大映俳優列伝(50)花布辰男、丸山修、杉森麟

伊東光一、高村栄一、大山健二が重役クラスだとすれば、その下の中間管理職の印象があるのが花布辰男、丸山修、杉森麟の3人である。

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花布辰男は1912年(大正元年)生まれ。30年(昭和5年)、中学を卒業して六代目尾上菊五郎が設立した日本俳優学校に一期生として入校。同期生には織田政雄、三津田健、植村謙二郎らがいた。
37年(昭和12年)、新興キネマ大泉撮影所に入社し「煙る故郷」でデビュー。42年、大映東京撮影所所属となり倒産まで在籍した。
大山が社長役の「黒の試走車」(62年)で自動車メーカーの技師長、「砂糖菓子が壊れるとき」(67年)でも大山の部下の映画プロデューサーを演じている。痩身と細い声が特徴的で、医者や大学教授など知的な役柄も多い。伊東や高村、大山と違い時代劇への出演も多く「日蓮と蒙古大襲来」(58年)、「大菩薩峠」(60年)、「なみだ川」(67年)、「怪談雪女郎」(68年)などに出演している。大映最後の出演作も時代劇の「狐のくれた赤ん坊」(71年)だった。
大映倒産後は映画2本、テレビに1本出たぐらいの記録しか見当たらず、あまり活動していなかったようだ。75年9月、徳間大映の「金環蝕」(山本薩夫監督)に民政党大会議長役で出演したのが最後だろう。

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丸山修は1915年(大正4年)生まれ。33年(昭和8年)、中学を卒業してカメラ会社に入社。36年、新興キネマのカメラマンを志すが欠員がなかったので同社の大泉俳優学校に入る。同期に須賀不二男、若原雅夫がいた。
まもなく中退して日活多摩川撮影所に入る。『日本映画俳優全集』によれば同年11月「高橋是清自伝・前後篇」がデビュー作である。ただし映画データベースには戦前の出演記録が見当たらない。41年兵役につき、44年復員して大映東京に入る。
50年代は文芸物の脇役として存在感を発揮した。高峰秀子の兄役を演じた「稲妻」(52年)では撮影所長賞を受賞したそうだ。溝口健二監督の遺作「赤線地帯」(56年)では失業して妻を赤線で働かせている夫を演じている。温和な顔立ちで、人が好く頼りない中年男がはまり役だった。医師や教師の役も多く、悪役は全くと言っていいほど見当たらない。
70年「ガメラ対大魔獣ジャイガー」を最後に大映を離れ、日活映画「女の警察 乱れ蝶」に出演したのちテレビに転じて71年7~10月に「太陽の恋人」(NET)でレギュラー出演したのを始め、72年「ターゲットメン」(NET)「パパと呼ばないで」(日本テレビ)「仮面ライダー」(NET)、73年「雑居時代」(日本テレビ)などにゲスト出演がある。75年の「伝七捕物帳」(日本テレビ)を最後に出演記録は見あたらない。

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大映現代劇で毎回のように顔を見かけるのが杉森麟である。生年月日やデビューの年月日など一切不明だが、1946年(昭和21年)3月公開の「街の人気者」には既に名前がある。ノンクレジット出演が多いので大部屋俳優だったようだ。「黒の報告書」(63年)の警察医、「黒の超特急」(64年)の公団係長など、クレジットがある場合でも1シーン1台詞ということが多い
何気にガメラシリーズの常連でもあり、クレジットがあるのは「大怪獣ガメラ」(65年)の警察署長役と「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)の村人役だけなのだが、「ガメラ対大悪獣ギロン」(69年)では天文台所員、「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」(68年)「ガメラ対大魔獣ジャイガー」(70年)「ガメラ対深海怪獣ジグラ」(71年)にはそれぞれ対策本部のメンバーで顔を出していたりする。
倒産まで在籍していたらしく、大映東京最後の作品「悪名尼」にも出演している。
その後も大映テレビ制作のTV「なんたって18歳!」第45話(1972年8月8日放送)に出演歴があるので俳優活動を続けていたと思われるが、詳細は不明である。

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大映俳優列伝(49)伊東光一、高村栄一、大山健二

大映現代劇で会社重役など重鎮の役柄を多く演じた脇役と言えば伊東光一、高村栄一、大山健二の3人である。

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伊東光一は1907年(明治40年)生まれ。静岡県伊東市の医者の息子で芸名は出身地に由来する。
32年(昭和7年)、松竹蒲田撮影所に入社し大部屋俳優として過ごす。終戦後の46年に大映へ移籍し倒産まで在籍している。
「黒の報告書」(63年)の検事正、「白い巨塔」(66年)の医学部教授、「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(66年)の大阪府警本部長、「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)の道路公団局長など専ら現代劇で120本以上出演している。時代劇出演は「座頭市血煙り街道」(67年)と「天狗党」(69年)ぐらいである。
大映倒産後もテレビや映画に出演し、「日本沈没」(73年、東宝)で外務大臣、山本薩夫監督の「華麗なる一族」(74年、芸苑社)では佐藤栄作もどきの総理大臣役を演じていた。77年以降は活動記録がない。

