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三島由紀夫の同名短編小説の映画化(1964年・大映・三隅研次監督)。

物語。東和大学剣道部主将の国分次郎(市川雷蔵)は、あらゆる世間に背を向け剣一筋に打ちこむ純粋な青年。己自身のことも部員たちのことも厳しく律していたが、そんなキャプテンの姿を新入部員の壬生(長谷川明男)は尊敬している。一方、国分の同級生の賀川(川津祐介)は、剣の実力もあるが適当に遊ぶタイプで、国分の純粋さには反感と同時に嫉妬している。賀川は、学内ナンバーワンと言われる伊丹恵理(藤由紀子)を使って国分を誘惑するが、その後も国分の態度に変化は見られない。夏の強化合宿の日、賀川は国分たちが木内監督(河野秋武)の出迎えに行っている隙に、部員たちを厳禁されている水泳に誘った。監督に見つかり賀川は即刻帰京を命じられたが、国分は自分が敗北者のようにうなだれていた。やがて数日後の納会の夜、国分が自殺して死んでいるのが発見される…

純粋な青年がその純粋さ故に破滅してしまうというお話。
部員が規律を破って水泳に行った責任を取って自殺してしまうわけですが…何もそこまでせんでもという感じでこの最期は唐突です。そもそも、自分自身の純粋さを貫くことと、統率者として責任を取ることとは一見関係があるようでないんですね。だったら多田の造反や賀川のタバコ事件の時にももう少しリアクションがあってよさそうなものです。水泳の場合は全員、しかも信じていた壬生にすら裏切られたショックということになるのでしょうか。
ただその一方で、国分は社会に出て自分が汚れてしまうことを極度に恐れている、と言う事実があります。彼は当面それを剣に、そして全日本大会優勝という目標に向けて打ち込むことで目を逸らしているわけですが、合宿が終われば大会は目前だし、その後は否応なく社会に出ることを余儀なくされます。従って国分があくまで己の純粋さに固執しようとすれば必然的にその前のどこかで自分の命を絶たなければならない帰結にあります。
そう考えると、部員の水泳というのは単なるそのきっかけで、統率者としての責任を取って強く正しく死ぬというふうに自分の死を美化するための口実に過ぎなかったのではないかとも考えられます。ちょうど三島自身の死がそうであったように。

主演の雷蔵さんは当時32歳ということでもう大学生を演じる年じゃなかったんですが、この当時の大学生は今より遥かに老けて見えるし、それに雷蔵さんは年よりずっと若々しいのでそう不自然ではないです。剣道場で部員を前にして訓示をする時に発する凛としてよく通る声が実に魅力的で、体育会的なものの嫌いな私でも思わずあの声で自分の名前を呼んでもらいたような誘惑に駆られます。
藤由紀子は後の田宮二郎夫人。ダンナは雷蔵さんとは一本も共演していないのですが、奥さんの方は他にも2本ぐらいありますね。ただこの映画に女は要らなかったし(ちなみに原作には登場しません)、出すにしてもこんな取ってつけたような使い方ではなくもう少し工夫をして欲しかったように思います。
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