大映俳優列伝(19)梓英子

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のっけから余談だが、吉田拓郎がまだ無名だったデビュー当時、所属レコード会社の命令で初めてテレビ出演したのは、野末陳平の司会で子供たちが新人歌手を審査する番組だったらしい。そこで拓郎は「イメージの詩」を弾き語りで歌ったのだが、子供に理解できるはずもなくボロクソにけなされ、それに大人げもなくムキになって言い返したりして散々だった。ヤケになった拓郎は司会の野末に「最後に何か言いたい事は?」と聞かれた時、カメラに向かって「梓英子さんが大好きだー!」と叫んだそうだ。
無論、大映女優の梓英子のことである。

古い日本映画のファンには有名なことかもしれないが、梓英子はピンク映画出身と言う、当時の映画界では考えられない変わり種である。
17歳の時に森美沙と言う芸名で数本のピンク映画に出演しているのだ。中でも「日本拷問刑罰史」は半裸で責められる、かなりハードな役柄だったようである。
だが1965年(昭和40年)、一般映画に転向して松竹映画「若いしぶき」に出演する。梓英子と言う芸名はこの時の役名だった。その後、東映や日活への出演を経て、1967年に大映と専属契約したのである。勿論ピンク映画に出演していたことは伏せられ、以後は清純派として活躍した。なので吉田拓郎もその前歴は知らなかったはずである。
大映では「今夜は踊ろう」(1967年)が初出演作で、以後3年間で13本と数は少ないが喜劇、時代劇、アクション物、文芸物と幅広く出演している。愛らしい顔立ちでおデコに特徴があった。唯一の主演作は「ヤングパワーシリーズ 大学番外地」(1969年)と言う作品で、梓英子演じる女子浪人生が行き掛りから身分を隠して学生運動の闘士になってしまう話が、何やら前歴を隠して清純派になった彼女自身を連想する設定である。
しかしハレンチ路線が台頭して来ると今更その手の映画に出たくなかったのか活動の中心をテレビに移す。「どてらい奴」(1973~77年、フジテレビ)で西郷輝彦が演じた主人公・猛やんの妻茂子役などにレギュラー出演し、「NTV紅白歌のベストテン」(日本テレビ) の司会を務めたこともある。 その間の1973年にNETテレビの社員と結婚。77年にNHK朝の連続テレビ小説「風見鶏」にレギュラー出演したのを最後に引退した。

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大映俳優列伝(18)笠原玲子

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八代順子の回でガメラシリーズに出たおかげで他の5人娘より知られていると書いたが、そういう意味で最もメジャーな大映末期の若手女優はガメラシリーズ最多の3本に出演した笠原玲子かもしれない。
笠原玲子は数奇な(でもないが)運命を辿っている。大映に入る前は東宝芸能学校に通い、1964年の東宝第4期ニュータレント(ニューフェイスから改称)に合格しているのだ。同期には黒沢年男、高橋紀子、沢井桂子などがいた。しかしデビューする前に病気で辞め、改めて1年後に大映18期ニューフェイスを受験し合格している。
ここで気になるのは、もしそのまま東宝にいたらどうなっていただろうか?と言うことである。
それはまた後で考えるとして、ともかく大映入りした笠原は1966年5月、同期の篠田三郎とともに「雁」でデビューする。
翌67年、笠原玲子はガメラシリーズ第3作「ガメラ対ギャオス」のヒロインに抜擢される。だが、子供向けの怪獣映画に出た程度では格上げにならないらしく、その後は再び同期と思われる水木正子や津山由起子と寄ったりのポジションの脇役が続いている。「勝負犬」(67年10月)では3人揃ってナイトクラブの案内嬢役である。
やがてハレンチ路線が台頭してくると、水木と津山はその主演グループ「5人娘」に抜擢され、笠原もハレンチな役柄をあてられることが多くなった。笠原自身は少しトウが経っていたせいか(?)5人娘の仲間には入れてもらえず、「ある女子高校医の記録 失神」ではバーのホステス、「ある見習看護婦の記録 赤い制服」では看護婦寮の室長役である。ちなみに同僚の室長を演じたのが甲斐弘子であった。
その甲斐弘子とはガメラシリーズ第5作「ガメラ対大悪獣ギロン」(1969年)でコンビを組む。役柄は「対ギャオス」の清楚なお姉さんから一転してケバいメイクと変なコスチュームの人食い宇宙人であった。子供の頃にテレビで見た時にはその落差に唖然とした記憶があるが、後で思えばむしろ清楚な役柄の方が例外で、普段はハレンチな役柄の方が多かったのである。ちなみに「おんな牢秘図」(1970年)ではウルトラマンのフジ隊員こと桜井浩子とも女囚役であられもない共演を果たしている。71年1月の「すっぽん女番長」には笠原、八代、八並映子の歴代ガメラガールズ(そんな呼び方は誰もしていないが)が勢ぞろいしている。
尤も地味だが堅実な笠原は重宝されたのか、製作本数が激減した末期大映の女優陣の中では比較的出演作が多い。ガメラシリーズ最終作「ガメラ対深海怪獣ジグラ」に3度目の出演を果したのを始め、大映最後の作品「蜘蛛の湯女」まで脇役として支え続けた。
大映倒産後は勝プロの「子連れ狼 三途の川の乳母車」や東映の「女囚さそり 第41雑居房」などの映画に出演し、テレビでは「キカイダー01」「狼無頼控」「プレイガール」など数多くの作品に出演したのち1975年に結婚引退した。『日本映画人名事典』は徳間大映の「金環蝕」(1975年)を最後の作品にあげているが、その後の「続・人間革命」(1976年、東宝)にも出演記録がある。
と、ざっと振り返ったところで、改めて先ほどの仮定「もし笠原玲子が東宝に入っていたら?」を考えてみたいのだが、東宝同期の沢井桂子はゴジラ映画や若大将シリーズに出ていたし、1期下の水沢有美は青春学園ドラマに出ていたので、笠原玲子も似たような使われ方をしたと思われる。映画界が斜陽化していたこの時期の女優はよほど突出した存在でない限り大成は難しく、結局どっちに転んでも大差なかったような気がするのである。
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大映俳優列伝(17)三笠すみれ

