大映俳優列伝(48)寺島雄作

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俳優専属制時代の映画会社は言わば大きな芝居一座のようなものだろう。毎度ほぼ同じ顔ぶれで役を回しているのである。その中でもおのずと「はまり役」がある。大映時代劇で言えば原聖四郎は高級武士、北城寿太郎は用心棒、伊達三郎はやくざの代貸、沖時男は駕籠かき…といった具合だ。
今回の寺島雄作のはまり役と言えば屋台の親爺である。実際は他の役柄の方が多いのだが、個人的にはいつも屋台のうどん屋かおでん屋だったような印象が強いのである。
1904年(明治37年)生まれ。中央大学専門部に在学中、学生演劇に親しむうちに俳優を志し大学を中退。戦前は新劇から軽演劇をまたにかけて活動した。映画には柳家金語楼主演の喜劇「金語楼の親爺三重奏」(39年)「金語楼の噫無情」(40年)「金語楼のお医者さん」(41年、東宝)などに端役で出演しているが、本格的な映画界入りは戦後になってからなので意外と遅い。
47年(昭和22年)に松竹と契約し「地獄の顔」等へ出演の後、49年に大映京都と契約を結ぶ。大映初出演作は「白髪鬼」で、嵐寛寿郎演じる白髪鬼の手先のせむし男と言う怪奇的な役柄だった。 51年には宝塚映画とも契約するなど他社出演も多かったが57年頃から大映専属となり倒産まで在籍した。
大映での出演作は160本前後を数え、先に述べた屋台の親爺をはじめ時代劇の町人役が多い。現代劇では刑事役も演じ、三島由紀夫の小説「金閣寺」を市川崑監督が映画化した「炎上」(58年)では市川雷蔵演じる主人公を護送する刑事役である。
大映倒産後はテレビ時代劇「銭形平次」(フジ)や必殺シリーズ(毎日放送)などにゲスト出演し、「金閣寺」二度目の映画化である高林陽一監督の「金閣寺」(76年)では主人公の父親役を演じた。78年8月2日放送の「銭形平次」第633回を最後に出演記録は見当たらない。

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大映俳優列伝(47)伊達正

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大映には「伊達」姓の俳優が二人いた。一人は時代劇の悪役でお馴染みだった京都撮影所の伊達三郎。もう一人が東京撮影所の伊達正である。尤も三郎ほど知名度がなかったせいか『日本映画俳優全集』には載っていない。ちなみに2人をミックスしたような名の伊達正三郎と言う新東宝出身の俳優もいたが、大映の両伊達とは無関係である。
伊達三郎と伊達正三郎は芸名だったが、伊達正も本名は大谷卓三と言うようである。デビューの年月は不明だが大都映画の「1936年度撮影所員名鑑」に名前が載っているので、それ以前には入社していたものと思われる。ちなみに大都映画は殆どのフィルムが焼失し現存していない。日本映画情報システムのデータベースでは36年(昭和11年)1月の「潮に捨てる青春」が最古の出演作だが、具体的な役柄は不明ある。
39年、「怪電波の戦慄」に出演。これは日本初の商業SF映画と言われる「怪電波殺人光線」(36年)のトーキーによるリメイク版で、二部作の後篇のみが現存する。謎の人間タンク(ロボット)を巡り敵味方入り乱れた争奪戦が展開され、藤田まことの父・藤間林太郎が人間タンクを作った博士役で、伊達正は敵の手下のせむし男を演じている。
42年、大都が新興キネマ、日活と合併して大映が誕生すると大映東京撮影所所属となり、以後倒産まで在籍していた。出演作の大半が端役だが、目を引くのは溝口健二、小津安二郎、黒澤明と言う三大巨匠の監督作品に出演していることである。晩年に大映専属だった溝口はともかく、黒澤は東宝、小津は松竹がホームグラウンドだから出演機会は限られている。 大映ではほかに京マチ子、中村鴈治郎、浦辺粂子、宮島健一ぐらいであろう。
伊達正が出演した黒澤作品は、黒澤が大映で撮った2本のうちの1本「静かなる決闘」(49年)である。主人公の医師・三船敏郎の病院へ盲腸の急患で担ぎ込まれた少年の父親役でワンシーンのみ出演している。
溝口作品は「楊貴妃」(55年)に出演。見直していないのであやふやだが、たぶん楊貴妃の京マチ子と玄宗の森雅之がお忍びで町に出たシーンでの町民役だったと思う。
そして小津が大映で撮った唯一の作品「浮草」(59年)である。中村鴈治郎の座長が率いる旅回りの芝居一座で、座長とは一番古い馴染みの老優・扇升を演じている。台詞は少ないが存在感のある役柄で代表作と言っていいかもしれない。
ほかに目立つ役としては「陸軍中野学校」(66年)で金庫破りの名人、「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)で村の老人、「蛇娘と白髪魔」(69年)で孤児院の小使などがある。
71年12月、大映倒産間際にテレビ室制作のTV「なんたって18歳!」10話(日本テレビ)に出演したのを最後に活動記録はない。おそらく倒産と共に引退したのだろう。

