大映の興亡

一言で大映を言えば「永田雅一が興し、そして潰した会社」に尽きる。大映は戦争で生まれた特異な会社だった。他の企業同様に映画会社も戦時統制を受け、当初は松竹、東宝の2社に統合される予定だった。ところが新会社=大映を加えた3社制とするように運動したのが永田雅一だった。更に戦後、他の国策会社同様に大映も解散の運命のはずだったが、またしても永田の工作で大映のみが生き延びた。つまり永田なくして大映はなかった。だが国策メーカーと言う出自が後々致命的欠陥にもなる。戦時中は映画配給が公社に一元化されていたため大映は製作だけしていればよかった。しかし戦後、各社の自主配給制になっても興行力の強化には不熱心だった。「いい映画さえ作っていれば必ず客が来る」と言う素朴なカツドウ屋気質が抜けなかったのだ。従って他社のような経営多角化も行わなかった。
そのくせ大映は映画会社としてのカラーがはっきりしなかった。松竹なら家庭劇、東宝はサラリーマン劇のように特徴が一言で言えるが、もともと国策で人為的に生まれた大映にはそれがなかったのだ。強いて言えば旧日活を継承した時代劇の会社ということになる。だが その一方で芸術志向も強いため、後発の東映がより大衆娯楽的な時代劇を売り物にするようになると大映の旗色は悪くなる。永田は嘆いて「大衆は大映のカステラより東映の饅頭を好む」と警句を吐いたものだ。社長は派手好きで下品なのに不思議と映画は地味に上品で真面目なのだ。それが末期に他社との差となって出た。
1960年代、日本映画界はどこも苦しかったが、東映はやくざ映画で乗り切り、松竹と東宝は喜劇映画で凌いだ。 だが大映にはどちらもできなかった。東映の真似をしてやくざ映画を作ったが、上品な大映には東映ほど迫力がない。しかも大映には喜劇が作れない。 大映は時代劇あり文芸物あり現代劇のサスペンス物あり、そして特撮もありとジャンルの広い会社だったのに、何故か喜劇だけは全くダメ。 いい例がクレイジーキャッツの使い方だ。クレイジー映画を最初に作ったのは大映だったが、クレイジーは添え物に過ぎず、ヒット曲を素材に使っただけの歌謡映画に過ぎなかったため失敗。やがて東宝に転じたクレイジーは東宝のドル箱になった。東宝には他にも社長シリーズや駅前シリーズがあり、松竹にも旅行シリーズやドリフの全員集合シリーズあり、そして最大のドル箱「男はつらいよ」シリーズに至るが、大映は最後まで一本のヒット作も作れなった。
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