福澤朗の「プロレスニュース」2

「プロレスニュース」で脚光を浴びた福澤朗アナウンサーはやがてバラエティアナとして重宝され、1991年後半から「全国高等学校クイズ選手権」「アメリカ横断ウルトラクイズ」、そして「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」の司会を任されるなど、あっという間に日テレの看板アナに上り詰めます。
こうなればさっさとプロレスからおさらばしてバラエティに専念するだろう…と言う予想に反して、意外にもプロレス実況も継続。

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副音声ゲストにアイドルを招いてセクハラまがいに密着しながら実況するなど、ますますやりたい放題(隣は立花理佐)

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それまで「NNNニュース」などのスタジオに間借りして行っていた「プロレスニュース」にも専用の特設セットが完成します。

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「プ、プ、プ、プロレスクイ~ズ」などの新企画で攻めまくり、「全日本プロレス中継」の視聴率は日曜深夜としては異例の8%台を記録。 自信を深めた福澤アナは「視聴率10%を達成できなかったら小橋健太のムーサルトプレスを受ける!」と公言(結局10%には届かず、「毎分視聴率が10%を超えた瞬間があった」と言うことで逃げましたが)

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翌92年には「プロレスニュース・プラス1」へと衣替え。

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ただし折角の専用セットが剥奪され放浪スタイルとなるも、相変らず福澤節は好調。

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しかしバラエティ番組で多忙な福澤アナは欠場も増え

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後輩アナが登板する機会も多くなります。

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当時入社1年目だった、後の元木大介夫人や、

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何故かこの2人まで登場。

ともあれ、当初の賛否両論を強引に吹き飛ばした「プロレスニュース」は「全日本プロレス中継」の名物コーナーとして完全に定着。
このまま永遠に続くかと思われました。
しかし94年3月…

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なんと福澤アナが狂信的なプロレスファンに刺されて収録中に殉職!

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突然あっけなく最終回を迎えました。

と言うのは勿論やらせで、実は「全日本プロレス中継」の放送時間枠が30分に短縮されたために「プロレスニュース」コーナーが廃止されたのですが、最後まで悪ふざけに徹する「プロレスニュース」らしい幕切れで4年間の歴史を閉じたのでした。
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福澤朗の「プロレスニュース」1

現在、日曜夕方の報道番組「バンキシャ!」(日本テレビ)のキャスターを務める福澤朗がかつてプロレスの実況アナウンサーだったことは今や知る人ぞ知る事実かもしれません。
福澤アナが初めて「全日本プロレス中継」に登場したのは1989年4月18日「三冠統一戦 ジャンボ鶴田対スタン・ハンセン」の試合後。リングに上がって鶴田に勝利者インタビューを行った時でした。

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当時まだアナウンサー歴1年だった福澤アナ。汗と血にまみれた鶴田の顔と巨体を目の前にして少し腰が引け気味です。

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こわごわマイクを伸ばす福澤アナ。後姿のみで顔は映らず、この間わずか30秒でした。

かくしてプロレスアナデビューを果たした福澤アナ。とは言えまだ駆け出しの福澤アナがオンエアの実況に登場する機会は殆どなく、その後も暫くは試合中のレポーターや試合後の勝利者インタビュアーが主な仕事でした。

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1989年10月11日「三冠ヘビー級選手権 天龍源一郎対ジャンボ鶴田」で鶴田にインタビューする福澤アナ。半年前に比べるとだいぶ余裕が出てきました。

そして90年4月から倉持隆夫アナの後を受けて、いよいよ福澤アナが若林健治アナに次ぐ二番手のアナとしてレギュラー実況を担当することとなります。

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1990年4月13日に東京ドームで行われた「日米レスリングサミット」の放送に正装して臨んだ倉持、若林、福澤の歴代実況アナ。

