大映俳優列伝(33)松方弘樹

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言わずと知れた大スターの松方弘樹である。その長いキャリアの中で大映に在籍した期間は2年に満たない。それ故大映時代については省みられることが少なく、出演作の大部分も亡くなるまでDVD化を後回しにされていたほどだ。以前松方が亡くなった時にも若干触れたことがあるが、改めて詳しく語ってみたいと思う。
詳しいプロフィールは今更言うまでもないので省略するが、剣戟スター近衛十四郎の息子として1960年(昭和35年)に映画界入りしたものの、東映ではあまり浮かばれなかった。近衛は息子を引き上げるようなことをしなかったろうし、時代劇が廃れつつあったことにも運がなかった。60年代後半の東映は鶴田浩二、高倉健の任侠映画全盛時代だが、若造の松方にあまりお呼びはかからず、あっても4番手以下の脇役であった。
その頃、落ち目の大映では追い打ちをかけるように大黒柱の市川雷蔵が癌で倒れ、一度は復帰したものの69年2月に再入院していた。しかも今回は再起不能であることを社長の永田雅一は知っていたのである。なので非情のようだが経営者としては雷蔵の穴埋めのことも考えねばならない。そこで燻っていた松方のレンタルを東映に申し入れるのである。
よく間違えられるが、雷蔵が死んでから移籍したのではなく、まだ存命のうちに移籍したのである。
松方によれば当時の東映京都撮影所長でのちの社長である岡田茂から「ちょっと大映に行ってこい。あそこはスターがいないから、主役を取れるぞ」と言われたらしい。松方にとっても渡りに船で、レンタルと言う形で移籍が成立するのである。当時26歳だった。
69年5月に公開された移籍第1作の「秘剣破り」は10年前に雷蔵で映画化されていた「薄桜記」(59年)のリメイク作であり、雷蔵に倣うことで後継者の立場を明確化した形である。助演の本郷功次郎はかつて雷蔵、勝新に続くスターと言われた男である。外様で後輩の松方を引き立てる役割に回った心境は複雑であったかもしれない。
第2作「刑務所破り」は一転して東映に範を倣った任侠映画で、これまた雷蔵の相手役が多かった藤村志保が共演でサポートしている。なお、この撮影中に雷蔵が帰らぬ人となる。
すると3作目には早速雷蔵生涯の当たり役だった「眠狂四郎」が松方でリメイクされる。まだ雷蔵の気配すら残っているような撮影所で雷蔵以外の狂四郎を迎えねばならぬ大映のスタッフや俳優たちの胸中は穏やかでなかったろうが、演じる松方自身もやりにくかったに違いない。
その雰囲気を反映したのか、松方の狂四郎1作目「眠狂四郎円月殺法」はちぐはぐな中身だった。脚本には東映から高田宏治と高橋稔が呼ばれ、監督は大映京都のベテランながら狂四郎シリーズは初登板の森一生だった。シリーズの約束事や狂四郎のキャラクターがよくわかっていなかったのかもしれない。
それを反省したのか、2作目の「眠狂四郎卍斬り」の監督には雷蔵の狂四郎シリーズも手がけたエース池広一夫が登板し、脚本にも大御所の依田義賢が起用されている。そのため中身はよくなっているし、松方の個性も反映されてまずまずの出来になっていると思う。
だが松方の狂四郎は2作のみで打ち切られてしまうのだ。
理由は、まるで客が入らなかったからである。ただでさえ客足が鈍っていた大映の上映館にはますます閑古鳥が鳴く有様。前後して「二代目若親分」「忍びの衆」など雷蔵の人気作をリメイクした作品も全く受けず、シリーズ化されることなく終わっている。
まだ雷蔵のイメージが鮮明なこの時期、しかも全く個性の相反する松方に雷蔵の模倣をさせること自体が土台無理だったのである。
「玄海遊侠伝 破れかぶれ」は初めて主演ではなく、大映の大スター勝新太郎と共演している。続いて、70年3月公開の「兇状流れドス」は雷蔵のリメイクではないオリジナルの任侠物である。しかしこれも興行成績は芳しくなかったらしい。ただそれも松方個人の責任ではなく、そもそも他社の二軍をいきなりエースに据えても戦えないのは最初から分かり切っていた話であろう。
そのせいかどうか知らないが、その後松方の出演作はぱったりと作られなくなる。一説によれば、この時期、日活との提携(ダイニチ映配)に反対したことが永田の逆鱗に触れ干されてしまったのだと言うが、必ずしもそうではあるまい。70年後半の公開ラインナップを見ればわかるように、当時の大映はハレンチ物の現代劇だけで食いつないでいる状態で、時代劇の製作数が激減して京都撮影所は開店休業のような有様だった。別に干されるまでもなく、そもそも松方が出演できるような作品がなかったのである。
いずれにしても松方の姿は9か月間スクリーンから消え、年末の「皆殺しのスキャット」で漸く復活する。松方はアメリカ帰りのクールなガンマンを演じ、出来はイマイチだが大映流ニューアクション映画への可能性を示していた作品だった。だがこれが松方にとって大映最後の出演作になってしまうのである。
松方は1971年用の大映カレンダーには掲載されているが、二度と大映のスクリーンに登場することはなかった。
71年の年明け早々に東映に復帰。大映在籍2年足らずで9本に出演しただけだった。なおその年の暮れに大映は倒産する。
東映に戻った松方は早くも3月の「日本やくざ伝 総長への道」に出演しているが、主演は鶴田と高倉で松方のポジションは大映移籍以前と変わらず4番手以下だった。
74年、NHKの大河ドラマ「勝海舟」に主演していた渡哲也が病に倒れ、皮肉にもまたその代役が回って来る。松方は身代わりながら初の大河主演を無難に勤め上げて知名度を全国区にあげるが、当時のNHKは労使問題などで混乱し脚本の倉本聰が途中降板するなど現場はゴタゴタ続きだった。松方は「NHKは物を作るところではない」と痛烈な捨て台詞を残したが、一方で共演の仁科明子との不倫が週刊誌を騒がせたりした。本業の映画でも「仁義なき戦い」シリーズでブレイクし、この頃から名実ともに真のスターへと駆け上がってゆくのである。