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前回の記事で水木正子の最後の出演作が「刑事くん」だったと書いたが、「刑事くん」のゲスト出演者を見るとほかにも大映残党の俳優が多数出演していたようである。若手では八代順子、松坂慶子、篠田三郎、平泉征、ベテランでは高杉玄、千波丈太郎、目黒幸子、浜田ゆう子などである。
もう一人、しかもレギュラーで出演していたのが三笠すみれである。あまり聞いたことのない名前かもしれないが、大映末期の現代劇に出ていた若手脇役女優である。
1949年生まれ。1966年入社のニューフェイスと言うことなので、水木正子、津山由起子同様に篠田三郎や笠原玲子と同じ第18期だろう。最初は本名で出ていたようなので三笠すみれと言う名前が初めてクレジットされたのは多分1968年1月の「関東女賭博師」である。
同じくこの作品が初クレジット作だったと思われるのが甲斐弘子だ。後に「ガメラ対大悪獣ギロン」(1969年)で第十惑星人バーベラを演じたことでのみ特撮ファンには記憶されてしまったが、一般映画ではハレンチ物などの脇役を演じ、水商売系の役柄が多かった。1971年には大映レコードから「おんな素足の流れ唄」と言う曲(演歌?)で歌手デビューもしている。
三笠すみれも5人娘の「ある女子高校医の記録 妊娠」「ダンプ・ヒップ・バンプ くたばれ野郎ども」などに同級生役などで出ていた。似たようなポジションには米山ゆかり、川崎陽子などがいる。
5人娘が解体されて八並映子や関根恵子の時代になってもそのポジションは変わらず、特に「高校生番長」シリーズには4本全てに出演している。甲斐弘子同様に大映倒産まで在籍し、最後の出演は関根恵子主演の「遊び」だった。
甲斐弘子はそこで消えてしまったようだが、三笠すみれはむしろ大映倒産後の方が活躍している。
「だいこんの花」(1972年、NET)「ケーキ屋ケンちゃん」(1972~1973年、TBS)「刑事くん」(1973~1974年、TBS)などレギュラー出演が多く、ほかにも「ウルトラマンA」「東芝日曜劇場」などにゲスト出演している。ちなみに「ウルトラマンA」に出演した時は、次の週のゲストが八代順子だった。
76年に結婚を機に引退したようである。最後の出演は古巣とも言える大映テレビ制作の「夜明けの刑事」第96回(1976年12月8日放送)だった。
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大映俳優列伝(16)水木正子、津山由起子