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大映俳優列伝(46)片山明彦

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前回の星ひかる、湯浅憲明は同じ映画会社で親が俳優、子が監督と言う組み合わせだったが、今回は逆に親が監督、子が俳優のケースである。
片山明彦は俳優から監督に転じた島耕二の息子である。1926年(大正15年)生まれで本名は鹿児島燁彦(あきひこ)と言う。姓は鹿児島だが、島の出身地は長崎であり、片山自身は島が京都の新興キネマにいた時に生まれた。
37年(昭和12年)、島が日活多摩川撮影所の俳優だった時、田坂具隆監督に望まれ「真実一路」の義夫役でデビューする。当時、小学5年生だった。芸名の命名者は星ひかるであると言う。
尤も島は息子の起用に渋い顔をし、片山本人にも俳優になる気はなかったのだが、演じてみると田坂と島を驚嘆させた。
日活へ正式に入社し、38年、田坂監督の「路傍の石」では主演に抜擢されて天才少年と評判をとる。39年から監督に転向した島も40年「風の又三郎」で主役で起用している。ちなみに後年、怪優として知られた大泉滉のデビュー作であり、子役時代の飛田喜佐夫も出演していた。
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(左が片山明彦、右は大泉滉)
42年の統合で大映所属となった後、45年に応召され長崎県大村で終戦を迎える。
戦後はフリーとなって松竹、大映、東宝、新東宝の各社で出演。溝口健二監督の「武蔵野夫人」(51年、新東宝)では田中絹代と不倫関係になる従弟の宮地勉役を演じ、伊藤大輔監督の「下郎の首」(55年)では田崎潤演じる下郎を見殺しにしてしまう若侍を演じるなど、おとなの俳優として脱皮した姿を見せた。
54年松竹に入社し「三羽烏奮戦す」では川喜多雄二、大木実とともに主役の三羽烏を演じるが、その後は徐々に役が落ちて脇役となる。
59年には島のいる大映に移籍し「いつか来た道」(59年)「夕やけ小やけの赤とんぼ」(61年)など島の監督作品を中心に脇役として出演。大映には倒産時まで在籍していたが、出演作は島監督の「怪談おとし穴」(68年)が最後である。
テレビにも出演し60年の「武蔵野夫人」(フジテレビ)では宮地勉役を再演している。「事件記者」(NHK)「鉄道公安36号」「特別機動捜査隊」(NET)等に多数ゲスト出演をし、他にラジオのMBS競馬中継では司会も務めたこともある。73年「必殺仕掛人」(NET)第19話出演を最後にテレビからも離れ、その後はPR映画や記録映画の演出をしたと言う。
2014年に88歳で亡くなった。