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大映俳優列伝(32)万里昌代

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三条魔子とともに新東宝から移籍して来たもう一人の女優、万里昌代の大映生活もそう長くなかった。
高校在学中に「毎日グラフ」の表紙モデルになったことをきっかけに新東宝にスカウトされ第4期スターレット(ニューフェイス)として入社。1957年(昭和32年)にデビューしグラマー女優として主演を張っていたが61年8月に新東宝が倒産。9月には大映と契約を結んでいる。
大映デビューは61年12月公開の「お兄哥さんとお姐さん」で、名目上は勝新太郎が主演だが事実上はW主演と言っていい。しかも併映作は宇津井健の大映2作目「強くなる男」だったが、こちらにも出演しているのだ。まるで新東宝デー、万里昌代デーである。
翌62年2月には新派の悲恋物として名高い「婦系図」のお蔦役で市川雷蔵の相手役として抜擢されている。当初キャスティングされていた若尾文子が「急病」で降板、とは表向きで実は役が気に食わなくて降りたようなのだが、その代役が移籍したばかりの万里昌代に回ってきたのである。更に続く座頭市シリーズ第1作「座頭市物語」でも勝新太郎の相手役に立て続けに起用されている。
新東宝ではセクシー路線だったが大映では清純派に転向し、エキゾチックな美貌でありながらどこか哀しげな風情で薄幸なヒロインが似合った。だがこういうタイプは長続きしないのかもしれない。
63年ぐらいまではヒロイン、準ヒロインが多かったが、レギュラーでおたね役を演じていた座頭市シリーズへの出演が終わった頃からは急速に役が落ちてゆく。64年頃は新東宝時代に逆戻りしたようなヴァンプ役に甘んじている。
不思議なことに、雷蔵とは単発物では何度も共演しているのに眠狂四郎シリーズと忍びの者シリーズには一度も出演していない。個性が合わないと思われたのかどうかわからないが、出演できる作品が限られてしまうところに何か使い難さがあったのだろうか。
65年11月の「新鞍馬天狗 五条坂の決闘」を最後に大映を離れる。大映の4年間で出演作は26本だった(なお、62年1月公開の「嫉妬」は新東宝作品を買い取ったものなので大映製作ではない)
66年は映画出演がなく、テレビにもあまり出ていない。67年に日活映画「爆弾男と言われるあいつ」でスクリーンに復帰するが、70年代はテレビ・舞台に軸足を移す。
77年にはNHK少年ドラマシリーズ「幕末未来人」に出演している。当時このドラマを見ていたので覚えているが、確か昭和の現代から幕末にスリップしてしまった主人公の少年2人が世話になる女性の役で、最後は2人を庇って撃たれてしまうのだったと記憶している。尤も当時はそれが万里昌代と言う女優であることを全く知らなかった。
最後の出演作も79年の少年ドラマ「七瀬ふたたび」 だったが、それ以後の消息は不明である。存命ならば80歳になっているはずだが。