しかし当時の福澤アナはまだキャリアの不足、技術の未熟は明らかでした。なにしろ時間やスタミナの配分を考えないでやたら絶叫するもんだから、途中で声は枯れるわ、終いには酸欠は起こすわ。まあはっきり言って最初は聞くに耐えない実況でしたね。
しかし運命は彼に味方したんでしょうか。
と言うのも、ちょうど福澤アナがレギュラーに就任した90年4月から「全日本プロレス中継」の 放送枠は日曜深夜12時半に降格してしまうのですが、皮肉にもこれが福澤アナにとってはプラスに作用します。 何故なら、日曜深夜なんて時間帯では視聴率的に苦戦は必至。従って今までのように、ただ淡々と試合を放送しているだけでは視聴者を惹き付けることも、新たな視聴層を開拓することもできません。
そこで苦肉の策として画期的な企画が誕生します。
その企画こそプロレスファンの賛否両論を呼んだ「プロレスニュース」のコーナーであり、そのキャスターに抜てきされたのが福澤アナでした。

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福澤アナの「プロレスニュ~~ス」と言うふざけたタイトルコール(のちに「プププ、プロレスニュ~~ス」にエスカレート)

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福澤"ジャストミート"朗アナウンサーが登場。

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急病で欠場したダニー・スパイビーの近況を真面目に伝える…

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と思いきや、スパイビーのコメントを「ふあんのみんなに、めいわくうぉ、かけた。もうだいじょうぶだから、はやく、でたいよぉ!」と、いかにも"外人訛りの日本語"といった感じで勝手な声色を付けて読み上げる。

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ある時は「ダイナマイト・キッドが日本語を勉強している」と言う触れ込みで控え室のキッドに直撃インタビュー。

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するとキッドは「ドシタノ?」「ダイジョウブ」「ナンジャコレ~」と松田優作張りの妙なカタコト。

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これを受けて福澤アナ「いやはや、キッド選手の日本語はとんだいっぱい食せものでした」とコメント

とまあ、こんな調子で「プロレスニュース」は毎回半ば面白おかしく脚色したプロレス情報を伝えるのでした。
プロレス中継の老舗日本テレビにあるまじきこの斬新な企画が始まるや否や、たちまちファンの間で賛否両論が沸騰。 「面白い」と言う声もある一方で保守的なファンは「プロレスをバカにしている!」と激怒。更にレスラーの間からも批判の声があがります。

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しかし福澤アナは全く動じる気配なし。

かくして無名の若手アナから一躍注目される存在になった福澤アナは人気アナへのし上がっていくきっかけを掴んだのでした。
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「スクールウォーズ」はホントに「泣き虫先生の"7年"戦争」か?

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今更言うまでもない有名な話ですが、大映ドラマ「スクールウォーズ」は伏見工高ラグビー部の実話に基づいています。「スクールウォーズ」の前に放送された「不良少女とよばれて」も実話ドラマと称していましたが、実際はモデルになった本人が仰天するほど大映テイストで塗り固められたフィクションでした。
その点、「スクールウォーズ」はスポーツの実話だけあって、さすがに滅茶苦茶な改変はできなかったのでしょう。
ドラマと実話の道のりを年表化して比較してみます。

川浜高校の軌跡(ドラマ)伏見工高の軌跡(実話)
年度主な出来事年度主な出来事
1年目
1-6話
滝沢賢治が川浜高校に赴任。1年目
1974年度
山口良治が伏見工高に赴任。
2年目
7-14話
滝沢賢治がラグビー部監督に就任。
「川浜一のワル」大木とイソップが入学。
全国大会神奈川県予選一回戦で相模一高に109対0で完敗。
イソップ死去。
練習試合で相模一高に勝利(1年目の奇跡)。
2年目
1975年度
山口良治がラグビー部監督に就任。
春の京都府大会で花園高校に112対0で完敗。
全国大会京都府予選決勝で花園高校に敗退。
3年目
1976年度
「京都一のワル」山本清吾が入学。
春の京都府大会決勝で花園高校に勝利。

