大映俳優列伝(48)寺島雄作

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俳優専属制時代の映画会社は言わば大きな芝居一座のようなものだろう。毎度ほぼ同じ顔ぶれで役を回しているのである。その中でもおのずと「はまり役」がある。大映時代劇で言えば原聖四郎は高級武士、北城寿太郎は用心棒、伊達三郎はやくざの代貸、沖時男は駕籠かき…といった具合だ。
今回の寺島雄作のはまり役と言えば屋台の親爺である。実際は他の役柄の方が多いのだが、個人的にはいつも屋台のうどん屋かおでん屋だったような印象が強いのである。
1904年(明治37年)生まれ。中央大学専門部に在学中、学生演劇に親しむうちに俳優を志し大学を中退。戦前は新劇から軽演劇をまたにかけて活動した。映画には柳家金語楼主演の喜劇「金語楼の親爺三重奏」(39年)「金語楼の噫無情」(40年)「金語楼のお医者さん」(41年、東宝)などに端役で出演しているが、本格的な映画界入りは戦後になってからなので意外と遅い。
47年(昭和22年)に松竹と契約し「地獄の顔」等へ出演の後、49年に大映京都と契約を結ぶ。大映初出演作は「白髪鬼」で、嵐寛寿郎演じる白髪鬼の手先のせむし男と言う怪奇的な役柄だった。 51年には宝塚映画とも契約するなど他社出演も多かったが57年頃から大映専属となり倒産まで在籍した。
大映での出演作は160本前後を数え、先に述べた屋台の親爺をはじめ時代劇の町人役が多い。現代劇では刑事役も演じ、三島由紀夫の小説「金閣寺」を市川崑監督が映画化した「炎上」(58年)では市川雷蔵演じる主人公を護送する刑事役である。
大映倒産後はテレビ時代劇「銭形平次」(フジ)や必殺シリーズ(毎日放送)などにゲスト出演し、「金閣寺」二度目の映画化である高林陽一監督の「金閣寺」(76年)では主人公の父親役を演じた。78年8月2日放送の「銭形平次」第633回を最後に出演記録は見当たらない。

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大映俳優列伝(47)伊達正

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大映には「伊達」姓の俳優が二人いた。一人は時代劇の悪役でお馴染みだった京都撮影所の伊達三郎。もう一人が東京撮影所の伊達正である。尤も三郎ほど知名度がなかったせいか『日本映画俳優全集』には載っていない。ちなみに2人をミックスしたような名の伊達正三郎と言う新東宝出身の俳優もいたが、大映の両伊達とは無関係である。
伊達三郎と伊達正三郎は芸名だったが、伊達正も本名は大谷卓三と言うようである。デビューの年月は不明だが大都映画の「1936年度撮影所員名鑑」に名前が載っているので、それ以前には入社していたものと思われる。ちなみに大都映画は殆どのフィルムが焼失し現存していない。日本映画情報システムのデータベースでは36年(昭和11年)1月の「潮に捨てる青春」が最古の出演作だが、具体的な役柄は不明ある。
39年、「怪電波の戦慄」に出演。これは日本初の商業SF映画と言われる「怪電波殺人光線」(36年)のトーキーによるリメイク版で、二部作の後篇のみが現存する。謎の人間タンク(ロボット)を巡り敵味方入り乱れた争奪戦が展開され、藤田まことの父・藤間林太郎が人間タンクを作った博士役で、伊達正は敵の手下のせむし男を演じている。
42年、大都が新興キネマ、日活と合併して大映が誕生すると大映東京撮影所所属となり、以後倒産まで在籍していた。出演作の大半が端役だが、目を引くのは溝口健二、小津安二郎、黒澤明と言う三大巨匠の監督作品に出演していることである。晩年に大映専属だった溝口はともかく、黒澤は東宝、小津は松竹がホームグラウンドだから出演機会は限られている。 大映ではほかに京マチ子、中村鴈治郎、浦辺粂子、宮島健一ぐらいであろう。
伊達正が出演した黒澤作品は、黒澤が大映で撮った2本のうちの1本「静かなる決闘」(49年)である。主人公の医師・三船敏郎の病院へ盲腸の急患で担ぎ込まれた少年の父親役でワンシーンのみ出演している。
溝口作品は「楊貴妃」(55年)に出演。見直していないのであやふやだが、たぶん楊貴妃の京マチ子と玄宗の森雅之がお忍びで町に出たシーンでの町民役だったと思う。
そして小津が大映で撮った唯一の作品「浮草」(59年)である。中村鴈治郎の座長が率いる旅回りの芝居一座で、座長とは一番古い馴染みの老優・扇升を演じている。台詞は少ないが存在感のある役柄で代表作と言っていいかもしれない。
ほかに目立つ役としては「陸軍中野学校」(66年)で金庫破りの名人、「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)で村の老人、「蛇娘と白髪魔」(69年)で孤児院の小使などがある。
71年12月、大映倒産間際にテレビ室制作のTV「なんたって18歳!」10話(日本テレビ)に出演したのを最後に活動記録はない。おそらく倒産と共に引退したのだろう。

