大映俳優列伝(51)伊達三郎


今回は「大映京都の顔」とも言うべき脇役中の脇役の伊達三郎である。大映後も長くテレビ時代劇の悪役として活躍したので、その面長で鋭い眼光、しゃくれた顎が特徴的な顔に見覚えのある人が多いはずである。
1924年(大正13年)生まれ。家業の材木業を手伝っていたが召集されて北支を転戦。45年(昭和20年)に復員し10月に大映京都撮影所に入社。倒産まで300本近い作品に出演している。
本名は桜春太郎と言う旅芝居一座の役者のような名前である。デビュー作は45年12月の「最後の攘夷党」で、続く「滝の白糸」「国定忠治」にも本名で出演している。46年10月、「おかぐら兄弟」に出演した際に監督の稲垣浩から伊達三郎と命名され、これが公式デビューとされているようである。
大映京都に欠かせない脇役として時代劇から文芸物までありとあらゆるジャンルに出演している。中でも「続・忍びの者」「新・忍びの者」(63年)で演じた服部半蔵ははまり役で、代表作のひとつだろう。
悪役専門と思われがちだが、一方で市川雷蔵のデビュー作「花の白虎隊」(54年)では雷蔵の家僕、「破戒」(62年)で部落民、「新・悪名」(63年)で気の弱い三国人、「大魔神」(66年)で忠義の家臣、「十代の妊娠」(70年)で南美川洋子の父親役など、意外と善人役も結構やっていたりする。
68年末から一時芸名を「伊達岳志(たけし)」に改名していたことがある。これは姓名判断に凝っていた市川雷蔵の勧めによるものだと言う。同じ大映に伊達正がいるので、タケシとタダシでは紛らわしかったと思うが、雷蔵の死後また元の名前に戻している。ちなみに2人の伊達は東西の撮影所に分かれて在籍していたため、同一作品に出演したのは大作映画の「日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里」(57年)と「秦・始皇帝」(62年)ぐらいで、直接の共演はなかったようである。
『日本映画人名辞典』には70年にフリーになったとあるが、その後も倒産まで映画は大映作品にしか出ていない。大映京都最後の配給作品「蜘蛛の湯女」にも出演している。
倒産後もテレビ、映画で憎々しい悪役として活躍し、特に「水戸黄門」(TBS)には悪徳商人、やくざの親分役などで毎シリーズ必ず1回は出演していた。晩年は枯れた老人役を演じることもあり、個人的には映画「台風クラブ」(85年)の老用務員役が印象に残っている。
91年に67歳で死去。
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