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大映俳優列伝(45)星ひかる

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昭和のガメラシリーズ全てを手がけた監督は湯浅憲明である。だが唯一「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年)だけは特撮監督専任に回り、本編の監督は田中重雄が務めている。その「ガメラ対バルゴン」であわじ丸船長を演じた星ひかるは湯浅の実の父親であると言う。
まるでアイドルか宝塚歌劇のような名前だが本名は湯沢明(旧姓・内藤)である。息子と姓が違う理由はわからない。ちなみに星も「透明人間現わる」(49年)でのみ何故か湯浅豪啓の名で出演している。
母親は初期の帝劇の女優で「朱と緑」(37年、松竹)などに映画出演歴もある東日出子。つまり母が「日出」、息子が「星」と言うわけで、何だか駄洒落のような名前なのである。
1924年(大正13年)、松竹蒲田撮影所へ入社し、25年「恋の選手」に星光名義でデビュー。喜劇俳優として活躍する。30年(昭和5年)、星ひかるに改名。31年「公認駈落商売」で主演したのちに退社し、河合映画社に入社。田中重雄の監督第1作「たぬきと精神病患者」などに主演した。「裏町天国」では監督・原作・脚本・主演の4役を務めている。
32年、日活太秦撮影所へ入社。34年、日活多摩川に移り、35年以降は脇役に回る。42年、統合によって大映に所属。
戦後は松竹、東横映画などに出演したのち、51年から大映東京撮影所専属となる。以後「馬喰一代」(51年)「幻の馬」(56年)「巨人と玩具」(58年)「浮草」(59年)など120本以上出演した。71年の倒産まで在籍していたようだが、出演は69年の「女賭博師さいころ化粧」が最後で、それ以降の活動記録はない。
なお息子の湯浅憲明は1957年に入社し助監督を経て64年に監督へ昇進しているが、親子ではやりにくかったのか、湯浅の監督作品には出演していない。

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大映俳優列伝(44)蛍雪太朗

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「蛍雪太朗」と聞いてまず10人中10人が連想するのは似た芸名の俳優「螢雪次朗」だろう。蛍雪太朗は昭和の「ガメラシリーズ」、螢雪次朗も平成の「ガメラシリーズ」に出演しているため混同されることがあるが、無論別人である。
ウィキペディアによれば、雪太朗は雪次朗の「師匠」にあたると言う。だが一介の大部屋俳優にすぎなかった蛍雪太朗に何故「弟子」がいるのか、よくわからない。そもそも1971年に倒産した大映の雪太朗と、80年代から映画出演歴が始まっている雪次朗とは、どこで接点があったのだろうか。
その疑問は後で解くとして、取り敢えず蛍雪太朗の経歴を辿ってみたい。
と言ってもプロフィールは全く不明である。「蛍雪太朗」と言うインパクト大な名前は勿論芸名だろうが、由来も謎である。新人に変な芸名を付ける趣味があった永田親子にしても、ちょっと奇を衒い過ぎている気がする。
ともあれ出演クレジットに載ったのは63年7月公開の「温泉女中」あたりが最初なので、62年頃には大映東京撮影所に入社したのであろう。ちなみにその頃入社したニューフェイスは倉石功や青山良彦である。
以後大映倒産まで在籍していたと思われるが、出演作の大部分は端役である。脇役として目立つ役は丸井太郎とのコンビで本郷功次郎の部下を演じた「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)や江波杏子のお供で旅をする「女賭博師尼寺開帳」(68年)など、僅かであろう。ほかには「兵隊やくざ」(65年)、犬シリーズの「ごろつき犬」(65年)「鉄砲犬」(66年)「早射ち犬」(67年)、「与太郎戦記」(69年)などに出演している。
大映倒産後はテレビドラマに転向した様子はなく、映画も75年に「鬼の詩」と言うATG作品に出演したのみである。監督が大映出身の村野鐡太郎だった縁で呼ばれたらしく、ほかにも大映OBの早川雄三や伊達三郎が出演している。
…と言う訳で、書くことにも困るほど目立たない俳優だったのである。
では先ほどの疑問、螢雪次朗とはどこで師弟関係を結んだのか?
実は雪太朗の最後の出演作「鬼の詩」に雪次朗も出演していたのである。
螢雪次朗の本名は「渡辺潔」と言う。70年に高校を卒業後、劇団「アンサンブル」に入るが25歳(74年)で退団。『日本映画人名事典』によれば、その後しばらくいくつかの映画に端役で出演していたそうで、そのひとつが「鬼の詩」だったのである。調べてみると、なるほど確かに「鬼の詩」出演者の中に「渡辺潔」の名もあった。雪次朗が大映映画に出演した形跡はないので、雪太朗との接点はこの映画しか考えられないのである。
つまり「師弟関係」と言うのは、撮影で親しくなった縁で芸名を貰ったことを指すのだろう。まあ、実際のところは本人に聞かなければわからないが。
ちなみに大映時代の芸名表記は「蛍」雪太朗だったが「鬼の詩」では「螢」雪太朗になっている。「弟子」が「螢」雪次朗なのもそのためだろう。