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大映俳優列伝(31)三条江梨子(三条魔子)

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邦画全盛時代には五社協定と専属制があったため他社から移籍して来る俳優は少なかった。スターであれば尚更である。だが例外もある。会社そのものが消滅した場合だ。
1961年(昭和36年)8月に新東宝が倒産すると所属の俳優たちは各社に分散した。このうち大映入りしたのが宇津井健、万里昌代、三条魔子、少し遅れて天知茂である。
天知の場合、大映とはフリーの立場で本数契約を結んだと言われることが多いが、「大映グラフ」1962年10月10日号では若山富三郎が城健三朗に改名して大映入りした際に天知とも専属契約したと伝えている。既にテレビにも進出していたので「映画出演は大映のみ」と言う意味での専属だったのかもしれない。
それはともかく、天知を除く3人は入社後すぐ人材不足の大映で主演級で起用されている。宇津井は現代劇のサスペンス物やメロドラマの主演、万里は時代劇のヒロイン、そして一番若い三条は青春映画のヒロインである。

三条魔子は59年にフランソワーズ・アルヌール主演のフランス映画「女猫」にちなんで募集された「ミス女猫」に当選したのをきっかけに、高校を中退して新東宝に入社した。デビューして最初の3作は、画面に登場しているのに名前を伏せる「シークレット・フェイス」と言うよくわからない企画で売り出されている。60年に「美男買います」で三条魔子として本格的にデビューするが、1年半余りで新東宝が倒産。61年10月に大映に移籍する。
「魔子」と言う芸名が示すように新東宝時代は小悪魔的魅力を売りにしていたが、大映では清純派に転向している。移籍第1作は61年12月「若い奴らの階段」で、本郷功次郎の恋人役で出演した。4作目の「江梨子」(62年)は橋幸夫の同名ヒット曲を題材にした悲恋物で橋が主演、三条はタイトルのヒロイン江梨子その人を演じた。出演時点ではまだ「三条魔子」だったが、映画にちなんで三条江梨子に改名した。橋とは「悲恋の若武者」「あした逢う人」(同)でも共演している。
歌手としてもデビューし、63年に浜田光夫とデュエットした「草笛を吹こうよ」がヒット。これは大映の橋幸夫&三条江梨子、日活の浜田光夫&吉永小百合の青春コンビ同士がそれぞれのパートナーを交換した形だ。橋と吉永のデュエット曲は勿論「いつでも夢を」である。
このヒットを受けて大映を退社し64年から本格的に歌手転向している。ここまでの約2年半で出演作は17本だったが、後半は作品に恵まれていたとは言い難い。歌手転向と言う形ではあれあっさり退社が認められたのとも無関係ではなさそうな気がする。
しかし歌手としてもあまりうまくいかなかったようで、「浪花っ子」「終着駅の女」などの曲名を見ると途中からは演歌っぽい曲やムード歌謡なども歌っていたようだ。
67年、芸名を三条魔子に戻すとともに映画にも復帰し、「女賭博師」シリーズや「眠狂四郎人肌蜘蛛」(1968年)などに出演。当時の大映の御多聞に漏れず、清純派から再転向してお色気要員になっている。
女優としての出演は68年8月の「関東女やくざ」が最後で、ウィキペディアには71年の大映倒産と同時に引退と書いてあるが、実際は各地のキャバレーで三条江梨子ショー等を行いながら70年代半ばまで歌手活動を続けていたようだ。その頃にハワイで日系三世と知り合って結婚、その後ラスベガスに移住したとのことである。1943年生まれだから今年74歳になる。