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高村栄一は1902年(明治35年)生まれ。慶応大学経済学部に進むが23年(大正12年)、関東大震災に遭い中退する。新聞記者を経て俳優に転じ、25年、東亜キネマに入社。
34年(昭和9年)、大都映画に移籍。39年の「怪電波の戦慄」二部作では、人間タンク(ロボット)を巡って藤間林太郎(藤田まことの父)らと争う敵役を演じている。
42年(昭和17年)の大映統合に伴い東京撮影所に移籍。戦前までは時代劇・現代劇の両方で敵役を演じたが、戦後は現代劇専門で時代劇出演は「好色一代男」(61年)ぐらいしか見当たらない。伊東光一とは「巨人と玩具」(58年)「黒の試走車」でともに会社重役を演じ、「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」では大阪府知事役で共演している。「からっ風野郎」(60年)でやくざの幹部、「黒の報告書」(63年)で悪徳商事会社の社長など悪役も多い。
69年「女賭博師丁半旅」を最後に出演記録はない。

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高村と伊東が重役を演じた「黒の試走車」で社長役だったのが大山健二である。
1904年(明治37年)生まれ。25年(大正14年)に松竹蒲田撮影所へ入社。32年(昭和7年)1月公開の成瀬巳喜男監督「女は袂を御用心」では主演もしている。
戦後は東宝・新東宝中心に出演し、大映東京撮影所に入ったのは57年と意外に遅い。以後脇役として80本近い作品に出演している。
「妻は告白する」(61年)の裁判長、「若親分あばれ飛車」(66年)の市長、「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」の警察署長など「長」と名の付く役柄が多い。ずんぐりした体躯で訥々とした口調が特徴だが、正直言って演技はうまくない。
大映倒産の1年前、70年に亡くなったらしい。最後の出演は69年の「ある見習い看護婦の記録 赤い制服」だったようである。

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大映俳優列伝(48)寺島雄作

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俳優専属制時代の映画会社は言わば大きな芝居一座のようなものだろう。毎度ほぼ同じ顔ぶれで役を回しているのである。その中でもおのずと「はまり役」がある。大映時代劇で言えば原聖四郎は高級武士、北城寿太郎は用心棒、伊達三郎はやくざの代貸、沖時男は駕籠かき…といった具合だ。
今回の寺島雄作のはまり役と言えば屋台の親爺である。実際は他の役柄の方が多いのだが、個人的にはいつも屋台のうどん屋かおでん屋だったような印象が強いのである。
1904年(明治37年)生まれ。中央大学専門部に在学中、学生演劇に親しむうちに俳優を志し大学を中退。戦前は新劇から軽演劇をまたにかけて活動した。映画には柳家金語楼主演の喜劇「金語楼の親爺三重奏」(39年)「金語楼の噫無情」(40年)「金語楼のお医者さん」(41年、東宝)などに端役で出演しているが、本格的な映画界入りは戦後になってからなので意外と遅い。
47年(昭和22年)に松竹と契約し「地獄の顔」等へ出演の後、49年に大映京都と契約を結ぶ。大映初出演作は「白髪鬼」で、嵐寛寿郎演じる白髪鬼の手先のせむし男と言う怪奇的な役柄だった。 51年には宝塚映画とも契約するなど他社出演も多かったが57年頃から大映専属となり倒産まで在籍した。
大映での出演作は160本前後を数え、先に述べた屋台の親爺をはじめ時代劇の町人役が多い。現代劇では刑事役も演じ、三島由紀夫の小説「金閣寺」を市川崑監督が映画化した「炎上」(58年)では市川雷蔵演じる主人公を護送する刑事役である。
大映倒産後はテレビ時代劇「銭形平次」(フジ)や必殺シリーズ(毎日放送)などにゲスト出演し、「金閣寺」二度目の映画化である高林陽一監督の「金閣寺」(76年)では主人公の父親役を演じた。78年8月2日放送の「銭形平次」第633回を最後に出演記録は見当たらない。

