川口浩と石原裕次郎

1960年に作家の三島由紀夫は俳優として大映映画「からっ風野郎」(増村保造監督)に主演した。この経験をもとに書いたのが「スタア」と言う短編小説だ。 主人公は当時流行の太陽族を思わせる若手人気俳優である。 なので初読以来、てっきりモデルは日活の石原裕次郎だろうと思っていた。しかしあとあと考えてみると、半分は大映の川口浩かもしれないと言う気もする。 「からっ風野郎」も大映だったし、「スタア」には大映の長谷川一夫を思わせる老醜の二枚目俳優も出てくる。そして何より川口自身が裕次郎と並ぶ太陽族俳優だった。
日活の太陽族映画第1作「太陽の季節」が公開されたのは1956年5月。ただし主演は長門裕之と南田洋子であり、裕次郎も出ているがまだチョイ役だ。 1か月後の56年6月、今度は大映で川口浩主演の「処刑の部屋」(市川崑監督)が公開される。川口は4月にデビューしたばかりでこれが2作目だった。 更に1か月後の7月に裕次郎初主演作 「狂った果実」が続く。当時はこの3本が太陽族映画と称され、そこに描かれた若者の不道徳な生態が世間の物議をかもしたと言う。
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その後裕次郎は日活の、川口は大映の若手トップスターになる。裕次郎は言うまでもなく石原慎太郎の弟、かたや川口も直木賞作家で大映重役だった川口松太郎と女優三益愛子の長男と言う七光りもあった。尤も人気では裕次郎が水をあけていたようだが、川口も『巨人と玩具』『おとうと』などの文芸映画に出演して名を高めている。1960年に裕次郎が共演者の北原三枝と結婚すると、同じ年に川口も野添ひとみと結婚。
だが、二人とも自ら望まずに若くしていきなりスターになったせいか長く俳優業を続ける気はなく、特に裕次郎は「俳優は男子一生の仕事にあらず」と公言して憚らなかった。これは当時のお坊ちゃん俳優に共通するのか大スター上原謙の息子である加山雄三も同じようなことを言っていた。実際に川口は1962年、26歳の若さで俳優業から引退し実業家として高級マンション「川口アパート」の経営に乗り出す。一時は俳優業にも復帰し「キイハンター」などに出演するが、70年に川口浩探検隊の前身『ザ・ショック!!』を自ら企画し出演。 一方の裕次郎は斜陽化する映画界を見捨てておけなくなったのか62年に石原プロを立ち上げ映画製作にのめり込んでいき70年代はテレビドラマ「太陽にほえろ」に出演。言葉とは裏腹に俳優業を続けることになっている。個人的な記憶にあるのはこの頃からなので、たまに二人が若い頃の映画をテレビで見ても同一人物に見えなかった。精悍なアクションスターだった裕次郎が当時は顔色の悪い浮腫んだ中年になっており、お坊ちゃん顔だった川口がジャングルを切り進むカーリーヘアの探検隊長になっていたからだ。
同じ年に太陽族スターとしてデビューしてその後違う道を歩いた二人は奇しくも同じ年に亡くなっている。1987年7月に52歳で亡くなった裕次郎の葬儀は盛大を極めたが、4か月後に51歳で亡くなった川口の方も「探検隊長」としての知名度の高さでそれなりの話題になった。
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