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大映俳優列伝(30)三角八郎

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TBSのドラマ「そろりと参ろう」で仲村隆と主演コンビを組んだのが三角八郎である。
法政大学を中退し1954年(昭和29年)大映東京撮影所に入所。同年の「真白き富士の嶺」に本名の伊藤直保で出演してデビューする。以後この名前で4年間出演しているが御用聞き、店員、ボーイなど殆ど端役である。しかし58年に転機が訪れる。
もともと日本の映画会社は毎週1本ずつ新作を製作・配給するプログラムを組んでいたが、後発の東映が54年から週二本立て興行を実施し成功を収めると、最初は静観していた他社も追随し、一番消極的だった大映も56年頃から二本立てに踏み切らざるを得なくなったのである。そして58年からは主軸となる映画に添える中編として喜劇路線を打ち出すことになる。この時に抜擢されたのが新人の石上正二と伊藤直保だった。二人は丸井太郎、三角八郎と芸名を変えた。
同年11月の「恋と花火と消火弾」と「盗まれた縁談」はいずれも三枚目の「丸・三角」が美男美女と絡むストーリーの恋愛コメディである。2人は前者で主役、後者に準主役で出演している。なのでもしこのまま定着していれば喜劇不毛の大映にも名物コンビが誕生したかもしれないのだが、長続きはしなかった。
翌59年、あくまで二本立て興行を良しとしない社長・永田雅一の方針で、大映は一本立ての大作主義を断行することになったからである。当然喜劇などは必要なくなり、お呼びでなくなった「丸・三角」コンビは切り離されてまた端役暮らしへ逆戻りである。
63年、大映テレビ室が制作したTBSの連続ドラマ「図々しい奴」の主役に丸井太郎が抜擢され人気を博すと、続く大辻伺郎主演の「赤いダイヤ」も好評を博し、喜劇シリーズの第3弾として「そろりと参ろう」が製作され主役に仲村隆と三角八郎が起用される。このドラマが当たっていれば三角も丸井のようになっていたかもしれないが、幸か不幸か前2作ほどの人気は呼ばなかったようで、出演後も三角のポジションが変わることはなかった。
67年「にせ刑事」出演を最後にフリーとなる。なおその数か月後に丸井太郎は自殺している。
バイプレイヤーとして本領を発揮したのはむしろテレビに移ってからだろう。「Gメン'75」(TBS)などの刑事ドラマや「水戸黄門」「大岡越前」(TBS) などの時代劇にゲスト出演し、人情味ある刑事や頑固な職人のような善人役から犯人・悪役まで幅広く演じた。
昨年8月に80歳で亡くなった。