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大映俳優列伝(43)三夏伸(三夏紳)

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「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年)では藤山浩二がバルゴンに食べられてしまうシーンがあったが、次の「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)では三夏伸がギャオスの餌食になっている。
1941年(昭和16年)生まれ。日大芸術学部卒。在学中の61年に第15期ニューフェイスとして大映東京撮影所に入所している。同期には京都のフレッシュフェイスから転じた石黒三郎、澄川仁恵(葵三津子)、歌手の広瀬みさらがいた。
一部のプロフィールでは何故か66年の「陸軍中野学校」がデビュー作になっていることがあるが、実際に三夏伸の名がクレジットされ始めたのは62年の「雪の降る街に」あたりからである。三夏と言う姓は珍しいが、本名なのか芸名なのかプロフィールには書いていない。だが俳優でもある息子の姓が山田(哲也)なので、こちらが本名だろう。
最初の数年間は「剣」(64年)の剣道部員、「あゝ零戦」(65年)の飛行整備員、「犬シリーズ」のチンピラなど大半が端役であった。漸く貰った初めての大役が「陸軍中野学校」なのである。
シリーズ化された2作目以降と違って、この1作目は主演の市川雷蔵だけでなく中野学校生全体の青春群像劇になっている。この中で三夏はバーのホステスに入れあげて軍刀を盗み出して売却しようとした責任を追及されて自殺に追い込まれる中野学校生・手塚を演じたのである。
その後は「女賭博師シリーズ」「与太郎戦記シリーズ」などに出演。「ガメラシリーズ」の常連でもあり5本出演しているが、印象に残っているのはやはり冒頭で記したように「ガメラ対ギャオス」の新聞カメラマン役である。英一少年を置き去りにして自分ひとり助かろうとしたために却ってギャオスの餌食になってしまい、昭和のちびっ子たちに「因果応報」と言うことを身をもって教えている。
大映倒産後はテレビで悪役が主になり、77年の「快傑ズバット」第8話(東京12チャンネル)では座頭市を模した地獄市なる仕込み杖の用心棒を演じている。ちなみにどの作品か不明だが「座頭市」で勝新太郎の吹き替えをしたこともあると言う。
90年代以降の出演作では下の芸名を「伸」から「紳」に変えている。また大映テレビ室出身の監督の松生秀二と「三松座」と言う劇団を結成し公演や俳優養成も行っている。
尤も大映後のことは今回調べるまで知らなかったし、率直に言って世間一般的な知名度はあまり高くないだろう。
そんな三夏が突如マスコミに登場したのは2007年、「おふくろさん騒動」の時である。歌手の森進一が「おふくろさん」の歌詞を無断で改変したことに激怒した作詞家の川内康範が森に「歌唱禁止」を喰らわせた、例の騒動だ。そのさ中、67年に川内が作詞し勝新太郎が歌った「座頭市」(作曲曽根幸明)のリメイク・バージョンを三夏が唄うことになったのである。
レコーディングに立ち会った川内は三夏の手を握りながら「〝座頭市〟を歌える歌手はいないと思っていたが、やっと現れた」と感無量の様子で、"森との違い"を強調してみせた。かくして「新座頭市」が三夏の歌唱で発売され、CDジャケットには晩年の勝新そっくりの風貌で写っている。
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大映俳優列伝(42)藤山浩二

