大映俳優列伝(61)長谷川裕見子、林成年、小野道子(長谷川季子)

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大映には看板スターで重役でもあった長谷川一夫の縁に繋がる俳優が多くいた。
最初に大映に入ったのは姪の長谷川裕見子である。後妻の姉の娘なので血の繋がりはない。裕見子の本名も「長谷川」だが、これは母親の嫁ぎ先が偶然長谷川姓だったためである。1947年(昭和22年)、当時長谷川が率いていた新演伎座に入り「遊侠の群れ」(48年)で映画デビューした。
50年、伯父とともに大映京都に入社し、伯父主演の「銭形平次」(51年)で平次の女房お静、「源氏物語」(同)では朧月夜の君を演じた。55年に東映へ移籍し、市川右太衛門、片岡千恵蔵、中村錦之助らの相手役を務めた。58年、大映時代に共演した船越英二と結婚して生まれたのが、近頃お騒がせの英一郎である。
54年にはもう一人の義理の姪の中村玉緒が大映に入社した。こちらは先妻の兄・二代目中村鴈治郎の娘である。もともと女優になる気はなかったのだが、中学生の時に松竹映画「景子と雪枝」(53年)ほか数本に出演するうちに女優熱が高まり、長谷川に頼み込んで中学卒業と同時に大映と契約したである。
そして玉緒と同じ年に入社したのが長男の林成年、2年後に入ったのが長女の小野道子(長谷川季子)である。

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成年は31年生まれで本名は長谷川元男と言う。37年2月に当時の父の芸名・林長二郎に因んだ林成年の芸名で初舞台を踏み、7月に父主演の映画「元禄快挙余譚 土屋主税」で映画初出演。以降、父の主演した映画などに子役としてたびたび出演した。慶応大学時代は映画監督を志したが、54年に卒業すると永田雅一の勧めで大映に入社し俳優となる。市川雷蔵、勝新太郎とは同い年で同期である。
同年8月「真白き富士の嶺」で主演デビュー。逗子開成中学のボート遭難事件とそれにまつわる“真白き富士の嶺”の歌謡曲に材を取った青春映画で、共演は南田洋子、同じく新人の市川和子、それに石井伊吉時代の毒蝮三太夫も出演している。なお後年、日活映画にも吉永小百合主演の「真白き富士の嶺」があるが、全く別の話である。
以後70本前後の作品に出演。「君待船」(54年)「俺は藤吉郎」(55年)になど主演し、「花の兄妹」「弥次喜多道中」(56年)では雷蔵とのコンビで準主演をしているが、スターになるにはイマイチだったのか、やがて助演に回る。長谷川一夫との親子共演は「俺は藤吉郎」に父が信長役で特別出演したのを初め「銭形平次シリーズ」などで実現しているが、親子の役はなかったようである。
60年に上田吉二郎の養女と結婚した。よって上田吉二郎は義父にあたる。
同年、大映を退社して舞台俳優に転向し、62年東宝に入社。なお大映退社後も映画には63年まで出演し、最後の出演は父の300本記念映画「雪之丞変化」である。長谷川が同年限りで映画界を引退し、東宝歌舞伎を率いるようになると、成年もレギュラー出演した。
2008年に死去。

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季子は34年生まれ。50年、宝塚音楽舞踊学校に入り、翌51年、宝塚歌劇団に入団。同期に中田康子や声優の太田淑子がいた。同年、本名で初舞台を踏み、東宝映画「若人の歌」にも出演。その後も宝塚在籍のまま大映映画「七人の兄いもうと」などに出演。
56年、宝塚を退団し大映に入社。同年、小野道子の芸名で「祇園の姉妹」で初主演。戦前の溝口健二監督作品のリメイクであり、旧作では山田五十鈴が演じた大役でもあったから、長谷川一夫の令嬢に相応しい華々しいデビューと言えるだろう。尤も芸名に「長谷川」や「林」を名乗らなかったのは、七光りと言われたくなかったのかもしない。
「愛の海峡」(56年)では川崎敬三を相手役に主演し、その後もいくつか準主演を務めたが、やはりスターにはなれず、脇に回ることが多くなる。時代劇も多いが、むしろ「巨人と玩具」(58年)「からっ風野郎」(60年)など現代劇で少しひねた役を演じる時の方が個性を発揮できたように思う。
ちなみに父とは「鼠小僧忍び込み控 子の刻参上」(57年)「忠臣蔵」などで共演しているが、親子役はなかった。兄とは「月形半平太 花の巻・嵐の巻」(56年)で兄妹役を演じている。なお「月形半平太」には異母妹の彰子(長谷川稀世)も子役で出演している。
61年、芸名を本名の長谷川季子に戻し「続・悪名」などに出演するが、62年、「黒の試走車」を最後に大映を退社。その後は舞台「銭形平次」(と言っても長谷川一夫ではなく大川橋蔵主演)で平次の女房お静役を長く務めた。
倒産直前の71年10月には、季子の長男、つまり長谷川一夫の孫である丈洋が「片足のエース」(勝プロ製作・大映配給)に子役で出演している。これは中村玉緒の推薦だったと言う。自分の映画界入りに際して長谷川の世話になったことへの恩返しだったのかもしれない。結果的に長谷川家三代が大映の俳優になったわけである。

