ではなく、犯人が自ら執拗に自宅の捜索を要求して来た時点で、コロンボには相手の計画が読めていました。1度捜索を受けた場所ほど安全な隠し場所はないからです。ただ犯人の油断は、まさかコロンボが自宅で「寝ている」とは思わなかったこと。せめてドガの絵を、もう1度包装し直してから持ち帰るべきでしたね。
尤も、ラストの鮮やかな印象で作品的には得をしていますが、犯人自体はさほど頭がいいと思えないし計画も結構杜撰なんですね。特に、エドナに罪を着せる工作は行き当たりばったりで綱渡り的過ぎます。
一方のコロンボも、絵にコロンボの指紋が付いていたことが即座に犯人の犯行を立証する証拠になるわけじゃないので、これだけで有罪に持ち込むには難しそうなケースではあります。
いつもなら無駄話で周囲を自分のペースに巻き込んでいくはずのコロンボが、今回は女画廊主人、下宿屋の女主人、エドナらのおしゃべりなオバサン軍団に悉くペースを乱され放しになっているのが笑えます。
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配達されない三通の手紙

1979年/松竹/野村芳太郎監督
出演/栗原小巻、片岡孝夫、松坂慶子、小川真由美、渡瀬恒彦、竹下景子、神崎愛、蟇目良、佐分利信、乙羽信子ほか
物語。萩の名家で長門銀行会長唐沢光政(佐分利信)の次女紀子(栗原小巻)は婚約者の藤村(片岡孝夫)に蒸発されてから精神を病んでいたが、その藤村が3年振りに突然戻ってくる。父親の反対を押し切って結婚した2人は幸せな新婚生活を送っていたが、藤村の妹・智子(松坂慶子)がやって来て同居するようになってからは不穏な空気が流れ始める。ある日、紀子は藤村が妹に妻の殺害を予告する3通の手紙を発見する。だがパーティの夜、砒素入りのグラスを飲んで死んだのは、智子だった…

原作エラリー・クイーンの翻案物です。映画の封切り当時、松坂慶子のフルヌードが呼び物のひとつになっていたことを覚えています(実際は後姿だけ)。
内容的には、たぶん原作(未読)にも助けられて見ごたえある本格ミステリーになってはいます。ただ野村監督の作品としては2時間サスペンスドラマ程度のレベルなのが、ちょっと物足りなさも感じます。元が外国のミステリーですから、松本清張の映画のように人間ドラマを情感たっぷりに描くというわけにいきません。せめて雰囲気をだそうとしたのか舞台を都会ではなく古い地方都市(萩)においていますが、それが物語の上で役に立っているようにも見えません。何より、唐沢家の三女(神崎愛)と居候の外国青年(蟇目良)がコンビで探偵役になって物語を回して行くあたりがもう、完全に2時間サスペンスのノリと同じですね。
2時間サスペンスと違うのは、131分とやたら長いこと。そのため事件が起こるまでが異様に時間がかかる。まず居候の青年がやってきて、藤村が戻ってきて、結婚して、新婚旅行に行って帰ってきて、そこへ智子がやってきて…と言う流れを全て時系列通りに描くもんだから、前半がだらだらし過ぎです。ちなみに脚本は新藤兼人なんですけど、もうちょっと何とかならなかったんでしょうかね。渡瀬恒彦が検事で神崎愛の婚約者役なんですけど、前半は殆ど活躍しないのがもったいない。
出演者は非常に豪華で、ここだけはさすがに70年代の大作映画らしさを感じさせます。上記のほかにも、小沢栄太郎、北林谷栄、滝田裕介、米倉斉加年、稲葉義男、蟹江敬三らが出ています。
神崎愛は無名塾出身の女優であると同時にプロのフルート奏者で、劇中でフルートの演奏シーンがあるのはそのため。蟇目良は団次郎なんかと同じハーフのモデル出身で、NHK朝の連続テレビ小説にも出てましたね。