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大映俳優列伝(46)片山明彦

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前回の星ひかる、湯浅憲明は同じ映画会社で親が俳優、子が監督と言う組み合わせだったが、今回は逆に親が監督、子が俳優のケースである。
片山明彦は俳優から監督に転じた島耕二の息子である。1926年(大正15年)生まれで本名は鹿児島燁彦(あきひこ)と言う。姓は鹿児島だが、島の出身地は長崎であり、片山自身は島が京都の新興キネマにいた時に生まれた。
37年(昭和12年)、島が日活多摩川撮影所の俳優だった時、田坂具隆監督に望まれ「真実一路」の義夫役でデビューする。当時、小学5年生だった。芸名の命名者は星ひかるであると言う。
尤も島は息子の起用に渋い顔をし、片山本人にも俳優になる気はなかったのだが、演じてみると田坂と島を驚嘆させた。
日活へ正式に入社し、38年、田坂監督の「路傍の石」では主演に抜擢されて天才少年と評判をとる。39年から監督に転向した島も40年「風の又三郎」で主役で起用している。ちなみに後年、怪優として知られた大泉滉のデビュー作であり、子役時代の飛田喜佐夫も出演していた。
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(左が片山明彦、右は大泉滉)
42年の統合で大映所属となった後、45年に応召され長崎県大村で終戦を迎える。
戦後はフリーとなって松竹、大映、東宝、新東宝の各社で出演。溝口健二監督の「武蔵野夫人」(51年、新東宝)では田中絹代と不倫関係になる従弟の宮地勉役を演じ、伊藤大輔監督の「下郎の首」(55年)では田崎潤演じる下郎を見殺しにしてしまう若侍を演じるなど、おとなの俳優として脱皮した姿を見せた。
54年松竹に入社し「三羽烏奮戦す」では川喜多雄二、大木実とともに主役の三羽烏を演じるが、その後は徐々に役が落ちて脇役となる。
59年には島のいる大映に移籍し「いつか来た道」(59年)「夕やけ小やけの赤とんぼ」(61年)など島の監督作品を中心に脇役として出演。大映には倒産時まで在籍していたが、出演作は島監督の「怪談おとし穴」(68年)が最後である。
テレビにも出演し60年の「武蔵野夫人」(フジテレビ)では宮地勉役を再演している。「事件記者」(NHK)「鉄道公安36号」「特別機動捜査隊」(NET)等に多数ゲスト出演をし、他にラジオのMBS競馬中継では司会も務めたこともある。73年「必殺仕掛人」(NET)第19話出演を最後にテレビからも離れ、その後はPR映画や記録映画の演出をしたと言う。
2014年に88歳で亡くなった。

