大映俳優列伝(64)村田扶実子、村田知栄子

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村田扶実子と村田知栄子の姉妹はともに戦後の大映で脇役として活躍したが、それまでの道のりは違っていたようだ。
扶実子は1907年(明治40年)生まれ。知栄子は8歳下の15年(大正4年)生まれ。父はロシア文学者、叔父は新派の名優だった村田正雄で、長兄も二代目村田正雄として新派の俳優になっている(なお三代目村田正雄もいたが、血縁はない)。
そうした家庭環境の影響を受けて育った扶実子も27年(昭和2年)に宝塚国民座へ入り女優の道を歩んだ。松竹家庭劇を経て水谷八重子の芸術座へ移り、戦後も長谷川一夫の新演伎座などで一貫して舞台女優として活動していた。なので、映画界入りしたのは50歳手前と、かなり遅かったのである。56年に大映と契約し、以後倒産まで在籍して主に老け役で「巨人と玩具」(58年)、「妻は告白する」(61年)、「大怪獣ガメラ」(65年)、「白い巨塔」(66年)などの作品に出演した。最後の出演作は「遊び」(71年)である。72年に体を悪くして以降は活動記録がない。
一方、知栄子は女学校卒業後の33年、後の大映社長で当時日活太秦総務だった永田雅一にスカウトされて日活入社と、ストレートに映画界入りしている。同年「大東京曇後晴れ」でデビューし、「夢に見る母」「嫁ぐ日」などの作品に主演し、日活太秦のスター女優として活躍した。36年、日活多摩川撮影所に移り、42年の戦時統合により大映東京撮影所の所属となった。46年、松竹に移籍するが53年、大映に復帰。65年まで在籍して「故障息子」(53年)、「楊貴妃」(55年)、「女の勲章」(61年)などに出演した。ちなみに芸名は村田智栄子→村田千栄子→村田千英子→村田知栄子→村田知英子と、読み方は同じだが目まぐるしく変わっていた。大映時代はほぼ知栄子で統一されている。
姉とは何度か共演しているが、同一シーンでの出演があったかどうかわからない。 「女は二度生まれる」(61年)では知栄子が若尾文子の芸者が所属する置屋の女将、扶実子は若尾がお座敷に出る料亭の女中頭の役を演じている。
フリーになってからはテレビドラマにも進出し、「特別機動捜査隊」(NET)や「水戸黄門」(TBS)などに度々出演した。現在まで日本中どこかで再放送が途切れることがないと言われる人気昼帯ドラマ「あかんたれ」(76~78年、東海テレビ)には芸者置屋の女将役で出演していて、自分が村田知栄子を知ったのもこのドラマの再放送によってである。1995年に死去。
書き落としたが、見明凡太朗とは戦前夫婦だったのだが、大映時代は既に離婚していたようだ。ウィキペディアによれば、2013年1月にNHK BSプレミアムの番組「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」公式ホームページの「視聴者の声」内に見明の娘と称する人物から書き込みがあったと言うことだが、知栄子との子供なのかどうかは不明である。

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