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末期の大映は十代の性を描いたハレンチ路線の映画に多数の新人若手俳優を投入したが、その代表格が渥美マリ、南美川洋子、八代順子、水木正子、津山由起子のいわゆる5人娘だったことは八代順子の時にも触れた。このうち渥美、南美川、八代の3人はプロフィール等がはっきりしているが、水木と津山に関しては情報が皆無に等しいためさっぱりわからないのが実情である。
取り敢えず2人の名前が初めてクレジットされたのは、津山由起子が1966年5月公開の「雁」、水木正子は5か月遅れて同年10月の「赤い天使」のようだ。「雁」は第18期ニューフェイスの篠田三郎のデビュー作とされ、同じく笠原玲子の初クレジット作でもある。なので水木と津山もたぶん彼らと同期ではないかと思う。「赤い天使」では水木、津山、笠原、篠田、そして西尋子(賀川ゆき絵)が同じような位置にクレジットされている。水木や津山がどこに出ているのか正確に確認できなかったが、野戦病院の話なのでおそらく看護婦役の一人だろう。
その後もしばらく脇役暮らしが続いたが、1968年2月公開の「あるセックス・ドクターの記録」に水木が準主役で起用される。船越英二扮する医師を主人公に性病の恐怖を啓蒙する意外と真面目な話だが、水木は身に覚えのない性病疑惑に苛まれる令嬢を演じ、津山も脇役で出ている。
やがてこの作品が契機となって始まったのが「ある女子高校医の記録シリーズ」である。その1作目「ある女子高校医の記録 妊娠」で水木が事実上の主役を演じるとともに、津山、南美川洋子、渥美マリ、八代順子が初めて揃い踏みして「5人娘」が誕生したのである。
5人娘による作品は翌1969年にかけて9本製作され水木は最初こそ主演格を張っていたものの次第に脇へ回ることが多くなる。一方の津山が主演グループに入ったのは69年5月の「ダンプ・ヒップ・バンプ くればれ野郎ども」ぐらいであとは八代とともにほぼ助演であった。
同年8月、渥美マリが「いそぎんちゃく」で単独の主演に抜擢されたことで5人娘は事実上の解体。それと前後して水木は大映を退社したようだ。大映最後の作品は「あゝ海軍」「与太郎戦記」の2本立てで、前者は峰岸隆之介(峰岸徹)の元恋人役、後者にはフランキー堺のあこがれる看護婦役で出演している。
翌70年には津山も退社し、芸能界そのものからも姿を消してしまう。大映最後の出演作は「女賭博師壷くらべ」(1970年2月)だったが、その後でTBS系のテレビドラマ「戦国艶物語」にも出演している。戦国女性が主人公の三部作の歴史もので、津山は第三部・千姫編に出演しているが具体的な役柄はわからない。何回目に出演したのかも不明だが、放送期間が1970年3月28日~5月16日なので映画より後であることは確かだ。
水木の方は70年に松竹や東宝の喜劇映画に出演したほか「ゴールドアイ」(日本テレビ)「キイハンター」(TBS)、71年は「仮面ライダー」(毎日放送)や「ターゲットメン」(NET)などのテレビドラマにゲスト出演する。だが年末の東宝映画「日本一のショック男」からしばらく出演が途絶えてしまう。
その後何をしていたのかわからないが、2年近く経った73年8月になって「仮面ライダーV3」第26話「怪人ヒーターゼミのミイラ作戦!!」にゲスト出演する。
役柄は怪人ヒーターゼミの人間体、つまり悪役である。大映の先輩俳優・千波丈太郎扮するドクトルGと2ショットのシーンもあった。
続いて「キカイダー01」第21話(NET)と「刑事くん」第2シリーズ第30話(TBS)にも出ている。すべて東映制作なので同じ繋がりによる出演だったのだろう。 だがそれ以降の出演作は見当たらず、再び消えてしまったのである。
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大映俳優列伝(15)熱田洋子