全国大会京都府予選準決勝で同志社高校に敗退。
4年目
1977年度
「フーロー」入学。
「フーロー」死去。

全国大会京都府予選決勝で花園高校に敗退。
3年目
15-19話
平山誠らが入学。
全国大会神奈川県予選決勝で相模一高に敗退。
マネージャー山崎加代が死去。
5年目
1978年度
平尾誠二らが入学。
全国大会京都府予選決勝で花園高校に敗退。

4年目
20-21話
全国大会神奈川県予選決勝で相模一高を下し、花園に初出場。
全国大会3回戦で城南工大高に敗退。
6年目
1979年度
全国大会京都府予選決勝で花園高校を下し、花園に初出場。
全国大会3回戦で國學院久我山高校に敗退。
5年目
22-26話
国体決勝で城南工大高に引き分け。
「新楽」のマスターが死去。
全国大会神奈川県予選決勝で相模一高を下し、花園に2年連続出場。
花園で城南工大高を下し、全国優勝。
7年目
1980年度
国体決勝で大阪工大高に引き分け。

全国大会京都府予選決勝で花園高校を下し、花園に2年連続出場。
花園で大阪工大高を下し、全国優勝。

見ての通り、女子マネージャーやラーメン屋のマスターが死んだ話などはドラマの作り事ですが、それ以外のラグビー部の歴史は殆ど実話と同一です。相模一高のモデル花園高校に112対0で惨敗したことや、イソップのモデル「フーロー」が亡くなったことも実話を反映しています。
ただ違うのは、花園優勝までに要した年数。
実話の伏見工高は花園優勝まで7年かかっています。ドラマのタイトルに「泣き虫先生の7年戦争」とあるのは実話の「7年」に基づいていたわけです。ところがドラマでは5年で優勝を果たしています。
表でわかるように、原因は実話の2年目から4年目までの3年間が、ドラマでは全て2年目の1年間の出来事になっているせいです。なので2年分が浮いてしまい、「7年戦争」だったはずが5年になっちゃったのですね。
つまり「大木、イソップ入学」、「109対0」、「イソップの死」、そして相模一高に初めて勝った「1年目の奇跡」の試合…。ドラマではこれらが全て同じ年度の出来事になっています。従って「1年目の奇跡」は、「109対0」からの1年後ではありません。第一、 1年後なら部員たちが代替りしているはずなのに、全員の学年が変っていないのも変です。
一方、実話では伏見工が花園高校に「112対0」で惨敗したのは1975年度春の京都府大会。勝利したのが76年度春の京都府大会。ちゃんと1年後なのです。
では何故実話通りに描かずに、7年を5年に短縮し、3年間にまたがっていた出来事を1年間分にまとめてしまったのか。
推測ですが、まず第一に、全26話で7年分を描こうとしたら時間が足りません。登場人物(ラグビー部員)の入れ替わりも激しくなるので物語をじっくり描くことは不可能でしょう。
そして第二の理由はおそらく「1年目の奇跡」を「イソップの死」と絡めて劇的に描きたかったからでしょう。
だって実話通りだと、「1年目の奇跡」は3年目で「フーローの死」は4年目の出来事。つまり前の年の出来事だから全く関係がありません。しかも「フーロー」が亡くなった後でまた花園高校に負けているわけですから、劇的な要素が薄いです。
そこでドラマでは「イソップの死」の直後に「1年目の奇跡」があったことにして、「物語前半のクライマックス」を設定したわけですね。ただ、その反動で年数に辻褄が合わなくなってしまったわけです。

辻褄が合わないと言えば、生徒役たちの学年。
1年目に森田光男(宮田恭男)と山崎加代(岩崎良美)は2年生、森田の恋人富田圭子(伊藤かずえ)は1学年上の3年生でした。ところが森田は試験に落第して2年生をもう1回やるハメになってしまったので、加代とは1学年、圭子とは2学年の差が開いたはずです。なのに、加代と森田は相変わらず同学年のままだし、圭子も森田が卒業するまで港南女学院の制服を着ています。 つまり、いつの間にか加代も留年、圭子に至っては2年も留年したことになるわけです。
まあ加代の場合、家庭の事情などいろいろあって卒業が遅れたのだろう…と想像で補えなくもありませんが、圭子の場合は何なんでしょう?この人も大阪に転校してまた戻ってきたりゴタゴタしていたので出席日数が足りなかったのかもしれませんが、それにしても「2年留年」は長過ぎですね^^;

