座頭市牢破り

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シリーズ第16作目は「社会派」の座頭市(1967年・勝プロ製作・大映配給・山本薩夫監督)

物語。座頭市(勝新太郎)は刀を持たず百姓とともに生きる大原秋穂(鈴木瑞穂)という侍と出会う。更にその村には、やくざでありながら民百姓を大切にする善良な親分・朝五郎(三國連太郎)がいた。朝五郎に惚れこんだ市は、朝五郎と対立していた非道な親分の富造(遠藤辰雄)を叩っ斬って旅立つ。だが1年後村に戻ってみると、すっかり変貌した朝五郎によって百姓たちは苦しめられていた…

勝プロダクション製作による第1回作品。自らプロを起こしたからには今までと違ったものを見せなければ、と思ったのか、社会派の巨匠・山本薩夫を招いて風変わりな座頭市を撮ってしまいました。言ってみれば、勧善懲悪の否定。
前半の物語では、善玉の親分・朝五郎に惚れ込んだ市が悪玉の親分・富造を叩き斬って草鞋を履くと言う、よくある普通の展開。尤も、善玉の親分を三國連太郎が演じている時点で一癖も二癖もあり気ですが。。
中盤では、やくざの足を洗ったらしい市が按摩の組織に入っていますが、新入りである市は仲間から嫌われいじめられるという意外なストーリー。社会的弱者であるはずの盲人が、しかしその内部ではやはり上下関係があって弱い者(座頭市が!)いじめが行われているというのは切ない現実です。
そこへ、かつて富造との出入りで市に片腕を斬られた仁三郎(細川俊之)が復讐にやって来て、市が富造を叩き斬って旅立った後、その後釜に座った朝五郎は役人(西村晃)と結託して百姓を苦しめているという意外な事実を聞かされ…というのが後半の物語。
ここで、朝五郎が何故変わってしまったのかが劇中で説明されないのでわかりにくいです。ただ、元は反権力の側だった人間がひとたび権力の座に付くや否や変貌してしまうのは歴史上にもよくあることでしょう。「人が変わった」のではなく、「立場や地位が人を変えてしまった」というわけです。そして市は朝五郎を叩き斬るのですが、富造を斬っても朝五郎が取って代わったように、今度はまた別の誰かが朝五郎に取って代わるのは明らか。結局、市がいくら悪い奴を殺しても何も変わらず、そういう制度や社会そのものを変えなければならない、ということになります。
その市と対照する存在として劇中に配置されているのが、鈴木瑞穂演じる大原秋穂です。おそらく剣を取っても凄腕であるはずなのに刀を捨て、百姓を指導して農村コミューンみたいなことを説いている秋穂は、市にも「剣とは虚しいもの」と説きます。理詰めで来られては市も分が悪かったのですが、実際、秋穂の言うとおり市の剣では何も変わなかったし、むしろ市のせいで結果として清純な乙女だったお志乃(浜田ゆう子)が不幸な末路を辿ってしまいました。最後に市が役人に捕まった秋穂を救い出した後で、百姓たちは表向き市に感謝しているように見えても別に引き止めるではないし、この物語での市は大地に生きる者とは所詮相容れない、徹頭徹尾異質な存在として描かれているのが特徴です。
それにしても、今でこそ、20何作ある座頭市のシリーズのひとつにこういう異色作があっても面白いと思って見られますが、公開当時の観客は、痛快娯楽時代劇のつもりで見にきたらこんなわけのわからない話を見せられて、面食らわなかったのでしょうか。
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