大映の松方弘樹

かねて病気療養中だった俳優の松方弘樹が1月21日に亡くなった。今月は「ザ・ガードマン」の神山繁、「ガメラ対深海怪獣ジグラ」の八並映子、そして松方と、大映に所縁の俳優が立て続けに亡くなり大映ファンにとってはつらい月になってしまった。
え、松方が大映?東映じゃないの?と訝る向きがあるかもしれないが、実は松方は1969年から71年までの2年弱、早逝したスター・市川雷蔵の穴埋めとして東映から大映にレンタル移籍していたことがある。
松方によれば、
「東映にいても上がつかえていましたからね。岡田茂さん(※引用注)が『ちょっと大映に行ってこい。あそこはスターがいないから、主役を取れるぞ』と。
東映じゃあ、うだつが上がらないんですよ。役も二番手ならまだいいけど、その辺のいい役は待田京介さんとかがもらっていましたからね。任侠映画のほとんどを作っていた俊藤浩滋プロデューサーからも『お前はまだ若い』と言われていましたし。
大映だったら主役は勝オーナー(※新太郎)しかいませんから、京都には。ですから、喜んでレンタルで行きました」
http://www.news-postseven.com/archives/20140823_271983.html
とのこと(※岡田茂とは当時の東映京都撮影所長、後の社長)。
かくして東映では三番手・四番手に過ぎなかった当時26歳の松方が大映ではエースとして迎えられ9本の映画に出演、うち8本で主演を務めている。

1969.05.31 秘剣破り(監督・池広一夫)
1969.08.30 刑務所破り(監督・池広一夫)
1969.10.04 眠狂四郎円月殺法(監督・森一生)
1969.11.01 二代目若親分(監督・安田公義)
1969.12.20 眠狂四郎卍斬り(監督・池広一夫)
1970.02.07 忍びの衆(監督・森一生)
1970.02.21 玄海遊侠伝 破れかぶれ(監督・マキノ雅弘)※
1970.03.15 兇状流れドス(監督・三隅研次)
1970.12.05 皆殺しのスキャット(監督・森一生)
※「玄海遊侠伝 破れかぶれ」は勝新太郎主演、他は全て松方主演。

移籍1作目の「秘剣破り」はかつて雷蔵が主演した「薄桜記」(1959年)のリメイク物で、助演は雷蔵、勝新に次ぐ第三のスターと言われた本郷功次郎。外様で後輩の松方の脇に回った本郷には内心忸怩たる物があっただろうが、いずれにしろ雷蔵の後継者と言う立場を鮮明にした松方は以後「眠狂四郎」「若親分」と言う雷蔵の当たり役を演じることになる。
とは言え、雷蔵のイメージがまだ鮮明なこの時期にその代わりを演じるのは任が重かったし、そもそも雷蔵と松方では全く資質が違う。松方の主演作はそっぽを向かれ、ただでさえ客足の落ちていた大映の上映館ではますます閑古鳥が鳴くことになったそうである。
ちなみに「二代目若親分」以降の6作品のうち5本は南美川洋子との共演作なので、松方・南美川のコンビで売り出そうと言う思惑があったのかもしない。ところが南美川は「高校生ブルース」への出演を拒否したことでホサれてしまい、一方の松方も何故か71年は1本も出演作が作られぬまま大映倒産を待たずして東映に復帰している。一説によれば大映が日活と提携したダイニチ映配の設立に反対してホサれたとも言われるが、だとすれば瀕死に際してもなお主演俳優を干すと言う支離滅裂なことをしていた大映は末期症状を呈していたと言わざるを得ない。
落ち目の大映とは言えエースまで務めた松方であったが、東映復帰後は再び三番手四番手の位置に収まり、1973年の「仁義なき戦い」でブレイクするまで更に2年を要した。松方にとって大映での2年間は何だったのか、一度じっくり聞いてみたかった気がする。合掌。
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「眠狂四郎卍斬り」

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「忍びの衆」

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