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復活の日

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1980年/角川春樹事務所・TBS製作/東宝配給/深作欣二監督
出演/草刈正雄、夏八木勲、渡瀬恒彦、緒形拳、多岐川裕美、オリビア・ハッセイ、ジョージ・ケネディ、グレン・フォード、ロバート・ヴォーンほか
物語。1982年、アメリカで生物兵器用に研究されていた新型ウィルスが盗み出され、セスナでアルプスに墜落。拡散したウィルスによってあっという間に世界が死滅する。生き残ったのは南極大陸に滞在していた各国の観測隊員わずか863人だけだった。必死に人類復活の道を模索する彼らだったが、やがて巨大地震による誤作動で南極に核ミサイルが発射される…小松左京のSF小説の映画化。

角川春樹が世界市場を睨んで、巨費を投じて製作。しかし興行的には失敗してしまい、角川映画は以後大作路線からアイドル路線に転換することになったわけですが…
それはそれとして、今では叶わないスケールの大きさなど、見るべきところは多いです。

前半はウィルスで世界が死滅するまで。ホワイトハウスを軸に、南極日本隊や日本の様子などが描かれます。
米大統領を演じたグレン・フォード、上院議員役のロバート・ヴォーンらは熱演ですが、それ以外のパートはお粗末で、無関係な既存ニュースフィルムの流用なども目立ちます。特に、南極隊員草刈正雄の恋人・多岐川裕美、同じく渡瀬恒彦の留守家族のエピソードはかなりショボイ。大きな悲劇の中に個人のドラマも描こうとするのはこの手のパニック映画にありがちなスタイルですが、却って本筋の邪魔になるだけです。肝心のウィルスの猛威や恐怖が映像として描かれないので、世界が滅亡して行く臨場感が足りません。気が付いたら滅亡していたと言う感じです。

後半、人類滅亡後、南極に舞台が一元化されてからは面白くなります。
まずジョージ・ケネディを首班とする南極政府は、極端な男女比から生ずるセックスの問題に直面。
次に、ウィルスに感染したソ連の潜水艦が仲間に入れてくれとやって来ますが、コイツらを入れたら共倒れになってしまうので、苦渋の決断で撃沈します。
この二つのエピソードで、残された人類が置かれた状況、生き延びるために何が必要かを端的に示します。
そして1年後、南極の無菌状態を保ち、女を共有財産にしてヤリまくった?結果、何とか人類復活の道筋が見えてきた…と思ったのもつかの間。かつての米ソ冷戦構造の置き土産、核報復システム(ARS)が作動して南極がソ連のミサイル攻撃に晒されてしまう。ソ連もアメリカもなくなったこの期に及んで、まだ冷戦の亡霊に祟られる皮肉!このあたりの展開は、時代を反映しています。

最後は、決死隊となった草刈とボー・スベンソンがARSを止めに行くも、タッチの差で間に合わず。南極基地は核ミサイルで爆破されてしまう。文字通り1人生き残った草刈は、なんと北米から南米の最南端まで縦断。
実は南極の面々はオリビア・ハッセイを始めとする十数人のみ生き延びており、草刈と奇蹟の再会を果たします。ただ、それまでにオリビアと草刈の関係があまり深く描かれてなかったので、折角の再会シーンでもイマイチ感動が薄い点が残念。
世界初の南極ロケや、ペルーのマチュ・ピチュ遺跡でのロケなど、お金をかけて世界各地を回っただけのことはある壮大な絵は撮れています。尤もそれで予算が尽きてしまったのか、ラストの再会シーンのロケ地は日本の本栖湖だったそうですが^^;

日本人俳優は草刈以外の影が薄くて、千葉真一や森田健作なんかも出ていたのにいつの間にか消えちゃうし、その草刈も大男揃いの外国人俳優の中に入ると線の細さが目立ちます。対する外国人俳優は、日本でも馴染みのある有名俳優陣が出演していてそれぞれ味のある演技を見せています。
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殺しの烙印

1967年/日活/鈴木清順監督
出演/宍戸錠、南原宏治、真理アンヌ、玉川伊佐男、小川万理子、南廣ほか
物語。殺し屋ランキングNo.3の花田(宍戸錠)は、ある組織の幹部・大類(南原宏治)を護送する任務を果たしNo.2の座を手に入れる。しかし謎の女・美沙子(真理アンヌ)から依頼された外人の狙撃に失敗した花田は、他の殺し屋たちから狙われることになる。彼らの挑戦をなんとかかわした花田の前に、正体不明の伝説の殺し屋No.1が現れる…

