大映俳優列伝(11)近江輝子

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この俳優列伝を書くにあたって『日本映画人名事典』男優篇及び女優篇(キネマ旬報社)を一応参考にしている。だが同書の記述には間違いも多いのであまり信用はしていない。これは各種の映画データベースも同様である。なので可能な範囲で裏を取ることにしている。
さて大映京都の脇役女優として前々回の橘公子と双璧だったのが近江輝子だ。
1920年(大正9年)生まれで、1935年(昭和10年)宝塚少女歌劇団に入団している。『日本映画人名事典』には37年とあるが、同期生の宮城千賀子や日高澄子が35年なのだから誤りである。同期にはほかに朝雲照代、山鳩くるみ(水島道太郎の妻、小林夕岐子の母。戦後の松竹女優とは別人)、萬代峯子らがいた。
入団当時の芸名は大宮輝子だったが、途中で大美輝子に改名させられている。戦時中に宮の字を用いるのはけしからんと言う理由だそうだが、嘘だか本当だかわからない話である。1945年に退団。
48年大映京都撮影所に入社し片岡千恵蔵主演の多羅尾伴内シリーズ「三十三の足跡」で映画デビュー。
近江輝子に改名した時期ははっきりせず、『日本映画人名事典』は59年の「山田長政 王者の剣」からだとしているが、実は58年の「忠臣蔵」で既に「近江輝子」でクレジットされている。その後「大美輝子」に戻り、「山田長政 王者の剣」で「近江輝子」に統一されたようである。
大映倒産まで在籍して時代劇を中心に出演し、役柄は女中、仲居、水茶屋の女将といったところが圧倒的に多い。末期は現代劇にも出演し「おさな妻」(1970年)でブティックの経営者、「しびれくらげ」(同)でモデル事務所の社長などモダンな装いも見せている。大映最後の出演は最後の配給作品でもある「蜘蛛の湯女」(1971年)。
倒産後はテレビ時代劇を中心に「大岡越前」や「暴れん坊将軍」などに頻繁に出演していたが、90年代初めに退き、2008年頃に亡くなったらしい。

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