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大映俳優列伝(60)九段吾郎

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市川雷蔵主演の「陸軍中野学校シリーズ」(1966~68年、全5作)は戦時下を舞台に雷蔵扮する陸軍中野学校出身の諜報部員が活躍するスパイ・アクション映画である。だが増村保造が監督した1作目ではむしろ、中野学校生たちの青春群像劇として描かれていた。そのメンバーとして、既にこの列伝で取り上げた仲村隆や三夏紳、森矢雄二のほかに、九段吾郎、井上大吾、喜多大八、後藤武彦、宗近一たちが出演している。彼らは同時期の「あゝシリーズ」や「ガメラシリーズ」にも出演しているが、その中でいつも頭一つ大きい巨体で目立っていたのが九段吾郎である。
例によってプロフィールは不明だが、後述するように本名は「ヤマネ・テルオ」のようである。更に元プロ野球選手だったと言う未確認の情報もある。だとすると「大魔神」の橋本力と同じケースになるが、調べてみると57年(昭和32年)から59年までの3年間、西鉄ライオンズに在籍した「山根照雄」なる投手がいた。尤も九段吾郎と同一人物かどうかわからない。ちなみに山根照雄の写真は下記サイトに載っている。九段吾郎と似ているような気もするが、どうだろうか。
http://www.nishitetsu.co.jp/museum/library/05/168.html
なお、60年の日活映画「拳銃無頼帖 不敵に笑う男」などに端役で出演した山根照雄と言う俳優がいたようである。これが西鉄の山根照雄かつ九段吾郎であるとすればプロ野球引退後に日活を経て大映入りしたことになる。映像を比べてみればはっきりするかもしれないが、未見なので何とも言えない。
ともあれ、大映の出演クレジットに九段吾郎の名前が現れるのは63年が最初である。その頃デビューしたニューフェイスには倉石功がいる。倉石によれば、ある日突然、頼んでもいないのに九段が「お前のボディーガードになる!」と宣言して、付き人のように面倒を見てくれたと言う。けんかが強く、新宿ではかなり顔が利いていたようだ。年齢は倉石より5歳先輩だったと言うから、1939年前後の生まれだろう。
以後倒産まで在籍しているが、出演作は殆ど端役であり、その大半がアクション映画のやくざ役や戦争映画の兵隊の役である点は橋本力と同じである。ただ違うのは、九段には「大魔神」がなかったことである。
倒産間際の71年になって漸く2本の映画で大きな役に就いている。ひとつは「男一匹ガキ大将」(勝プロ製作)で、酒井修扮する主人公・戸川万吉と敵対する隣の高校の番長・松川章太郎役である。もうひとつはガメラシリーズの最終作「ガメラ対深海怪獣ジグラ」の自衛隊司令官役である。
勝新太郎に可愛がられ、倒産後は橋本力と同様に勝プロに在籍した。橋本が「ドラゴン怒りの鉄拳」に派遣されたのに対して、九段は元祖"女ドラゴン"ことアンジェラ・マオが主演した香港空手映画「女活殺拳」(72年)にヤマネ・テルオ名義で出演している(どう言う手違いなのか、漢字で「九段吾郎」、英語では「YAMANE TERUO」とクレジットされている)
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役柄は敵役の日本人道場主で、最後はアンジェラと対決して倒され、大の字になっている九段の姿をバックにエンドマークが被さると言う按配である。ほかにも「燃えよドラゴン」など何本かの香港映画に出演していたようだ。
日本では勝新主演の「新座頭市物語 笠間の血祭り」(73年、勝プロ)や「海軍横須賀刑務所」(同、東映)などに出演していた。74年の「御用牙 鬼の半蔵やわ肌小判」(勝プロ)が最後の出演記録になっている。

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