大映俳優列伝(46)片山明彦

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前回の星ひかる、湯浅憲明は同じ映画会社で親が俳優、子が監督と言う組み合わせだったが、今回は逆に親が監督、子が俳優のケースである。
片山明彦は俳優から監督に転じた島耕二の息子である。1926年(大正15年)生まれで本名は鹿児島燁彦(あきひこ)と言う。姓は鹿児島だが、島の出身地は長崎であり、片山自身は島が京都の新興キネマにいた時に生まれた。
37年(昭和12年)、島が日活多摩川撮影所の俳優だった時、田坂具隆監督に望まれ「真実一路」の義夫役でデビューする。当時、小学5年生だった。芸名の命名者は星ひかるであると言う。
尤も島は息子の起用に渋い顔をし、片山本人にも俳優になる気はなかったのだが、演じてみると田坂と島を驚嘆させた。
日活へ正式に入社し、38年、田坂監督の「路傍の石」では主演に抜擢されて天才少年と評判をとる。39年から監督に転向した島も40年「風の又三郎」で主役で起用している。ちなみに後年、怪優として知られた大泉滉のデビュー作であり、子役時代の飛田喜佐夫も出演していた。
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(左が片山明彦、右は大泉滉)
42年の統合で大映所属となった後、45年に応召され長崎県大村で終戦を迎える。
戦後はフリーとなって松竹、大映、東宝、新東宝の各社で出演。溝口健二監督の「武蔵野夫人」(51年、新東宝)では田中絹代と不倫関係になる従弟の宮地勉役を演じ、伊藤大輔監督の「下郎の首」(55年)では田崎潤演じる下郎を見殺しにしてしまう若侍を演じるなど、おとなの俳優として脱皮した姿を見せた。
54年松竹に入社し「三羽烏奮戦す」では川喜多雄二、大木実とともに主役の三羽烏を演じるが、その後は徐々に役が落ちて脇役となる。
59年には島のいる大映に移籍し「いつか来た道」(59年)「夕やけ小やけの赤とんぼ」(61年)など島の監督作品を中心に脇役として出演。大映には倒産時まで在籍していたが、出演作は島監督の「怪談おとし穴」(68年)が最後である。
テレビにも出演し60年の「武蔵野夫人」(フジテレビ)では宮地勉役を再演している。「事件記者」(NHK)「鉄道公安36号」「特別機動捜査隊」(NET)等に多数ゲスト出演をし、他にラジオのMBS競馬中継では司会も務めたこともある。73年「必殺仕掛人」(NET)第19話出演を最後にテレビからも離れ、その後はPR映画や記録映画の演出をしたと言う。
2014年に88歳で亡くなった。

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