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前回の守田学同様に藤山浩二も80年代まで活動していたにも関わらず79年の『日本映画俳優全集』に収録されていない。
1929年(昭和4年)生まれ。大映入りの経緯は不明だが、映画データベース上で確認できる出演記録は57年3月の「女の肌」が最古である。その頃の芸名は藤山浩一だった。当時27歳なのでこれが最初の出演だったとすると随分遅いデビューである。
以後10年余りで100本近い作品に出演している。「巨人と玩具」(58年)では主役の川口浩とは親友でライバル関係にある宣伝部員を演じ準主役級で出演したこともある。
60年の「轢き逃げ族」から藤山浩二に改名しているが、理由は不明である。「続悪名」(61年)では勝新太郎の朝吉と縄張りを争う新世界のカポネ役を演じている。見るからに悪役向きの面構えで時代劇・現代劇をまたにかけて出演し、田宮二郎の「犬」シリーズではギャング役で常連だった。
ガメラシリーズにも4本出演し、中でも「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(66年)で演じた血も涙もない極悪人・小野寺は強烈である。尤もこの印象が強いのでいつも悪役だったように思いがちだが、ほかの3本ではむしろ善人役なのである。「大怪獣ガメラ」(65年)では俊夫少年を救うコンビナート主任、「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」(68年)では自衛隊司令官、そして最後の「ガメラ対深海怪獣ジグラ」(71年)ではヘレンちゃんの優しいパパ、しかも外国人の役だった。長崎の出身なので本人もよく外国の血が入っていると言って笑っていたそうだが本当かどうかはわからない。
68年末頃におそらくフリーになったのだろう、以後大映にはその「ガメラ対ジグラ」を含め倒産までに4本しか出演していない。69年からは東映が主舞台となり、高倉健の「網走番外地シリーズ」や「昭和残侠伝シリーズ」など50本前後のやくざ映画に出演している。
テレビでも悪役を演じ「キイハンター」(TBS)「大江戸捜査網」(東京12チャンネル)などに出演。特に「プレイガール」(東京12チャンネル)にはセミレギュラーの如く頻繁にゲスト出演している。
1983年1月の「右門捕物帖」9話(日本テレビ)を最後に出演記録はなく、以後の消息は分からない。

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大映俳優列伝(41)守田学

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1995年刊行の『日本映画人名事典』(キネマ旬報社)には映画に1、2本しか出ていないようなテレビタレントが収録されている一方で、個人的には載っていて当然と思う1950~60年代の脇役映画俳優の多くが漏れている。これは同書の原版となった79年刊行の『日本映画俳優全集』でも同様で、守田学は当時まだ現役だったにもかかわらず載っていない。
キネ旬データベースに載っている出演記録は1953年(昭和28年)12月の「にっぽん製」が最初である。だが、それより4年前の49年7月に公開された「虹男」でも既に出演クレジットされているので、48年か49年頃には大映東京撮影所に入社していたものと思われる。当初は殆どが端役で、役柄も新聞記者とか刑事とか善人側が多かった。「地上」(58年)では工場労働者の指導者役を演じている。
しかし62年、座頭市シリーズの第1作「座頭市物語」に飯岡の乾分・清助役で出演した頃からは京都撮影所で時代劇の悪役を演じることが多くなっている。窪んだ小さい目を鋭く光らせ、やくざの代貸や憲兵など冷酷非情な役柄がはまり役であった。その一方「眠狂四郎炎情剣」(65年)では無辜の罪で役人に追われる男を演じるなど役柄の幅は意外と広かったようである。
69年の「天狗党」出演を最後に大映を離れたらしく、70年からは芸名を守田学哉に改めて東映の「新仁義なき戦い」(74年)や若山富三郎主演の「極悪坊主」シリーズ(70年)などに出演している。
テレビドラマにも「遠山の金さん」(NET)「銭形平次」(フジテレビ)など時代劇を中心に80年代半ばまで出演していたが、85年2月22日放送の「ザ・ハングマン4」第21話を最後に出演記録が途絶えている。