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八代順子とともに大映カレンダーに登場していた熱田洋子はよくわからない女優である。実はカレンダーに起用されたのは幻となった72年だけではなく、前年からである。2年連続で大映の顔の一人として抜擢されているのだから既にスターと言っていいはずだが、それに見合った活躍がなかったのだ。
詳しいプロフィールは不明だが1969年末の「秘録怪猫伝」が初クレジット作のようだから、たぶん大映京都6期の伊吹新吾(伊吹剛)と同期だろう。なお京都6期は東京のニューフェイス20期に相当するので八並映子や速水亮とも同期になる。
翌70年3月、「透明剣士」で主役の酒井修の恋人役に抜擢される。この映画は八代順子が出演した「ガメラ対大魔獣ジャイガー」の併映作であった。「新人」の注釈が付いているのでこれが公式デビュー作ということになるようである。
この年はその後3本の映画に出演しているが主役は1度もなく、「ママいつまでも生きてね」と言う難病物で主人公の少年の姉役が目立つぐらいであとの2本は端役である。にもかかわらず71年用のカレンダーに早くも川崎あかねや八代順子らと並んで起用されている。
ところがその後1年近く出演作がない。テレビドラマに出演していた様子もなく、大映の製作本数が減っていたとは言え期待の新人を遊ばせておくのは解せない話である。
漸く71年10月になって「若き日の講道館」と言う柔道映画に出演している。主演は岩下志麻の実弟・岩下亮で、熱田洋子はその相手役だ。この年の出演作はそれ1本だけだったが、またしてもカレンダーには2年連続で登場しているのである。人材がいなかったと言えばそれまでだが、結局、殆ど活躍しないうちに大映は倒産してしまう。
他の俳優と同様に熱田もテレビに移ったらしく、72年4月から森田健作主演の学園青春ドラマ「青春をつっ走れ」(松竹製作、フジテレビ)に1話からレギュラー出演している。役柄は森田のクラスの優等生で、郷ひろみの姉の役である(郷ひろみは歌手デビュー前だった)。ところが何故か5話で突然降板してしまうのだ。後任に代役が立てられたことからも明らかなように物語上の設定ではなく本人の都合であろう。その後の出演作も見当たらず、幻の72年大映カレンダーのごとく彼女も芸能界から消えてしまうのである。
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大映俳優列伝(14)八代順子

1972年用の大映カレンダーが実在している。言うまでもなく大映はその前年暮に倒産したが、カレンダーはそれ以前に完成していたのだ。実際に配布されたのか不明だが、ネットオークションなどには時々出品されている(画像はネットで拾ったものである)
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表紙が関根恵子で、各月には京マチ子、勝新太郎、若尾文子、江波杏子、安田道代、峰岸隆之介、渥美マリ、八並映子ら新旧のスターが登場している。
更に前年つまり1971年用のカレンダーと比較すると、松方弘樹と南美川洋子が消えて新たに篠田三郎と松坂慶子が加わっている。この二人が72年期待の星だったのだろう。ただし八代順子、熱田洋子と4人一組の写真である(手前のビキニ姿が松坂と熱田、後ろに立っているのが八代と篠田)。
水着姿なので当然夏頃に撮影したのだろうし、熱田は大映京都の女優で4人が共演した作品がないことからもカレンダー用の特写であったことが窺える。
で、前ふりが長かったが取り上げるのは篠田と松坂ではなく八代と熱田のほうである。まず今回は八代順子である。

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八代順子は第19期ニューフェイスとして入社し、1968年3月の「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」で同期の渥美マリ、八重垣路子とともにボーイスカウトの指導員役でデビューしている。この中でヒロイン格なのは主人公の少年の姉役の八重垣で、何故か黒縁のメガネをかけている八代は一番地味な存在である。
尤も八重垣はこの後「セックスチェック 第二の性」「不信のとき」「女賭博師 尼寺開帳」の3本に端役で出たのみで年内に姿を消す。
残った八代と渥美は68年後半から翌69年にかけて南美川洋子、水木正子、津山由起子とともに「ある女子高校医の記録」シリーズなどに出演してハレンチ路線の「5人娘」として売り出される。ただしここでも主演格は南美川や渥美で八代はその仲間の一人と言うことが多かった。
やがて渥美がピンの主役で独り立ちし、水木と津山が消え、さらに南美川も干されて八代だけ残ったが、「相手変われど」の言葉どおり後輩の八並映子や遥か年下の関根恵子の主演作で相変わらず友人役を演じた。
その傍らで70年3月「ガメラ対大魔獣ジャイガー」に1期後輩の炎三四郎(速水亮)の恋人役で出演している。5人娘の中で唯一ガメラシリーズに2度出演しヒロインも演じたことで、結果的には他の4人より長く記憶されることになった。
大映最後の出演作は八並主演の「すっぽん番長」(71年1月)だったが、それと前後して71年からはテレビドラマに出演している。平日の昼帯ドラマに立て続けに出演しているのだが、当時の大映は製作本数が激減していたからテレビに回ったのだろう。昼ドラに出たのも、大映テレビ室の制作だったからである。
昼ドラ2作目の「女の時がほしいの」(TBS)ではおそらく唯一の主演をしている。しかしその間に大映が倒産し、72年から本格的にテレビへ活動の場を移した後は「特別機動捜査隊」「キイハンター」「水戸黄門」などにゲスト出演している。一方で「ウルトラマンA」や「イナズマンF」などの特撮物にも出演し、「仮面ライダーX」では主演の速水亮と"再会"している。
1976年に結婚により引退した模様で、最後の出演作は「カゲスター」12話(76年6月28日放送)だった。
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大映俳優列伝(13)杉田康