鈴木清順監督が”わけのわからない映画で会社の信用を失墜させた”として、日活を追放されるきっかけとなった作品。でも別に内容が観念的だとか難解だとか言うわけじゃありません。仕事に失敗した殺し屋が組織から命を狙われるアクション映画です。
プロの殺し屋がランキングを競っているとか、主人公のNo.3の男が「米の飯の炊ける匂い」が好きな殺し屋と言う設定が面白いし、死ぬことが夢だと言う真理アンヌとの雨の中での邂逅も印象的。序盤のクールで退廃的な世界は、何となく初期のルパン三世に似ています。と思ったら脚本の1人、大和屋竺はルパンシリーズの傑作「魔術師と呼ばれた男」を書いた人です。
ライターの広告看板の間から発射するとか、水道管の下から射撃するとか、仕事の後でアドバルーンに乗って逃走するなどの殺しのテクニックもアイディアにとんでいて楽しいです。でもこの監督には、そういう部分を膨らませてストーリー的な面白さを追求しようとなどと言う気は毛頭ないのでしょう。花田が仕事をミスったあたりから話がおかしくなって、以降は序盤のハードボイルドな雰囲気が一変。ストーリーよりイメージを優先したお遊びの数々だけが目立って行きます。このあたりが清順作品を好きになれるかどうかの分かれ目なんでしょうが、別に計算された効果を狙ったわけではなく、とにかく思い付きを片っ端から並べたような具合です。中盤は真理アンヌのミステリアスな美貌とナイスボディだけが救いです。
そして終盤は漸く現れたNo.1の殺し屋、実は序盤で花田が護衛した大類との、コントのような絡み合いが延々続きます。普通に喋っていてもデフォルメされた劇画のようになってしまう怪優の南原宏治じゃなかったら、馬鹿馬鹿しくて見るに耐えないところですから、俳優さんの力って本当に大きいね。最後は、花田と大類が後楽園ホールで一騎打ち。ここでは再び序盤のハードボイルドな雰囲気を取り戻し、大類を倒した花田が「No.1は俺だ!」と叫びながら彼もまた倒れEND。このラストシーンには殺しのニヒリズムが満ちていますが、それまでにおふざけが過ぎたので何もかもが台無しに。やっぱりこれは見る人を選ぶ作品ですね。

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関連タグ: 日活

静かなる決闘

1949年/大映/黒澤明監督
出演/三船敏郎、三條美紀、志村喬、千石規子、植村謙二郎、中北千枝子、町田博子、須藤恒子、伊達正ほか。
物語。戦争中、軍医だった藤崎恭二(三船敏郎)は手術中に誤って指を傷つけ、患者(植村謙二郎)の梅毒に感染してしまう。そのため戦後、婚約者(三條美紀)との結婚を諦めようとするが…

これはある意味ですごい作品。三船敏郎がナイーブな青年医師の役。それも梅毒のために結婚を諦め、自らの性欲と闘うってんですから(直接には梅毒との闘いですが)、なんと言う話でしょう。黒澤が東宝争議中に大映で撮ったうちの1本です(もう1本が「羅生門」)。

三船が三條との結婚を諦める理由は、言うまでもなく、相手にも梅毒をうつしてしまうからですが、ただ事情を言えば三條は治るまで待つと言うに決まっているから、それでは彼女が可哀相だ、と理由も告げず婚約を解消します。一見どこまでも相手のことだけを思いやった立派な態度ですが、実はそれは表向き。
本当は、三條への性欲を抑えねばならない辛さ、目の前にご馳走をぶら下げられていながら食べられないのだったら、いっそのこと目の前から消えて欲しいと言う、かなり切羽詰った気持ちからなのでした。それまでストイックな聖人君子を装っていた三船がついに堪え切れなくなって涙を流すシーンは、問題が問題だけにと言うか、演じているのがあの三船さんだし、見ている方としてもどう反応していいか戸惑うところです。
尤も三船はあくまで人間としての理性や医者としての使命感、良心などで欲望を封じ込め、根気良く病気の完全治癒まで闘う、と言う方に映画のテーマはあるわけで、三船に病気をうつした元凶の植村謙二郎の方は自堕落な生活を続けた挙句に脳にまで梅毒が達して発狂してしまう、という姿を対比させています。ただ、過剰なまでに両極端な人物を配置したがる黒澤が、どちらもエキセントリックに描き過ぎているために、共感も反発も呼びにくいのが実情です。
物語の現実離れを引き止めているのは、千石規子の演じる元ダンサーの見習い看護婦の存在。登場人物の中で最も人間くさい彼女が三船のホンネを引き出したり、話がきれい事に流れそうな時に核心を突く発言をする狂言回しの役割を果たす一方、彼女自身が劇中を通じて成長していく姿を見せることで物語にリアリティを与えています。千石規子は「酔いどれ天使」「醜聞」でも重要な役を演じていたし、この時代の黒澤映画にとってはキーパーソン的な女優さんだったと思います。

