大映俳優列伝(18)笠原玲子

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八代順子の回でガメラシリーズに出たおかげで他の5人娘より知られていると書いたが、そういう意味で最もメジャーな大映末期の若手女優はガメラシリーズ最多の3本に出演した笠原玲子かもしれない。
笠原玲子は数奇な(でもないが)運命を辿っている。大映に入る前は東宝芸能学校に通い、1964年の東宝第4期ニュータレント(ニューフェイスから改称)に合格しているのだ。同期には黒沢年男、高橋紀子、沢井桂子などがいた。しかしデビューする前に病気で辞め、改めて1年後に大映18期ニューフェイスを受験し合格している。
ここで気になるのは、もしそのまま東宝にいたらどうなっていただろうか?と言うことである。
それはまた後で考えるとして、ともかく大映入りした笠原は1966年5月、同期の篠田三郎とともに「雁」でデビューする。
翌67年、ガメラシリーズ第3作「ガメラ対ギャオス」のヒロインに抜擢される。だが、子供向けの怪獣映画に出た程度では格上げにならないらしく、その後は再び同期と思われる水木正子や津山由起子と寄ったりのポジションの脇役が続いている。「勝負犬」(67年10月)では3人揃ってナイトクラブの案内嬢役である。
やがてハレンチ路線が台頭してくると、水木と津山はその主演グループ「5人娘」に抜擢され、笠原もハレンチな役柄をあてられることが多くなった。笠原自身は少しトウが経っていたせいか(?)5人娘の仲間には入れてもらえず、「ある女子高校医の記録 失神」ではバーのホステス、「ある見習看護婦の記録 赤い制服」では看護婦寮の室長役である。ちなみに同僚の室長を演じたのが甲斐弘子であった。
その甲斐弘子とはガメラシリーズ第5作「ガメラ対大悪獣ギロン」(1969年)でコンビを組む。役柄は「対ギャオス」の清楚なお姉さんから一転してケバいメイクと変なコスチュームの人食い宇宙人であった。子供の頃にテレビで見た時にはその落差に唖然とした記憶があるが、後で思えばむしろ清楚な役柄の方が例外で、普段はハレンチな役柄の方が多かったのである。ちなみに「おんな牢秘図」(1970年)ではウルトラマンのフジ隊員こと桜井浩子とも女囚役であられもない共演を果たしている。71年1月の「すっぽん女番長」には笠原、八代、八並映子の歴代ガメラガールズ(そんな呼び方は誰もしていないが)が勢ぞろいしている。
尤も地味だが堅実な笠原は重宝されたのか、製作本数が激減した末期大映の女優陣の中では比較的出演作が多い。ガメラシリーズ最終作「ガメラ対深海怪獣ジグラ」に3度目の出演を果したのを始め、大映最後の作品「蜘蛛の湯女」まで脇役として支え続けた。
大映倒産後は勝プロの「子連れ狼 三途の川の乳母車」や東映の「女囚さそり 第41雑居房」などの映画に出演し、テレビでは「キカイダー01」「狼無頼控」「プレイガール」など数多くの作品に出演したのち1975年に結婚引退した。『日本映画人名事典』は徳間大映の「金環蝕」(1975年)を最後の作品にあげているが、その後の「続・人間革命」(1976年、東宝)にも出演記録がある。
と、ざっと振り返ったところで、改めて先ほどの仮定「もし笠原玲子が東宝に入っていたら?」を考えてみたいのだが、東宝同期の沢井桂子はゴジラ映画や若大将シリーズに出ていたし、1期下の水沢有美は青春学園ドラマに出ていたので、笠原玲子も似たような使われ方をしたと思われる。映画界が斜陽化していたこの時期の女優はよほど突出した存在でない限り大成は難しく、結局どっちに転んでも大差なかったような気がするのである。
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