大映俳優列伝(28)大辻伺郎

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大映は1958年(昭和33年)にテレビ製作室、所謂「大映テレビ室」を設置した。最初は「少年ジェット」(フジテレビ)などの子供向け30分番組が主だったが、62年からTBSの月曜午後10時からの1時間枠を製作するようになる。その3作目が丸井太郎主演の「図々しい奴」であり、次の「赤いダイヤ」(1963年9~12月)に主演したのが大辻伺郎である。
一字違いの芸名の父・大辻司郎は大正末期に無声映画の活動弁士から転じて「漫談」と言う一人話芸のジャンルを創設した元祖だった。戦後も人気漫談家として活躍していたが、52年4月、日航機・もく星号が三原山に墜落した事故の犠牲となって亡くなってしまう。当時、高校生だった息子の伺郎はそれを契機に高校を休学、一時期は板前の修行をしたこともあったが、やがて俳優を志して早稲田大学演劇科へ入学する。
55年に中退し新派の伊志井寛に師事しながらテレビ局のエキストラをやっていた時に端役で出演したドラマで市川崑監督に認められ、1960年、大映のオムニバス映画「女経」第2話に出演。大映入りして増村保造監督の「偽学生」(60年)「好色一代男」(61年)などにも起用され、ギョロ目ととぼけた持ち味で頭角を現した。そして「赤いダイヤ」で主役を射止めたのである。共演はNHKのアナウンサーから女優に転身したばかりの野際陽子で、二人はともに茶の間の人気者になった。
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ちなみに「赤いダイヤ」も「図々しい奴」同様に東映によって翌64年に藤田まこと主演で映画化されている。まるで東映のために大映が題材を提供していたようなもんである。
それはともかくとして大辻はその後フリーとなりテレビ、映画の売れっ子になる。映画「われ一粒の麦なれど」(64年、東宝)ではポリオ患者を熱演し、テレビドラマ「喜びも悲しみも幾歳月」(65年、TBS)では映画で佐田啓二が演じた主人公の灯台守を演じるなどシリアスな演技者としても才能を発揮している。一方で「ゲバゲバ90分」(69~71年、日本テレビ)や「ハレンチ学園」(70~71年、東京12チャンネル) などのバラエティやコメディでも活躍した。
だが、私生活で離婚と結婚を繰り返したり莫大な借金を抱えたり、更にスタッフとのトラブルからをレギュラー番組を降板するなど、何かと問題も多かったようである。72年には胃潰瘍で倒れ入院もしている。
73年5月21日、ホテルオークラの客室で首吊り自殺した。38歳だった。自殺の前日に自動車事故を起こしていたと言うが、自殺との因果関係は明らかではない。奇しくも「図々しい奴」の丸井太郎、「赤いダイヤ」の大辻伺郎と、TBSドラマの主演俳優が2代続けて自殺することになってしまったのである。

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