三船敏郎は「酔いどれ天使」に次ぐ黒澤映画出演2本目で、「酔いどれ天使」は破滅するヤクザ、この映画が青年医師で次の「野良犬」が若手刑事、「醜聞」では新進画家と、黒澤作品だけ見てもいろいろな役をやっていた頃です。最終的には「羅生門」で演じた多襄丸的な、豪快で野性味のあるキャラクターが三船さんのはまり役になって行くんでしょうけど、この映画で見せたような繊細で苦悩する役柄もなかなか味わい深かったです。
三船の父親役が、志村喬。親子関係的な役柄を演じることの多かった2人ですが、本当に親子の役はこの作品だけです。三條美紀には「ウルトラセブン」のゲスト出演とか「犬神家の一族」とか中年以降のイメージが強くて、若い頃の姿はなかなか見られないのですが、清純で芯の強いお嬢様の役を演じています。面長の顔立ちなので、娘さんの紀比呂子とはあんまり似ていないですね。大映作品にもかかわらず主要な出演メンバーは東宝の黒澤組が占めているので、大映専属で目立つ役は三條、植村、看護婦役の町田博子ぐらいしかいなかったのがちょっと残念。

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関連タグ: 三船敏郎 黒澤明 大映

新・平家物語

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1955年/大映/溝口健二監督
出演/市川雷蔵、久我美子、木暮実千代、大矢市次郎、林成年、菅井一郎、進藤英太郎、千田是也、柳永二郎ほか。
物語。平安時代末期。平忠盛(大矢市次郎)の嫡子清盛(市川雷蔵)が自らの出生の秘密に悩みつつ、公家の支配や山門の横暴に対抗して、武士の自立を目指そうとするまでを描く。

吉川英治原作小説の映画化。原作は読んでいませんけど、昔大河ドラマで見たので大筋は知っています。映画は100分余りの時間なのでどこまでやるのかと思ったら、ほんのさわりだけでしたね。だったらサブタイトルに「若き日の清盛」と付けた方がよかったかも。院の御所に押し寄せようとする叡山の僧兵たちの神輿に、清盛が矢を射掛け退散させるエピソードをクライマックスとして終わっています。
オープンセットに群集があふれかえる冒頭シーンから始まり、これをもし今製作したら一体いくらかかるんだろうと思わせる豪華なセットと美術で平安の昔を再現しています。ただ合戦シーンが1回もないためか、スケールの大きさはあまり感じません。お話の中身も、清盛が武士として勇躍する姿よりは、自分が誰の子かと煩悶する内面描写の方に比重が置かれています。
印象的だったのは、雷蔵さんのぶっ太いゲジゲジ眉毛と、清盛の母・祇園女御を演じた木暮実千代さんの豊満な胸の谷間。雷蔵さんは力強さを出そうとしたんでしょうけど、キャラクターはむしろナイーブな青年役なんだから、普通にしていた方が良かったんじゃないでしょうか。
ちなみ時子の妹・滋子役で出ている中村玉緒さんは、後に大河ドラマでは時子役でした。雷蔵さんも元気だったら、大河ドラマでまた清盛役だったかもしれませんね。
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関連タグ: 市川雷蔵 大映

醜聞(スキャンダル)

1950年/松竹/黒澤明監督
出演/三船敏郎、山口淑子、桂木洋子、志村喬、北林谷栄、千石規子、小沢栄(小沢栄太郎)、左卜全ほか
物語。画家の青江一郎(三船敏郎)は、山で偶然知り合った人気声楽歌手の西條美也子(山口淑子)と一緒にいるところをゴシップ誌のカメラマンに盗み撮りされて嘘の熱愛記事を書かれる。怒った青江が告訴を検討しているところへ、蛭田(志村喬)と言う貧乏弁護士が自分を売り込んで来る。善良そうな蛭田を信用した青江は弁護を依頼するが、蛭田は雑誌社の社長(小沢栄)に買収されてしまう…