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大映俳優列伝(40)川崎あかね、丘夏子

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映画が娯楽の王座にあった時代、その中心には時代劇があった。大映も京都撮影所で時代劇、東京撮影所で現代劇を製作する二頭体制を取ってはいたが、常に優位にあったのは時代劇のほうだった。だが末期にはこの立場が逆転する。現代劇が安上がりな青春ハレンチ映画で稼ぎ頭になる一方で、金と手間のかかる時代劇は次第に敬遠されるようになったからである。そのため京都からはあまり新人が育っていない。せえぜえ川崎あかねぐらいであろう。ここでは同期の丘夏子も併せて取り上げる。
2人は1967年(昭和42年)の大映京都第5期フレッシュフェイス出身である。大映東京で言えば第19期ニューフェイスに相当し渥美マリや八代順子とも同期にあたる。年齢は川崎と八代が48年生まれ、丘と渥美が2歳年下の50年生まれで同い年だった。
川崎あかねは戦前の新興キネマ・大映でカメラマンを務め戦後は東映に移った川崎新太郎の娘である。その関係で子供のころから京都の撮影所にはよく出入りしていた。また6歳から日舞を習い、高校を卒業して大映に入社する頃には弟子を取る身分になっていたと言う。ちなみに本名は川崎ときゑと言い、芸名の名付け親は時代劇の大御所の伊藤大輔である。
一方の丘夏子は小学生の頃から女優に憧れ、高校を中退して大映に入社。デビューはそれなりに下地の出来ていた川崎の方が早いかと思いきや、丘が68年1月の「眠狂四郎女地獄」で先んじ、川崎は3月の「陸軍中野学校 開戦前夜」である。
同年12月「妖怪大戦争」で川崎がヒロインに抜擢される。丘も腰元役で出演しているが端役である。以後も丘は脇役に甘んじたのに対し、川崎は「笹笛お紋」「秘録怪猫伝」(69年)などに準主役で出演し、スターの抜けた大映京都では安田道代に次ぐ存在になって行く。
だが経営悪化の一途をたどる大映は1970年に入ると池袋、梅田などの直営館を次々と売却し、日活との提携による「ダイニチ映配」に活路を求めた。この結果、京都撮影所で製作される作品数は大幅に減少する。更に京都でも現代劇が作られるようになり、川崎も丘も「あゝ独身」「十代の妊娠」「ボクは五才」などに出演している。
このうち「十代の妊娠」は大映東京のジュニア・セックス・シリーズが珍しく京都で製作されたものである。東京から出張して来た南美川洋子、八並映子、篠田三郎などに混じって川崎と丘も高校生役で出演しているほか、伊達三郎、寺島雄作、近江輝子ら時代劇でお馴染みの面々がそれぞれ父兄役を演じている。
結局、71年11月に大映は倒産。川崎あかねは大映京都最後の配給作品となった「蜘蛛の湯女」に主演し大胆なセミヌードを披露しているが、倒産後は180度カラーの違う松竹に入社する。森崎東監督の「女シリーズ」の第4作目「女生きてます 盛り場渡り鳥」に主演、京都市民映画祭の新人賞を受賞したが、松竹の”清潔”な体質が合わなかったとかで、73年に退社。フリーとなる。その後もテレビを中心に現在まで息長く女優活動を続けている。
丘夏子は映像京都に所属しTV「必殺シリーズ」(朝日放送)などにゲスト出演。77年の横溝正史シリーズ第1作「犬神家の一族」(毎日放送)では犬神小夜子役を演じているが、同年11月のNHK銀河テレビ小説「仮縫」を最後に出演記録が終わっている。当時既に結婚していたようなので、引退したのだろう。

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大映俳優列伝(39)三木本賀代

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大映京都のフレッシュフェイスは1961年(昭和36年)に始まり、その第1期生の一人が細谷新吾こと日高晤郎だったことは前回述べた。
第2期、第3期は不明である。
豊作だったと思われるのが64年の第4期で、平泉征(平泉成)、西尋子(賀川ゆき絵)、森下昌子(司みのり)、大杉育美、そして三木本賀代たちがいた。
この中で一番期待されていたのが三木本賀代である。
プロフィールは不明で、三木本賀代と言う名前が本名なのかどうかもわからない。
出演クレジットに名前が載ったのは64年12月の「座頭市関所破り」が最初であろう。平泉たちのデビューは翌年のようなので、同期生の中ではたぶん最も早い。
翌65年は「座頭市二段斬り」「座頭市逆手斬り」「若親分」「若親分出獄」などに端役で出演した後、11月の「密告者」で初めてポスターにも名前が載っている。以後は「眠狂四郎無頼剣」(66年)「座頭市牢破り」(67年)や青春映画「若い時計台」など助演して順調にキャリアを重ね、68年8月の「座頭市果し状」ではヒロインに抜擢されるまでになっている。華奢で線は細いが可憐な容貌だった。
だが経営の悪化していた当時の大映に彼女を清純派として育て上げる余裕はなかった。作品の企画に刺激の強いものが求められ、京都撮影所でもエログロ物が中心に作られるようになっていたからである。
三木本賀代も安田道代主演の「秘録おんな蔵」「続・秘録おんな牢」(68年)や大映京都で撮影された変わり種の現代劇「性犯罪法入門」(69年)などに動員されている。それで嫌気がさしたのかどうかわからないが、69年6月の「女左膳・濡れ燕片手斬り」を最後にスクリーンを去り、そのまま芸能界からも姿を消してしまうのである。

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