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「全日本プロレス中継」の実況アナ&解説者

「全日本プロレス中継」の名勝負を放送席からお茶の間に届けた歴代の実況アナウンサーと解説者です(90年代初頭まで)。

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清水一郎アナウンサー
清水アナ(手前)は前身の「日本プロレス中継」時代から「全日本プロレス中継」初期まで約20年間に渡って実況を担当。私がプロレスを見るようになった頃はもう勇退されていたのでリアルタイムの印象はないのですが、どんな場面でも大声を張り上げることはなく淡々とシリアスに伝える、この時代のスポーツアナウンサー特有の実況スタイルですね。
山田隆さん
山田隆さん(後ろ)は「東京スポーツ」の記者(のちフリーのプロレス評論家)で、「日本プロレス中継」時代から1989年3月までメイン解説者。ブルドックのような顔と独特のしわ枯れ声でアメリカマット界の最新事情などを織り交ぜながら滔々と語る口調が印象的でした。

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徳光和夫アナウンサー
徳光アナは「日本プロレス中継」時代から1975年頃まで実況を担当。この人もリアルタイムでは見ていないのですが、クラッシャー・リソワスキーにマイクを噛まれたシーンは珍場面として有名です。

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倉持隆夫アナウンサー
倉持アナ(左。隣は山田隆さん)は74年12月、ジャイアント馬場がジャック・ブリスコを破って初めてNWA王座を獲得した試合後のインタビューから登場し、90年3月まで実況を担当。私にとって「全日本プロレス中継」と言えば倉持&山田コンビが馴染み深いです。一見正統派アナウンサー風でありながら時折発する過剰なまでに大袈裟な表現「ジャイアント馬場、マッハのスピード!」「ブッチャーの額からだらだらと血が流れます!1リットル、いや2リットルか?!」「世界のアイドル、ドリー・ファンク・ジュニア!」などの語録も忘れ難いです。

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松永二三男アナウンサー
松永アナは1978年頃から83年頃まで実況を担当。別に厳密な区別があったわけではありませんが、何となく倉持アナが馬場の試合の実況で、松永アナはジャンボ鶴田の試合の実況だったイメージがあります。確かプロレスと平行してキャスターを担当していた「独占!!スポーツ情報」の企画で全日本の道場に行き、強制的に技をかけられたこともありましたね。

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田鶴浜弘さん
田鶴浜さん(右)はプロレス評論の草分けと言われる大御所で、「日本プロレス中継」時代から1985年まで解説者として登場。私が見た頃はかなりご高齢のせいかトンチンカンな受け答えが多いアナウンサー泣かせの解説者で、特に倉持アナには冷たくされていましたね。「コロシアムでコロシアイですな」「空軍と海軍…いやアーミーじゃなくてネイビーだ」「あけましておめでとうございまし"た"」などの名言を残しました。

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竹山祐一アナウンサー
竹山アナはよみうりテレビのアナウンサーで、全日本プロレスが関西地区で試合を行なう場合の中継に参加。91年まで主にセミファイナル前の実況を担当していましたが、正直言ってあまりうまい実況とは言えず、特に技の名前がかなり怪しかった記憶があります。ジャイアント馬場&アンドレ・ザ・ジャイアントの大巨人コンビの試合での実況「行け行けそれ行け巨人軍!」は笑えました。

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竹内宏介さん
竹内さんは雑誌「ゴング」の編集長(のち顧問、日本スポーツ出版社長)で、1978年から92年まで解説を担当。どんな話題でも即座に答える博識とテンションの高い解説は「魂の解説者」と呼ばれ、若林アナとの「若竹コンビ」で親しまれました。 91年正月だったか、「鶴田・田上組が世界タッグを獲る!」と予想して見事に外れた時は、公約通り坊主になり視聴者50名を武道館大会に自費で招待する太っ腹振りも見せました。