労働争議でホームグランドの東宝を離れていた黒澤明が松竹で撮った作品のひとつ(もう1本は「白痴」)。黒澤映画の中では、殆ど話題にならない作品です。私も見るの初めてでしたが、思っていたより面白い。何より、三船敏郎が愛用のバイクを乗り回す新進気鋭の画家の役で、後ろに山口淑子を乗っけて爆走(本当に)する姿に、びっくり。

物語は、今で言えばさしずめ写真週刊誌にデッチ上げでフォーカスされた(って言う表現も古いが)有名人が事実無根の名誉毀損で告訴すると言う、きわめて現代的なお話。対する小沢栄太郎扮する雑誌社社長が「抗議されたら誰も読まない様なところへでも小さく謝罪広告を出しとけばそれで済む」とか「告訴されたら却っていい宣伝になる」などと嘯いてせせら笑っているところもリアル。今のマスコミの姿勢も全く同じでしょう。序盤では、人一倍正義感は強いが無骨で法律には疎い三船、卑劣で狡猾な小沢、戸惑う山口、そして騒ぐ世間など事件にまつわる人々の姿がテンポ良く描かれます。でも、その後は少し趣きが変わって行きます。俗悪なジャーナリズムと戦う物語はずが、志村喬扮する弁護士が主役のヒューマニックな物語に転じるからです。

お人よしの貧乏弁護士の志村は、義憤に駆られて三船の弁護を勝って出たものの、酒と賭け事が好きで意志薄弱な性格を小沢の見抜かれ、まんまと買収され弱みを握られてしまいます。その結果裁判ではシドロモドロで三船を満足に弁護することができず、きわめて不利な形勢に…と言うのが中盤以降のストーリーで、根は小心な善人の志村が良心の呵責で煩悶する姿は、後の「生きる」を彷彿させる名演です。
最後は、父親の正義と三船の勝利を信じていた病気の娘・桂木洋子の死をきっかけに志村は良心を取り戻し、小沢の不正の事実を告白して三船を逆転勝利に導きます。ダメ人間が「死」をモチベーションに生まれ変わるというのも「生きる」に似ています。
ただ、黒澤が描きたかったのは、マスコミの暴力なのか、更生する男の物語なのか、それともその両方なのか。話をまとめ切れていないきらいがあります。表看板の三船と裏主役の志村に中身が分かれてしまっているように思えるので、そのあたりが名作と言われなかった原因でしょう。

マスコミ禍に遭う主人公の職業を画家と声楽家にしたのは、芸術家=純粋/マスコミ(世間)=不純というわかりやすいイメージのためだったのかもしれませんが、それにしても三船さんが画家というのは究極のミスマッチのようにも見えます。山口淑子の歌に合わせてオルガンを演奏するシーンもあって笑ってしまうのですが、一方でクリスマスツリーをバイクに乗せて街中を駆け抜ける姿にはヨーロッパ映画のような格好よさがあります。
元李香蘭の山口淑子はエキゾチックな美貌が目を引きますが、物語の中での存在感は薄く、むしろ天真爛漫なモデル役を演じた千石規子の方が光ります。
小沢栄太郎を筆頭に、黛敏郎夫人である桂木洋子、映画初出演で既に老け役の北林谷栄、神田隆、増田順司など他の黒澤映画では見ない顔触れが出ているのも目を引きます。

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関連タグ: 三船敏郎 黒澤明 松竹

野良猫ロック セックス・ハンター

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1970年/日活/長谷部安春監督
出演/梶芽衣子、安岡力也、藤竜也、岡崎二郎、英美枝、有川由紀、青木伸子、小磯マリ、ケン・サンダースほか
物語。マコ(梶芽衣子)が率いるズベ公グループとバロン(藤竜也)をリーダーとする不良グループが根城とする立川の街に、妹メグミを捜すハーフの数馬(安岡力也)がやって来る。ハーフを憎悪するバロンは、舎弟の進(岡崎二朗)が惚れていたマリ(小磯マリ)を一郎(ケン・サンダース)に取られたのをきっかけに、街からハーフを追い出そうとし始める。そんなバロンに嫌気がさしたマコは数馬に惹かれはじめるが…野良猫ロックシリーズの3作目。