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頻繁に出ていたのにいつのまにか消えてしまった脇役が何人かいるが、杉田康もその一人だ。
1930年(昭和5年)、華道の桂古流・桂流宗家に生まれる。ちなみに本名は「康恕(やすのり)」だが芸名「康」は「やすし」ではなく「こう」である。早稲田大学演劇科に進学し、のちに共演する宇津井健とは同期である。
卒業後の1954年に大映東京撮影所へ入社。『日本映画人名事典』では「火の驀走」(1955年3月)をデビュー作としているが、その前の「泣き笑い地獄極楽」(1955年1月)にも出演歴がある。この時は警官役だったが、その後の俳優人生は悪役をメインに過ごす。
本人によればきっかけとなったのは同年10月公開の「誘拐魔」と言う作品である。幼児誘拐事件をセミドキュメンタリータッチで描いたこの作品でデビュー1年目の杉田がその犯人役に抜擢され、幸か不幸か好評を博してしまったらしい。尤も太い眉と厚い唇が特徴的な顔立ちはどう見ても善人よりは悪役向きである。ちなみに1962年の「誘拐」でも再び誘拐犯を演じ、その弁護士の役を演じたのは宇津井健だった。
一方で「新忍びの者」(1963年)では主人公の市川雷蔵の相棒役を演じたりと、必ずしも悪役一辺倒なわけではない。田宮二郎主演の大作「白い巨塔」(1966年)には金井講師役で出演している。田宮二郎とは「犬」シリーズなどでも共演しているが、前出の中島氏によればプライベートでは馬が合ったらしい。
映画出演はその田宮が主演した1967年12月公開の「残侠の盃」が最後だが、その前から出演していたテレビには翌68年も出演し NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」などにも出演歴がある。最後の出演は1968年9月22日放送の「怪奇大作戦(第2回)人喰い蛾」(TBS)である。
1969年に俳優業を引退して実家を継ぎ、生け花の家元になった。3年前の宇津井健の葬儀に姿を見せるなど今も健在のようである。

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大映俳優列伝(12)夏木章

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時代劇の俳優が続いたのでこのへんで現代劇も挟んでみる。大映東京の脇役で最もメジャーなのはこの人かもしれない。
1928年(昭和3年)生まれの夏木章は中学を卒業後、日本映画学校演技科に入学している。これは今村昌平が設立した日本映画学校(現・日本映画大学)とは関係がない。戦時中の1943年5月に設立され、国策映画の俳優や撮影技師を養成する学校であった。敗戦まで2年間しか続かなかったが、卒業生には菅原謙二や高橋貞二がいる。菅原はその後新劇に進んだが、夏木とともに大映入りした卒業生に鈴木美智子がいる。
1945年(昭和20年)4月に大映東京撮影所入社。初出演は同年9月の「別れも愉し」なのでギリギリ戦後の俳優と言うことになる。先日亡くなった月丘夢路が主演で同期の鈴木美智子が準主演格だが夏木の役柄はわからない。最初は本名で出演していたようだが、記録上で確認できるのは1949年からである。まだ二十歳そこそこだったので大した役は貰っていなかったのだろう。夏木章名義での出演が確認できるのでは51年からである。
ちなみに本名は榎鐘一(えのき・しょういち)と言う。なので「夏木章」と言う芸名は多分「榎」を木と夏に分解して逆にし、下の名前は「しょう」だけを残して別の字をあてたのだろう。溝口健二監督の「楊貴妃」(1955年)にも近衛兵役で出演しているがこの時は何故かクレジットが夏木明となっていた。
倒産まで在籍して数えきれないほど出演しているが、悪役は少なく、アクション映画やサスペンス映画でも刑事役の方だった印象である。中でも一番有名なのはガメラシリーズだろう。2作目の「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年)で主演・本郷功次郎の兄役を演じてから、3作目「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」で自衛隊司令官、4作目「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」でバイラスの部下、5作目「ガメラ対大悪獣ギロン」で新聞記者、6作目「ガメラ対大魔獣ジャイガー」と最後の「ガメラ対深海怪獣ジグラ」では博士役と、連続で出演している。
大映倒産後は古巣の大映テレビ作品などに出演していたが、1977年4月「特捜最前線」第1話(テレビ朝日)にゲスト出演。以後レギュラーゲストと言っていいぐらい頻繁に出演し、出演回数は約10年間で40回を数える。53話から本郷功次郎がレギュラーの橘警部役で出演しているが、2人の共演シーンがあったかどうかわからない。
1986年にその「特捜最前線」に最後のゲスト出演をして以降は出演記録が見当たらず、消息不明とされているが、元大映宣伝部の中島賢氏によれば既に故人だと言うことである。
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大映俳優列伝(11)近江輝子

