大映俳優列伝(7)月丘夢路

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今月3日、月丘夢路が94歳で亡くなった。あまり大映のイメージを持っていなかったが、実は初期のスターなのである。なので予定外だが急遽割り込みで取り上げることにする。
1922年(大正11年)生まれ。1937年(昭和12年)に宝塚音楽歌劇学校入学。同期は乙羽信子、越路吹雪らである。1940年に宝塚映画「瞼の戦場」の主演で映画デビューし、42年、発足直後の大映で「新雪」のヒロインを演じ大ヒットをとばす。映画は知らなかったが灰田勝彦が歌う主題歌「♪紫けむる新雪の~」は後年、懐メロ番組で何度も聞いたことがある。
翌年、宝塚を退団し戦時中の大映で活躍。終戦後最初の大映東京作品「別れも愉し」(1945年9月)にも主演しているが、この映画は終戦前に撮影が始まり終戦後に完成したと言う。その後もしばらく戦後の大映で活躍していたが、47年に松竹へ移籍する。
ちなみに宝塚同期だった乙羽信子はこの後の1950年に大映入りしスターになっている。しかも乙羽は「原爆の子」(1952年、近代映画協会)出演を強行して大映を辞めたが、同じ原作を映画化した「ひろしま」(1953年、日教組プロ)には月丘が主演しているのである。
1955年、製作を再開したばかりの日活に移籍しここでも主演女優となるが、1959年にフリーとなる。大映、新生日活をいずれも初期にスターとして支え、短期間で去っているわけである。
フリーになってからの60年代には古巣の大映作品にも何度か出演し、「釈迦」(1961年)で王妃を、「第三の悪名」(1963年)では女親分を貫禄たっぷりに演じ、衰えぬ妖艶な美貌を見せている。
1974年の「華麗なる一族」では佐分利信の本妻役で愛人役の京マチ子と3Pのベッドシーンを演じたのが印象的だったが、よく考えてみたらこれ、新旧大映スター女優の3Pだったのね。京マチ子とは1977年の横溝正史シリーズ第1作「犬神家の一族」で再び共演している。
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個人的にリアルタイムで知っているのはこの頃からなので、当時は某宗教団体が絡んだ高麗人参茶のCMに出演しているオバさんぐらいにしか認識してしていなかった。「江戸川乱歩の美女シリーズ」のメイン監督井上梅次の奥さんと言うことも後に知ったと思う。件のCMの影響もあってか徐々に露出が減り、80年代始めで女優活動を停止している。
2010年に夫の井上監督が亡くなりお別れ会が催された時も姿を見せずメッセージだけだったが、2012年の「徹子の部屋」で久々にテレビ出演して元気な姿を見せた。だが結局それが最後になったようである。
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