1作ごとに作風が変わる野良猫ロックシリーズ。今回はハーフ狩りと言うトンでもない話です。
何でハーフがそんなにいるのかというと、立川には敗戦後ずっと米軍基地があったから。バロンは、幼い頃米兵に姉をレイプされたことがトラウマになっている(インポ気味でもあるらしい)。しかし占領軍であり支配階級である米兵には手を出せなかったので、そのルサンチマンの代償としてハーフを標的にしている、という屈折した構図です。従って単純な人種差別じゃないのですが、どっちにしても、見ていてあまり気持ちのいいもんじゃないです。
最後も、米軍が去った後の飛行場跡地で、非占領国人のバロンと戦争の落し子の数馬が殺し合い、相果てる不条理で苦い結末。主役はマコの梶さんだし、主役相応に見せ場も多いんですけど、物語の核心部分を担っているのは明らかにバロンと数馬の方です。
梶芽衣子さんは、後の「女囚さそり」でも被っていた黒のつば広の帽子に黒のベストと言うファッション、手にステッキ?と言うスタイル。そうそう、野良猫ロックって言ったらこのイメージだったのに1、2作では出てこないから変だと思ってたら、3作目だったのね。1、2作目よりクールで退廃的な美しさも増しています。
藤竜也の狂気と暴力もパワーアップしており、敵役ながらニヒルなダンディズムが魅力的。
安岡力也は、突然挿入歌「禁じられた一夜」を歌いながら現れる日活伝統?の登場シーン。若いのは勿論、細くて別人かと思いました。数馬がボコ殴りされてやられっぱなしなのもちょっと力也らしくない。しかし生き別れた妹を捜す、一途でストイック(え?)なところにマコの梶芽衣子さんが惚れるカッコイイ役どころ。梶芽衣子さんとデュエットするシーンもあり。
梶さんたちのズベ公グループが溜まり場にしているゴーゴークラブで歌って踊っているのが、伝説のアイドルグループ、ゴールデンハーフ。「8時だョ!全員集合」のレギュラーだったので見覚えがありますが、記憶より何だか人数が多いと思ったら、もともとは 5人(すぐ1人脱退)だったようです。
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関連タグ: 梶芽衣子 日活

地獄門

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1953年/大映/衣笠貞之助監督
出演/長谷川一夫、京マチ子、山形勲、田崎潤、千田是也、黒川弥太郎、毛利菊枝、南美江ほか
物語。平清盛(千田是也)の留守中、反清盛派が謀反を起こす。清盛派は上皇の妹・上西門院を救うため、袈裟(京マチ子)が身代わりとなって敵の目を欺く。その護衛をした遠藤盛遠(長谷川一夫)は袈裟の美しさに心を奪われる。乱は清盛側が勝利し、手柄を立てた盛遠は清盛から褒美に望みのものを与えると言われ、袈裟を妻に欲しいと申し出る。だが袈裟にはすでに渡辺渡(山形勲)と言う夫がいた。諦めらめ切れない盛遠は執拗に袈裟に言い寄るが… イーストマンカラーを採用した大映初の色彩映画。

