大映俳優列伝(24)ジョー・オハラ

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二世のような名前だが芸名である。しかも度々改名しているので、改名遍歴を辿り損ねると経歴もわからなくなる。
1903年(明治36年)生まれで小松商会を経て25年(大正14年)に京都の日活大将軍撮影所へ入社。『日本映画俳優全集』によれば同年の「此の母を見よ」がデビュー作である。当初は本名の仁平久で活動していたが、29年(昭和4年)頃から大原仁美に改名したようである。
30年に帝国キネマ(間もなく新興キネマに改組)へ移籍している。翌31年に大原穣、33年からはジョウ・オハラに改名。35年、マキノトーキー製作所に移ったがすぐ新興に戻っている。42年の統合で大映東京撮影所所属となり、倒産まで在籍した。
戦時中は芸名を大原穣に戻しているが、これはおそらくディック・ミネやミス・コロムビアが改名させられたのと同様の理由であろう。戦後もしばらくそのまま名乗り続けていたが、1950年にジョー・オハラへ改名し、以後はこの芸名でほぼ定着してる。
戦後だけに限ると映画データベース上には50本程度の出演データしかないが、それ以上にノンクレジットの出演が多かったはずである。大半の作品で台詞がなく、あっても一言か二言と言うエキストラ専門の典型的な大部屋俳優であった。
ガメラシリーズの常連でもあり、クレジットされているのは「ガメラ対バルゴン」(1966年)の老酋長役と「ガメラ対ギャオス」(1967年)のホテル・ハイランド支配人だけだが、ノンクレジットで「ガメラ対ジャイガー」(1970年)や「ガメラ対ジグラ」(1971年)にも対策本部のメンバーとして顔を出している。
大映倒産以降の活動記録はない。

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