大映俳優列伝(22)丸井太郎

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大映、東宝、松竹、東映、日活の大手5社が牛耳っていた当時の映画界には「五社協定」と言う悪名高い業界ルールが存在していた。スター俳優を専属制で縛って移籍の自由を認めず、違反者は徹底的に干すと言うものである。これにより犠牲となった俳優は少なくないが、その一人として必ず名前があがるのが丸井太郎である。
高校を卒業後、文学座で裏方として働いていたが俳優に転向し、1957年に大映第11期ニューフェイスとして入社している。同期は藤巻潤や仁木多鶴子だった。
本名の石上正治を一字変えた石上正二の名で58年にデビューし、端役で数本出たのち同年11月公開のコメディ映画「恋と花火と消火弾」から芸名を丸井太郎に改めている。
この映画は長編の添え物であったが、主役の一人に抜擢されている。もう一人の主役は同じく伊藤直保から改名した三角八郎だった。つまり「丸と三角」のコンビで売り出そうとしたわけである。
続く「盗まれた縁談」にも丸・三角が準主役で出演している。しかし2人のコンビは結局この2作だけで終わっている。以前も触れたが、どうも大映にはコメディの土壌がなかったようだ。
その後は端役ばかりだったが、1963年6~9月にTBSで放送された大映テレビ室製作のテレビドラマ「図々しい奴」で主演の戸田切人(とだ・きりひと)役に抜擢される。これが大人気番組となり、一躍有名俳優になった丸井の許には当然テレビ局から次の出演依頼も来た。だがテレビより映画を優先する大映によって映画界に引き戻されてしまうのである。
映画界復帰後についてウィキペディアには「そんな彼を待っていたのは飼い殺しに等しい扱いだった」などと、もっともらしく書かれているが、事実とは異なる。64年1月公開の「温泉女医」では準主役(若尾文子の相手役)、「現代インチキ物語 騙し屋」では主演グループの一人で起用され、7月には「無茶な奴」と言う単独の主演作も作られているからだ。折角テレビで上がった知名度を無駄にするほど大映もバカではない。
尤も「図々しい奴」の放送後1年近くも経った頃に、しかも「無茶な奴」などと明らかに「図々しい奴」を意識した中途半端なタイトルで主演作にするぐらいなら、いっそのこと「図々しい奴」を映画化をすべきだろう。ところがその映画化権は東映に横取りされテレビ版の主題歌を唄っていた谷啓の主演で一足早く公開されてしまっていたのである。このへんに旬をものにできない大映の駄目な面が現れている。
ともあれテレビ人気に乗じて映画でも丸井をスターに仕立て上げようとしたことは明らかであろう。ただそれも最初のうちだけで、一過的な人気が去った後は平凡な脇役俳優に落ち着いている。
テレビと映画は別物であり本人に銀幕で観客を引き寄せる力がなかったせいもあろうが、コメディが苦手な大映では丸井の魅力を引き出すような映画を作れなかったのだろう。今でも人気の高い特撮物「大魔神怒る」(66年)と「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)に出演したことで多少とも名前を知られているのがせめてもの救いである。
1967年9月6日、「兵隊やくざ 殴り込み」の撮影で出張していた京都から東京に帰った直後に自宅マンションでガス自殺した。まだ32歳の若さだった。ウィキペディア等には俳優として絶望した結果であるかのように断定的に書かれているが憶測に過ぎない。遺書からは妻との別居を苦にしていた様子も窺えるが直接の動機は不明とされている。外見や役柄とは裏腹に素顔は真面目で繊細な人物であったという。

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