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大映俳優列伝(29)仲村隆

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丸井太郎主演の「図々しい奴」、大辻伺郎主演の「赤いダイヤ」に続くTBS=大映テレビ室制作の喜劇ドラマ第3弾として放送されたのは「そろりと参ろう」(1963年12月~64年3月)だった。その主演が今回の仲村隆である。
『日本映画人名事典』にも載っていないのでプロフィールが不明だが、元大映宣伝部の中島氏のブログによれば山口県出身でお寺の息子だったと言う。映画データベースに載っている最古の出演作は60年(昭和35年)3月公開の「街の噂も三十五日」(田宮二郎主演)なので、遅くとも59年には大映東京撮影所に入社していたと思われる。ちなみに同時期にデビューしたのは第13期ニューフェイスの江波杏子、吉野妙子らである。
以後90本近くの映画に出演しているが、あまり表情のない地味な風貌であるためか当初は新聞記者などの端役が多かった。やがて「黒シリーズ」に代表されるサラリーマンサスペンス物が台頭してくると少しずつ重用されるようになり、「黒の駐車場」(63年)では物語の鍵を握る新薬の研究者を演じている。そして「そろりと参ろう」で主演に抜擢されたのである。
内容は、尺八家元の御曹司とそのお目付け役の弟子が虚無僧姿で東海道を日本橋から京都まで尺八の行脚修行の旅をする、と言うもので、タイトルはスピード社会に背を向けて“そろりそろりと”歩きでの修行旅、と言うところから来ているようである。原作は尺八の大家で「笛吹童子」のテーマ曲の作曲者でもある福田蘭堂(石橋エータローの実父)で、仲村が尺八家元の御曹司、お目付け役の弟子を三角八郎が演じ、ほかに姿美千子、見明凡太朗、青島幸男らが出演している。
概要を読む限り「図々しい奴」や「赤いダイヤ」が底辺からしぶとくのし上がっていく人間の生き様を描いたのと違って、「そろりと参ろう」は現代版東海道膝栗毛を意図した飄々としたストーリーだったようである。ドラマの評判がどうだったのかわからないが、前2作に主演した丸井太郎や大辻伺郎が人気者になり、丸井太郎ですらテレビ出演後の映画では準主演格に上がっていたのに比べて仲村の場合は別に上がりもせず下がりもせずなので、それほど人気は得られなかったのかもしれない。
65年「兵隊やくざ」で主役の勝新太郎&田村高廣コンビの上官を演じたのに続いて66年の「陸軍中野学校」では市川雷蔵扮する椎名次郎の僚友・杉本を演じ、シリーズ3作目で殉職するまでレギュラー出演している。
ガメラシリーズにも出演し「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)ではギャオスの超音波メスで車を両断されながらも特ダネに拘る新聞記者、「ガメラ対大魔獣ジャイガー」(70年)では口やかましい万博事務局長を演じて印象を残している。最後の出演作は大映最後の配給作品「悪名尼」(71年)だった。
倒産後は郷里の山口に戻り、前出の中島氏によれば実家のお寺で住職になったと言うことである。

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大映俳優列伝(28)大辻伺郎

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大映は1958年(昭和33年)にテレビ製作室、所謂「大映テレビ室」を設置した。最初は「少年ジェット」(フジテレビ)などの子供向け30分番組が主だったが、62年からTBSの月曜午後10時からの1時間枠を製作するようになる。その3作目が丸井太郎主演の「図々しい奴」であり、次の「赤いダイヤ」(1963年9~12月)に主演したのが大辻伺郎である。
一字違いの芸名の父・大辻司郎は大正末期に無声映画の活動弁士から転じて「漫談」と言う一人話芸のジャンルを創設した元祖だった。戦後も人気漫談家として活躍していたが、52年4月、日航機・もく星号が三原山に墜落した事故の犠牲となって亡くなってしまう。当時、高校生だった息子の伺郎はそれを契機に高校を休学、一時期は板前の修行をしたこともあったが、やがて俳優を志して早稲田大学演劇科へ入学する。
55年に中退し新派の伊志井寛に師事しながらテレビ局のエキストラをやっていた時に端役で出演したドラマで市川崑監督に認められ、1960年、大映のオムニバス映画「女経」第2話に出演。大映入りして増村保造監督の「偽学生」(60年)「好色一代男」(61年)などにも起用され、ギョロ目ととぼけた持ち味で頭角を現した。そして「赤いダイヤ」で主役を射止めたのである。共演はNHKのアナウンサーから女優に転身したばかりの野際陽子で、二人はともに茶の間の人気者になった。
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ちなみに「赤いダイヤ」も「図々しい奴」同様に東映によって翌64年に藤田まこと主演で映画化されている。まるで東映のために大映が題材を提供していたようなもんである。
それはともかくとして大辻はその後フリーとなりテレビ、映画の売れっ子になる。映画「われ一粒の麦なれど」(64年、東宝)ではポリオ患者を熱演し、テレビドラマ「喜びも悲しみも幾歳月」(65年、TBS)では映画で佐田啓二が演じた主人公の灯台守を演じるなどシリアスな演技者としても才能を発揮している。一方で「ゲバゲバ90分」(69~71年、日本テレビ)や「ハレンチ学園」(70~71年、東京12チャンネル) などのバラエティやコメディでも活躍した。
だが、私生活で離婚と結婚を繰り返したり莫大な借金を抱えたり、更にスタッフとのトラブルからをレギュラー番組を降板するなど、何かと問題も多かったようである。72年には胃潰瘍で倒れ入院もしている。
73年5月21日、ホテルオークラの客室で首吊り自殺した。38歳だった。自殺の前日に自動車事故を起こしていたと言うが、自殺との因果関係は明らかではない。奇しくも「図々しい奴」の丸井太郎、「赤いダイヤ」の大辻伺郎と、TBSドラマの主演俳優が2代続けて自殺することになってしまったのである。