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この俳優列伝を書くにあたって『日本映画人名事典』男優篇及び女優篇(キネマ旬報社)を一応参考にしている。だが同書の記述には間違いも多いのであまり信用はしていない。これは各種の映画データベースも同様である。なので可能な範囲で裏を取ることにしている。
さて大映京都の脇役女優として前々回の橘公子と双璧だったのが近江輝子だ。
1920年(大正9年)生まれで、1935年(昭和10年)宝塚少女歌劇団に入団している。なお『日本映画人名事典』には37年とあるが、同期生の宮城千賀子や日高澄子が35年なのだから誤りである。同期にはほかに朝雲照代、山鳩くるみ(水島道太郎の妻、小林夕岐子の母。戦後の松竹女優とは別人)、萬代峯子らがいた。
入団当時の芸名は大宮輝子だったが、途中で大美輝子に改名させられている。戦時中に宮の字を用いるのはけしからんと言う理由だそうだが、嘘だか本当だかわからない話である。1945年に退団。
48年大映京都撮影所に入社し片岡千恵蔵主演の多羅尾伴内シリーズ「三十三の足跡」で映画デビュー。
近江輝子に改名した時期ははっきりせず、『日本映画人名事典』は59年の「山田長政 王者の剣」からだとしているが、実は58年の「忠臣蔵」で既に「近江輝子」でクレジットされている。その後「大美輝子」に戻り、「山田長政 王者の剣」で「近江輝子」に統一されたようである。
大映倒産まで在籍して時代劇を中心に出演し、役柄は女中、仲居、水茶屋の女将といったところが圧倒的に多い。末期は現代劇にも出演し「おさな妻」(1970年)でブティックの経営者、「しびれくらげ」(同)でモデル事務所の社長などモダンな装いも見せている。大映最後の出演は最後の配給作品でもある「蜘蛛の湯女」(1971年)。
倒産後はテレビ時代劇を中心に「大岡越前」や「暴れん坊将軍」などに頻繁に出演していたが、90年代初めに退き、2008年頃に亡くなったらしい。

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大映俳優列伝(10)若杉曜子

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戦時中の1943年(昭和18年)、松竹は海軍報道部の企画で「大東亜戦争2周年記念映画」として「海軍」(田坂具隆監督)を製作した。国民の戦意を高揚する目的の国策映画で、海兵を目指す少年(山内明)が主人公の物語だ。最後は真珠湾攻撃が描かれているのだが、その部分は戦後アメリカにフィルムを没収されてしまったため残っていない。
この映画に本名の青山和子で出演し、主人公にほのかな思いを寄せる親友の妹エダを演じたのが当時14歳の若杉曜子だった。父親が松竹のスチールマンだったことから京都の撮影所へ遊びに行き、たまたまエダ役を探していたスタッフの目に留まったのである。
戦後、女学校を卒業して正式に松竹京都へ入社し、1949年3月公開の「麗人草」で若杉曜子に改名し水谷八重子(初代)の娘役に抜擢されている。
1952年、大映京都に移籍し「天保水滸伝 利根の火祭」で大映デビュー。この頃の出演作は「怪談佐賀屋敷」(1953年)しか見たことないが、当時はまだ清楚な娘役だったようだ。
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以後1966年に退社するまで80本前後出演しているが、後半は女郎、夜鷹などの汚れ役が多くなっている。出演作は1964年から極端に減り各年に2本ずつしかないが、これは1963年に結婚したためのようだ。最後の作品「眠狂四郎多情剣」(1966年)も娼家の女将役だった。

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