三沢光晴…

プロレスラーでプロレス団体「ノア」社長でもあった三沢光晴選手が13日夜、試合中にバックドロップを受けて頭から落ちた直後に意識を失い、そのまま帰らぬ人になったとのこと。
訃報は当日夜中にネットのニュースサイトで知りました。
正直言って、全然実感が湧きませんね…。
これでジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、そして三沢と、全日本プロレスの歴代エースが悉くこの世を去ってしまいました。。。

私は鶴田ファンだったため、三沢と言うと、「鶴田超え」に挑んでいた1990年から92年までの姿が最も印象的です。
当時の鶴田は「怪物」「完全無欠のエース」と称され、余りにも強すぎて面白くないとまで言われる程の大レスラー。その鶴田より10歳以上も若くてキャリアが浅く、また体格的にも劣る三沢が真正面からぶつかって行く姿は悲壮ですらありました。
従って、鶴田ファンでありながら、年齢的には近い三沢にも心情的には肩入れしたくなるような気持ちで闘い振りを見ていました。
その鶴田が92年、突如病いに倒れた時には、一気にプロレス熱が冷める思いでしたが、それでもファンを止めるまでは至らず、今や全日のエースに上り詰めた三沢の姿を見続けていました。
でも、特にこれと言って思い出せる試合や場面と言うのはないんですよね。当時の全日は毎回固定された同じメンバーで毎回同じような展開の試合ばかりでしたので、どれがどの試合のことだったのかと記憶が曖昧になります。
ただ、「こんな試合ばっかりやっていて、体は大丈夫なのか?」と毎回ひやひやしたことだけは覚えています。
当時はプロレス人気が完全に下降してテレビに依存することができなくなり、リング上の熱い闘いのみで観客を惹きつけるしか術のなくなっていた時代。これでもかこれでもかと言うぐらい過激な技がエスカレートする一方なので、三沢も満身創痍という感じでした。いかに類稀な身体能力を持つ三沢と言えど、この頃から疲労が蓄積していたのでしょうね。テレビの解説席に座っていた馬場さんが、余りにも凄まじい三沢の試合に涙ぐんで絶句してしまうと言うシーンがあったほどです。
その馬場が99年に死去。更に、既に第一線から退いていた鶴田も完全にリングを去った上、翌00年には急死。すると全日本プロレスでは内紛が表面化し、三沢たちが離脱して分裂してしまいました。
この時点で私のプロレスへの関心は全くなくなり、その後のプロレス界がどうなっているのかも殆ど知りません。
ただ、たまに最近の三沢の画像などを目にした時には、「三沢も老けたなぁ」と思うことはありました。私の中では全日本プロレスのエースとして活躍していた90年代の、まだ若く精悍な風貌を残していた当時のイメージで止まっているので、あまりの変わりように驚かされたものです。年齢も年齢だけど、社長レスラーとしての心身の疲労が顔に表れている…と言う印象でした。
が…まさかこんなに早く、こんな形での訃報を聞くことになろうとは…。

三沢選手、今までありがとう、お疲れ様でした。
安らかにお眠り下さい。
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