タイトルと言い題材と言い、ベネチア映画祭グランプリに輝いた黒澤明監督の「羅生門」(50年)の二匹目の泥鰌を狙ったとしか思えない作品。実際、その狙いは見事に当ってカンヌ映画祭グランプリを獲得したのですが…。
お話は、言わば平安時代のストーカー。人妻の京マチ子に横恋慕した武士・長谷川一夫が「言うことを聞かぬとお前の亭主も親類縁者も皆殺ししてしまうぞ」と脅迫。長谷川のDQN振りでは、本当にやりかねかいと思った京マチ子は、夫・山形勲の身代わりになって長谷川に討たれます。京マチ子の心情を知った長谷川は悔悟し、出家する…と言う物語。
とにかく長谷川一夫のストーカー振りが凄まじい。ほぼ全編、長谷川先生がただしつこく言いよる話で占められています。珍しく長谷川先生が悪役で、後年悪役で鳴らした山形勲が善良な夫役と言うのは一見役が逆のようですが、恋に狂うのが自他共に認める天下の二枚目・長谷川一夫なればこそ、それを振り払っても夫への貞節を貫こうとする京マチ子の姿に説得力が生まれます。
ただ、はっきり言って映画そのものは退屈。額面通り、人妻に付きまとう大馬鹿者、誘惑にも負けず貞節をつくした妻、お人好しで無力な夫、の物語と言う以上に深い意味があるようには見えないからです。強いて言えば、渡辺渡が安逸に慣れ切って没落する貴族階級を、欲しい物を力づくで手に入れようとする盛遠が新興武士勢力のあり方の象徴しているのでしょうか。でもそんなことが評価されてカンヌのグランプリを得たとは思えませんし、単にオリエンタリズムとかエキゾチズムが当時の欧米人に物珍しがられて受けただけでしょう。現在において見るべきものは、”動く平安絵巻”としての美術的価値ぐらいです。
なお、原作は菊池寛の「袈裟の良人」ですが、今までてっきり、芥川龍之介の「袈裟と盛遠」の方だとばかり思っていました。ちなみに菊池寛は初代大映社長です。
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関連タグ: 長谷川一夫 大映

秘録怪猫伝

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1969年/大映/田中徳三監督
出演/本郷功次郎、亀井光代、小林直美、上野山功一、戸田皓久、戸浦六宏、毛利郁子、川崎あかねほか
物語。享保年間。佐賀鍋島藩主丹後守(上野山功一)は、竜造寺又七郎(戸田皓久)の妹・小夜(亀井光代)を見初め側室となるよう命じるが、又七郎は断る。その後、囲碁の相手に城内に呼び出された又七郎は丹後守と口論となり、手討ちにされてしまう。兄の死を悟り絶望した小夜は胸を突いて自害。その生き血を飼い猫のタマに飲ませて復讐を託す…

鍋島の化け猫騒動のお話。
もともと佐賀では竜造寺家が主君で鍋島の方が家臣だったのに、いろいろあって鍋島が乗っ取ってしまい、立場が逆転。したがって、落ちぶれても竜造寺には旧主家のプライドがあり、また鍋島にも本来は向うが主筋だった負い目があると言う、微妙な関係。これを念頭に置かないと、いくら殿様の方が理不尽とは言え、なんで又七郎は家臣の分際でああも態度がデカイのか理解できません。
もっとも、鍋島の化け猫騒動があった(とされる)のは江戸初期で、まだ主従関係が逆転して間もない頃。だからこそ微妙な関係でもおかしくはないのですが、この映画じゃずーっと後の享保年間の話になっています。第一、その頃はもう竜造寺家なんてなかったと思うのですが。
復讐を託されて魔性と化した怪猫は、城内でまず中老の沢の井(毛利郁子)、次に丹後守側室のお豊(小林直美)に乗り移り、共謀の家老・矢淵刑部(戸浦六宏)ら都合6人を惨殺します。事件と無関係な腰元まで犠牲になっているのは哀れな気もしますが、これは丹後守個人への復讐ではなく、鍋島家そのものに対する竜造寺家の積年の怨念の表れなのだからある意味仕方のないこと。しかし、丹後守殺害は小森半左衛門(本郷功次郎)に阻まれ、果たせぬまま討ち取られてしまいます。肝心の元凶・丹後守が生き延びた上お咎めもなしって言うのは、さすがにどうかと思いますが、かと言ってまさか史実にない鍋島家お取り潰しにするわけにもいかないでしょう。せめて丹後守は殺されるも表向きは急病死ってことぐらいにすればよかったのですが。
既に末期に差し掛かっていた大映なので、製作費を削られ演出面でもなかなか苦労していた様子です。化け猫物にはある種のファンジックな面白さもありますが、この映画の場合はとことん生々しく恐ろしい感じがするのは、実は美術にあまりお金が賭けられなかったからでしょう。いくら夜のシーンがい多いからって映像がやたら暗すぎるほど暗いのも、セットの乏しさを隠す手段だったのかもしれません。でもそれを逆手に取って、漆黒の闇が怨念の深さを表す上で最大限の効果を生んでいます。
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