大映俳優列伝(52)見明凡太朗


伊達三郎が大映京都の顔なら、大映東京の顔は見明凡太朗だろう。
1906年(明治39年)生まれ。見明と言う姓は本名で、下の名は「先」を二つ重ねて書いて「すすむ」と読む珍しい名前である。
23年(大正12年)、下関商業学校を卒業後に上京し日本映画俳優学校に入学。ちなみにこの学校は六代目尾上菊五郎が設立した日本俳優学校や戦時中に存在した日本映画学校、75年(昭和50年)に今村昌平が設立した日本映画学校(現・日本映画大学)とは全く別のものである。坪内逍遥門下の水口薇陽が独力で設立し、舞台俳優とは一線を画した映画俳優の養成を目指した学校で、見明は2期生、同期には小杉勇や南部彰三、後に監督に転じる島耕二らがいた。
苦学をしながら卒業し26年、日活代将軍撮影所に入社。芸名を見明凡太郎(のちに凡太朗)とする。デビュー作として『日本映画俳優全集』では27年(昭和2年)3月の「彼をめぐる五人の女」(阿部豊監督)を挙げているが、日活作品データベースによれば2月の「競争三日間」(内田吐夢監督)の方が先に公開されている。
28年、喜劇「松竹梅」で初主演。29年、日活太秦撮影所に移り、32年からは不二映画に移籍するが、同社の解散で新興キネマに入社。35年に日活に復帰して日活多摩川撮影所に所属。42年、大映設立により大映東京撮影所に所属する。
生涯で400本、大映だけでも300本近い作品に出演している。未見だが終戦直後には「瓢箪から出た駒」(46年)と言う潮万太郎とともに主演した喜劇もあったらしい。個人的に印象に残っているのは「幻の馬」(55年)と「大菩薩峠」三部作(60~61年)である。前者は大映社長・永田雅一が馬主として所有していたダービー優勝馬・トキノミノルを生涯を描いた作品で、牧場主を演じている。後者は中里介山の原作を市川雷蔵主演で映画化したもの。机竜之介(雷蔵)に祖父を殺され孤児となったお松(山本富士子)を養育し、彼女を助けて仇の竜之介の行方を追う裏宿の七兵ヱを好演している。ほかにも「残菊物語」(56年)の守田勘弥、「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(66年)の自衛隊司令官、「白い巨塔」(66年)の岩田医師会長など、時代劇、文芸物、特撮まで幅広く活躍した。
大映には最後の作品「悪名尼」(71年)まで出演しているが、それ以前に退社していた模様で67年からは日活、東映のヤクザ映画を中心に出演している。テレビにも「鬼平犯科帳」 (NET、八代目松本幸四郎版)や「水戸黄門」(TBS)、「破れ傘刀舟悪人狩り」(NET)などに多数出演。78年の映画「最も危険な遊戯」(東映)を最後に出演作はない。

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