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大映俳優列伝(27)小柳圭子

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個人的に大映の脇役に興味を持つきっかけとなった俳優の一人である。頻繁に出演クレジットを見かけるのにどこに出ているのかわからず、顔と名前が一致しなかったからだ。彼女も小林加奈枝同様に大部屋女優であったが年齢は遥かに若く、戦後デビューの女優である。
大阪府庁に勤務していたが新劇女優を志して劇団に入り、1949年(昭和24年)に大映京都撮影所へ入社した。ちなみに『日本映画人名事典』では48年の第1期ニューフェイスとなっているのだが、48年は第4期ニューフェイス(目黒幸子、中条静夫ら)なので辻褄が合わない。
また、『日本映画人名事典』はデビュー作を1949年10月公開の「痴人の愛」としているが、映連データベースには2月公開の「最後に笑う男」(大映東京)で既に名前が載っている。尤も大部屋女優はこの手のデータベースに出演記録が残らないことも多いので、どれがデビュー作なのかは本人以外わからないかもしれない。
大映倒産まで在籍して溝口健二作品や「眠狂四郎」シリーズ、「座頭市」シリーズ、「大魔神」シリーズなど数多くの時代劇に端役で出演している。大抵は台詞のある役なのだが、地味で特徴のない顔立ちなのでなかなか見付けにくかったりする。「妖怪百物語」(68年)では妖怪の一人、大首を演じ、スクリーンいっぱいに顔がアップで映るシーンもあるが、特殊メイクをしているので素顔ではない。
大映倒産後も女優を続けテレビ時代劇を中心に活動している。息子は俳優・劇団演出家の武見龍磨で、1988年の「暴れん坊将軍III」第32話には親子で出演している。

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大映俳優列伝(26)小林加奈枝

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大映京都の古参大部屋女優だったのが小林加奈枝である。
1907年(明治40年)生まれ。幼少期は日活の監督だった叔父・小林吉弥の家に住んでいたことから尾上松之助の映画に子役として度々出演させられていた。その後、母が女優・酒井米子の家を管理するようになった縁で、酒井に口説かれて24年(大正15年)に大部屋女優として日活大将軍撮影所へ入社している。42年(昭和17年)の合併で大映京都撮影所所属となり倒産まで在籍しているが、その間、一貫して大部屋女優だった。
デビュー以来、本名の小林叶江を芸名にしていたが、52年から小林加奈枝に改名している(『日本映画人名事典』に54年とあるのは誤りである)
役柄は女中、婆や、茶店の婆さんが圧倒的に多い。しかしたいていの場合に台詞はあるし、妖しい巫女の役などで結構目立つ場面もある。むっつりしたような顔立ちが特徴的で、「悪名」(61年)で中村玉緒演じるお絹の母親役や「眠狂四郎悪女狩り」(69年)で中将流の婆さん役が印象深い。
大映倒産後も女優活動を続け大島渚監督の「愛のコリーダ」(76年)「愛の亡霊」(78年)などに出演。高林陽一監督作品の常連でもあり「本陣殺人事件」(75年)「金閣寺」(76年)「蔵の中」(81年)などに出演している。最後の出演は1983年12月30日放送のTV時代劇「年忘れ必殺スペシャル・仕事人アヘン戦争へ行く」(テレビ朝日)だったようである。
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大映俳優列伝(25)小松みどり

