大映俳優列伝(40)川崎あかね、丘夏子

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映画が娯楽の王座にあった時代、その中心には時代劇があった。大映も京都撮影所で時代劇、東京撮影所で現代劇を製作する二頭体制を取ってはいたが、常に優位にあったのは時代劇のほうだった。だが末期にはこの立場が逆転する。現代劇が安上がりな青春ハレンチ映画で稼ぎ頭になる一方で、金と手間のかかる時代劇は次第に敬遠されるようになったからである。そのため京都からはあまり新人が育っていない。せえぜえ川崎あかねぐらいであろう。ここでは同期の丘夏子も併せて取り上げる。
2人は1967年(昭和42年)の大映京都第5期フレッシュフェイス出身である。大映東京で言えば第19期ニューフェイスに相当し渥美マリや八代順子とも同期にあたる。年齢は川崎と八代が48年生まれ、丘と渥美が2歳年下の50年生まれで同い年だった。
川崎あかねは戦前の新興キネマ・大映でカメラマンを務め戦後は東映に移った川崎新太郎の娘である。その関係で子供のころから京都の撮影所にはよく出入りしていた。また6歳から日舞を習い、高校を卒業して大映に入社する頃には弟子を取る身分になっていたと言う。ちなみに本名は川崎ときゑと言い、芸名の名付け親は時代劇の大御所の伊藤大輔である。
一方の丘夏子は小学生の頃から女優に憧れ、高校を中退して大映に入社。デビューはそれなりに下地の出来ていた川崎の方が早いかと思いきや、丘が68年1月の「眠狂四郎女地獄」で先んじ、川崎は3月の「陸軍中野学校 開戦前夜」である。
同年12月「妖怪大戦争」で川崎がヒロインに抜擢される。丘も腰元役で出演しているが端役である。以後も丘は脇役に甘んじたのに対し、川崎は「笹笛お紋」「秘録怪猫伝」(69年)などに準主役で出演し、スターの抜けた大映京都では安田道代に次ぐ存在になって行く。
だが経営悪化の一途をたどる大映は1970年に入ると池袋、梅田などの直営館を次々と売却し、日活との提携による「ダイニチ映配」に活路を求めた。この結果、京都撮影所で製作される作品数は大幅に減少する。更に京都でも現代劇が作られるようになり、川崎も丘も「あゝ独身」「十代の妊娠」「ボクは五才」などに出演している。
このうち「十代の妊娠」は大映東京のジュニア・セックス・シリーズが珍しく京都で製作されたものである。東京から出張して来た南美川洋子、八並映子、篠田三郎などに混じって川崎と丘も高校生役で出演しているほか、伊達三郎、寺島雄作、近江輝子ら時代劇でお馴染みの面々がそれぞれ父兄役を演じている。
結局、71年11月に大映は倒産。川崎あかねは大映京都最後の配給作品となった「蜘蛛の湯女」に主演し大胆なセミヌードを披露しているが、倒産後は180度カラーの違う松竹に入社する。森崎東監督の「女シリーズ」の第4作目「女生きてます 盛り場渡り鳥」に主演、京都市民映画祭の新人賞を受賞したが、松竹の”清潔”な体質が合わなかったとかで、73年に退社。フリーとなる。その後もテレビを中心に現在まで息長く女優活動を続けている。
丘夏子は映像京都に所属しTV「必殺シリーズ」(朝日放送)などにゲスト出演。77年の横溝正史シリーズ第1作「犬神家の一族」(毎日放送)では犬神小夜子役を演じているが、同年11月のNHK銀河テレビ小説「仮縫」を最後に出演記録が終わっている。当時既に結婚していたようなので、引退したのだろう。

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