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大映俳優列伝(47)伊達正

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大映には「伊達」姓の俳優が二人いた。一人は時代劇の悪役でお馴染みだった京都撮影所の伊達三郎。もう一人が東京撮影所の伊達正である。尤も三郎ほど知名度がなかったせいか『日本映画俳優全集』には載っていない。ちなみに2人をミックスしたような名の伊達正三郎と言う新東宝出身の俳優もいたが、大映の両伊達とは無関係である。
伊達三郎と伊達正三郎は芸名だったが、伊達正も本名は大谷卓三と言うようである。デビューの年月は不明だが大都映画の「1936年度撮影所員名鑑」に名前が載っているので、それ以前には入社していたものと思われる。ちなみに大都映画は殆どのフィルムが焼失し現存していない。日本映画情報システムのデータベースでは36年(昭和11年)1月の「潮に捨てる青春」が最古の出演作だが、具体的な役柄は不明ある。
39年、「怪電波の戦慄」に出演。これは日本初の商業SF映画と言われる「怪電波殺人光線」(36年)のトーキーによるリメイク版で、二部作の後篇のみが現存する。謎の人間タンク(ロボット)を巡り敵味方入り乱れた争奪戦が展開され、藤田まことの父・藤間林太郎が人間タンクを作った博士役で、伊達正は敵の手下のせむし男を演じている。
42年、大都が新興キネマ、日活と合併して大映が誕生すると大映東京撮影所所属となり、以後倒産まで在籍していた。出演作の大半が端役だが、目を引くのは溝口健二、小津安二郎、黒澤明と言う三大巨匠の監督作品に出演していることである。晩年に大映専属だった溝口はともかく、黒澤は東宝、小津は松竹がホームグラウンドだから出演機会は限られている。 大映ではほかに京マチ子、中村鴈治郎、浦辺粂子、宮島健一ぐらいであろう。
伊達正が出演した黒澤作品は、黒澤が大映で撮った2本のうちの1本「静かなる決闘」(49年)である。主人公の医師・三船敏郎の病院へ盲腸の急患で担ぎ込まれた少年の父親役でワンシーンのみ出演している。
溝口作品は「楊貴妃」(55年)に出演。見直していないのであやふやだが、たぶん楊貴妃の京マチ子と玄宗の森雅之がお忍びで町に出たシーンでの町民役だったと思う。
そして小津が大映で撮った唯一の作品「浮草」(59年)である。中村鴈治郎の座長が率いる旅回りの芝居一座で、座長とは一番古い馴染みの老優・扇升を演じている。台詞は少ないが存在感のある役柄で代表作と言っていいかもしれない。
ほかに目立つ役としては「陸軍中野学校」(66年)で金庫破りの名人、「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)で村の老人、「蛇娘と白髪魔」(69年)で孤児院の小使などがある。
71年12月、大映倒産間際にテレビ室制作のTV「なんたって18歳!」10話(日本テレビ)に出演したのを最後に活動記録はない。おそらく倒産と共に引退したのだろう。

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大映俳優列伝(46)片山明彦

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前回の星ひかる、湯浅憲明は同じ映画会社で親が俳優、子が監督と言う組み合わせだったが、今回は逆に親が監督、子が俳優のケースである。
片山明彦は俳優から監督に転じた島耕二の息子である。1926年(大正15年)生まれで本名は鹿児島燁彦(あきひこ)と言う。姓は鹿児島だが、島の出身地は長崎であり、片山自身は島が京都の新興キネマにいた時に生まれた。
37年(昭和12年)、島が日活多摩川撮影所の俳優だった時、田坂具隆監督に望まれ「真実一路」の義夫役でデビューする。当時、小学5年生だった。芸名の命名者は星ひかるであると言う。
尤も島は息子の起用に渋い顔をし、片山本人にも俳優になる気はなかったのだが、演じてみると田坂と島を驚嘆させた。
日活へ正式に入社し、38年、田坂監督の「路傍の石」では主演に抜擢されて天才少年と評判をとる。39年から監督に転向した島も40年「風の又三郎」で主役で起用している。ちなみに後年、怪優として知られた大泉滉のデビュー作であり、子役時代の飛田喜佐夫も出演していた。
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(左が片山明彦、右は大泉滉)
42年の統合で大映所属となった後、45年に応召され長崎県大村で終戦を迎える。
戦後はフリーとなって松竹、大映、東宝、新東宝の各社で出演。溝口健二監督の「武蔵野夫人」(51年、新東宝)では田中絹代と不倫関係になる従弟の宮地勉役を演じ、伊藤大輔監督の「下郎の首」(55年)では田崎潤演じる下郎を見殺しにしてしまう若侍を演じるなど、おとなの俳優として脱皮した姿を見せた。
54年松竹に入社し「三羽烏奮戦す」では川喜多雄二、大木実とともに主役の三羽烏を演じるが、その後は徐々に役が落ちて脇役となる。
59年には島のいる大映に移籍し「いつか来た道」(59年)「夕やけ小やけの赤とんぼ」(61年)など島の監督作品を中心に脇役として出演。大映には倒産時まで在籍していたが、出演作は島監督の「怪談おとし穴」(68年)が最後である。
テレビにも出演し60年の「武蔵野夫人」(フジテレビ)では宮地勉役を再演している。「事件記者」(NHK)「鉄道公安36号」「特別機動捜査隊」(NET)等に多数ゲスト出演をし、他にラジオのMBS競馬中継では司会も務めたこともある。73年「必殺仕掛人」(NET)第19話出演を最後にテレビからも離れ、その後はPR映画や記録映画の演出をしたと言う。
2014年に88歳で亡くなった。

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