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小松みどりと言っても無論五月みどりの妹ではない。無声映画時代のスターで戦後の大映で脇役だった女優である。
1891年(明治24年)生まれ。三男五女の末っ子であり、すぐ上の姉は戦前の舞台女優・脇役女優だった中川芳江と瀬川美津枝である。ちなみに中川の夫は映画監督の賀古残夢、瀬川の夫は大映京都の俳優だった荒木忍である。
1912年(大正元年)、姉とともに新派の舞台へ参加。後に声を痛めたため舞台を断念して活動写真の女優に転向し、小林商会に入社する。だが映画に馴染めず、偶々撮影所が全焼したの機に引退するつもりだったが、口説かれて1919年(大正8年)国際活映に入社。菊池寛原作の「真珠夫人」(20年)に主演するなどスター女優の一人として活躍した。
23年の関東大震災で京都に移転し、義兄の賀古残夢監督がいた松竹下加茂撮影所に入社。もっぱら賀古監督による澤村四郎五郎主演作で相手役を演じた。
25年、日活京都撮影所に移籍し、尾上松之助主演の「中山安兵衛」で堀部弥兵衛の妻を演じ初めて老け役に扮する。この頃から脇に回るようになり、42年の統合により大映京都撮影所所属となった。この時すでに50歳だった。
以後時代劇、現代劇の両方に出演しているが、殆どが茶屋の老婆等の端役なので目立つことは少ない。ただ溝口健二監督には信頼され、「お遊さま」(51年)を始め溝口が大映に移籍して以降の作品の殆どに出演している。出演予定がなくてもスタジオに呼ばれて溝口から俳優たちの所作についての意見を求められるほどだったと言う。
義兄である荒木忍との共演も当然ながらあり、勝新太郎の「悪名」シリーズでは荒木とともに主人公・朝吉の両親の役、つまり夫婦の役を演じている。
67年の「古都憂愁 姉いもうと」を最後に引退した。生涯独身を通し、82年に91歳で死去した。

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大映俳優列伝(24)ジョー・オハラ

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二世のような名前だが芸名である。しかも度々改名しているので、改名遍歴を辿り損ねると経歴もわからなくなる。
1903年(明治36年)生まれで小松商会を経て25年(大正14年)に京都の日活大将軍撮影所へ入社。『日本映画俳優全集』によれば同年の「此の母を見よ」がデビュー作である。当初は本名の仁平久で活動していたが、29年(昭和4年)頃から大原仁美に改名したようである。
30年に帝国キネマ(間もなく新興キネマに改組)へ移籍している。翌31年に大原穣、33年からはジョウ・オハラに改名。35年、マキノトーキー製作所に移ったがすぐ新興に戻っている。42年の統合で大映東京撮影所所属となり、倒産まで在籍した。
戦時中は芸名を大原穣に戻しているが、これはおそらくディック・ミネやミス・コロムビアが改名させられたのと同様の理由であろう。戦後もしばらくそのまま名乗り続けていたが、1950年にジョー・オハラへ改名し、以後はこの芸名でほぼ定着してる。
戦後だけに限ると映画データベース上には50本程度の出演データしかないが、それ以上にノンクレジットの出演が多かったはずである。大半の作品で台詞がなく、あっても一言か二言と言うエキストラ専門の典型的な大部屋俳優であった。
ガメラシリーズの常連でもあり、クレジットされているのは「ガメラ対バルゴン」(1966年)の老酋長役と「ガメラ対ギャオス」(1967年)のホテル・ハイランド支配人だけだが、ノンクレジットで「ガメラ対ジャイガー」(1970年)や「ガメラ対ジグラ」(1971年)にも対策本部のメンバーとして顔を出している。
大映倒産以降の活動記録はない。

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