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ジャイアント馬場
言わずと知れた全日本プロレスの総帥。80年代後半に第一線を退いてから準レギュラー解説者になり、90年代はメイン解説者に。若林アナが技のダメージを聞くと「いや全然効いてませんよ」とそっけなく応じたり、気に入らない質問だと沈黙してしまったり、実況と全然スイングしないシビアな解説が売り物でした。

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若林健治アナウンサー
若林アナは松永アナの後任として1984年から登場。他のアナが社命で仕方なくプロレスを実況していたのに対し、子供の頃から熱狂的なプロレスファンだった若林アナはプロレスの実況がしたくて日本テレビに中途入社。それだけに熱い実況を展開しましたが、露骨に私情を込めまくりなところが個人的にはちょっと苦手でした。94年、 放送が30分枠に短縮された時はオンエア中に「戻せ1時間枠~」と絶叫し、それが上層部の逆鱗に触れたのか、降板。

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福澤朗アナウンサー
福澤アナは倉持アナの後任として90年から97年まで実況を担当。若林アナとは対照的に入社するまで全くプロレスに興味がなかった福澤アナですが、「プロレスニュース」で知名度を上げ人気アナへのし上がりました。プロレスを出世の踏み台にした生き方は今だにファンの賛否両論!?
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サイト更新記録3

刑事コロンボキャスト紹介
http://tvmovie.web.fc2.com/columbo/cast.html
刑事コロンボ「金曜ロードショー」放送リスト
http://tvmovie.web.fc2.com/columbo/ntvlist.html
パパはニュースキャスター
http://tvmovie.web.fc2.com/papanew.html
真田太平記
http://tvmovie.web.fc2.com/sanada.html

これでリスト作成はひとまず終わり。
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「男たちの旅路」のロケ地@布田駅前

「男たちの旅路」http://tvmovie.web.fc2.com/tabiji.html
のロケ地ネタをもうひとつ。
やはり第2部の第1話で、終盤に杉本陽平(水谷豊)と鮫島壮十郎(柴俊夫)が犯人を張り込み、追跡するシーンを撮影したのは京王線の布田駅前でした。

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「男たちの旅路」第2部第1話より、1977年当時の布田駅。

ここは個人的にも思い出のある場所で、学生時代は調布に住んでいたので布田駅もしょっちゅう利用していました。 私がいたのはドラマの10年後でしたが、駅舎はドラマ当時のままだったしも周囲の風景もそれほど変わっていませんでしたね。
布田駅はその後改築されましたが、つい数年前まではまだ少し面影が残っていました。
ところが!
先日現在の布田駅をストリートビューを見たら、なんとホームも踏切も線路もない!?
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ここにホームと線路があったはずですが…。

実は2012年に地下化され、ホームも線路もすべて地面の下に潜っちゃったんですね。全然知りませんでした…。

と言うわけで、改めて駅周辺の様子を「男たちの旅路」の映像と比較してみます。
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「男たちの旅路」より。駅前を見張る陽平と壮十郎

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2009年のストリートビュー画像より。ドラマに映っていた建物が当時のままありました。

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2014年。現在はありません。

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「男たちの旅路」より。犯人を追いかける陽平たち。

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2009年には踏切と「一富士」のお店が残っていましたが…。

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2014年。これも現在はありません。

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「男たちの旅路」より。線路沿いの路を走る陽平と吉岡(鶴田浩二)。

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2009年には勿論まだ線路がありました。

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2014年。線路がない…。
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「男たちの旅路」のロケ地@三井物産運動場

NHKドラマ「男たちの旅路」シリーズ(1977~79年)で新人警備員の研修会場に使われていた運動場はいつも同じ場所です。
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「男たちの旅路」第2部第1話より。

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ロケ地は府中市の三井物産運動場、現在の明大府中グラウンドです(画像はwikipediaより)。

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実はここ、「スクールウォーズ」(1984年)であの伝説の試合「109対0」のロケ地でした。

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更に「セーラー服反逆同盟」(1986年)では黒鳥学園のグラウンドでした。

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「男たちの旅路」より。中央は水谷豊。その右は五十嵐淳子。

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「セーラー服反逆同盟」第17話より。後ろの国旗掲揚台が同じです。

「スクールウォーズ」「セーラー服反逆同盟」のロケ地だったことは前から知っていましたが、 「男たちの旅路」でも使われていたとは最近まで気づきませんでした。

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「白い巨塔」(田宮二郎版)浪速大学病院のロケ地

田宮二郎版「白い巨塔」(1978年)の舞台、浪速大学病院は大阪の大学病院と言う設定になっています。 なのでてっきり大阪でロケしたとばかり思っていたら実は東京でした。

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「白い巨塔」の浪速大学病院(旧館)の外観(画像は上が第23話、下が第1話より)。

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ロケに使われたのは杉並区の浴風会本館です(画像はgoogleストリートビューより)。

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ここは2003年の唐沢版でも東都大学病院の外観に使われています(第18話)。

調べてみると浴風会本館を設計したのは、東大安田講堂の設計者と同じ人なんですね。 歴史的建造物なので有名なロケ地らしく、ほかにもいろいろなドラマに登場しています。

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「あぶない刑事」(1986年)では少年院の外観(第29話)

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「セーラー服反逆同盟」(1986年)では修道院(第18話)

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更に「ザ・ハングマン」(1980年)では中庭が病院に使われ(第4話)

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「不良少女とよばれて」(1984年)では物語の舞台である女子少年院・相模愛育女子学園の撮影に使われました(画像は第16話より)。

気づいただけでもこれだけあったので、探せばまだたくさんあるのでしょうね。
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webサイトのメリット・デメリット

ホームページ(webサイト)のメリットはレイアウトを自分の自由に使えること。 デメリットはそれ以外のすべて。 特に致命的なのは訪問者が少ないことです。
ブログは検索にかかり易いので記事数が増えばアクセスもそれなりに見込めますが、webサイトの場合はお話になりません。
昔はサイトを立ち上げたら取り敢えず他所のサイトにリンクを依頼したりリンク集のサイトに登録するのが手っ取り早くて手軽な集客の手段でした。 でも今はリンク集をネットのナビゲーションに使う人なんて皆無に近いので何の役にも立ちません。
更に以前はyahooカテゴリに登録されると検索で優先的に表示されると言う特権がありましたが、 yahooがgoogleと連携してからは何の意味もなくなりました。いずれにせよ個人サイトは検索で冷遇されるので、 誰も見ていなくても自己満足で続けられると言う覚悟が予めないとやれないですね。
仮に閲覧者がそこそこあったとしても、無反応に耐える覚悟も必要です。 これはブログでもそうですが、昔はホームページの掲示板やブログのコメント欄が担っていたコミュニケーションの機能が 今はツイッターやfacebook、SNSなどコミュニケーション専門のツールに特化してしまったので、わざわざコメント欄に書き込む奇特な人間は殆どいません。 今、一部のブログを除けば比較的コメントが付き易いのは、アメブロとかyahooブログとかのようなSNS的な要素を含んだ会員制の機能を持つブログだけでしょう。
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白い巨塔
http://tvmovie.web.fc2.com/kyotou.html
スクールウォーズ
http://tvmovie.web.fc2.com/schoolwars.html
スクールウォーズキャスト紹介
http://tvmovie.web.fc2.com/schoolwars/cast.html
をup
白い巨塔は当面放送リストだけですがスクールウォーズは各話の配役データもupしました。 これは別館(山本理沙メモリーズ)のコンテンツと被るのでどうしようかと思っていましたが、 向こうは所詮脇役のフィルモグラフィなのでいずれデータを省きます。
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