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大映俳優列伝(45)星ひかる

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昭和のガメラシリーズ全てを手がけた監督は湯浅憲明である。だが唯一「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年)だけは特撮監督専任に回り、本編の監督は田中重雄が務めている。その「ガメラ対バルゴン」であわじ丸船長を演じた星ひかるは湯浅の実の父親であると言う。
まるでアイドルか宝塚歌劇のような名前だが本名は湯沢明(旧姓・内藤)である。息子と姓が違う理由はわからない。ちなみに星も「透明人間現わる」(49年)でのみ何故か湯浅豪啓の名で出演している。
母親は初期の帝劇の女優で「朱と緑」(37年、松竹)などに映画出演歴もある東日出子。つまり母が「日出」、息子が「星」と言うわけで、何だか駄洒落のような名前なのである。
1924年(大正13年)、松竹蒲田撮影所へ入社し、25年「恋の選手」に星光名義でデビュー。喜劇俳優として活躍する。30年(昭和5年)、星ひかるに改名。31年「公認駈落商売」で主演したのちに退社し、河合映画社に入社。田中重雄の監督第1作「たぬきと精神病患者」などに主演した。「裏町天国」では監督・原作・脚本・主演の4役を務めている。
32年、日活太秦撮影所へ入社。34年、日活多摩川に移り、35年以降は脇役に回る。42年、統合によって大映に所属。
戦後は松竹、東横映画などに出演したのち、51年から大映東京撮影所専属となる。以後「馬喰一代」(51年)「幻の馬」(56年)「巨人と玩具」(58年)「浮草」(59年)など120本以上出演した。71年の倒産まで在籍していたようだが、出演は69年の「女賭博師さいころ化粧」が最後で、それ以降の活動記録はない。
なお息子の湯浅憲明は1957年に入社し助監督を経て64年に監督へ昇進しているが、親子ではやりにくかったのか、湯浅の監督作品には出演していない。

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大映俳優列伝(44)蛍雪太朗

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「蛍雪太朗」と聞いてまず10人中10人が連想するのは似た芸名の俳優「螢雪次朗」だろう。蛍雪太朗は昭和の「ガメラシリーズ」、螢雪次朗も平成の「ガメラシリーズ」に出演しているため混同されることがあるが、無論別人である。
ウィキペディアによれば、雪太朗は雪次朗の「師匠」にあたると言う。だが一介の大部屋俳優にすぎなかった蛍雪太朗に何故「弟子」がいるのか、よくわからない。そもそも1971年に倒産した大映の雪太朗と、80年代から映画出演歴が始まっている雪次朗とは、どこで接点があったのだろうか。
その疑問は後で解くとして、取り敢えず蛍雪太朗の経歴を辿ってみたい。
と言ってもプロフィールは全く不明である。「蛍雪太朗」と言うインパクト大な名前は勿論芸名だろうが、由来も謎である。新人に変な芸名を付ける趣味があった永田親子にしても、ちょっと奇を衒い過ぎている気がする。
ともあれ出演クレジットに載ったのは63年7月公開の「温泉女中」あたりが最初なので、62年頃には大映東京撮影所に入社したのであろう。ちなみにその頃入社したニューフェイスは倉石功や青山良彦である。
以後大映倒産まで在籍していたと思われるが、出演作の大部分は端役である。脇役として目立つ役は丸井太郎とのコンビで本郷功次郎の部下を演じた「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)や江波杏子のお供で旅をする「女賭博師尼寺開帳」(68年)など、僅かであろう。ほかには「兵隊やくざ」(65年)、犬シリーズの「ごろつき犬」(65年)「鉄砲犬」(66年)「早射ち犬」(67年)、「与太郎戦記」(69年)などに出演している。
大映倒産後はテレビドラマに転向した様子はなく、映画も75年に「鬼の詩」と言うATG作品に出演したのみである。監督が大映出身の村野鐡太郎だった縁で呼ばれたらしく、ほかにも大映OBの早川雄三や伊達三郎が出演している。
…と言う訳で、書くことにも困るほど目立たない俳優だったのである。
では先ほどの疑問、螢雪次朗とはどこで師弟関係を結んだのか?
実は雪太朗の最後の出演作「鬼の詩」に雪次朗も出演していたのである。
螢雪次朗の本名は「渡辺潔」と言う。70年に高校を卒業後、劇団「アンサンブル」に入るが25歳(74年)で退団。『日本映画人名事典』によれば、その後しばらくいくつかの映画に端役で出演していたそうで、そのひとつが「鬼の詩」だったのである。調べてみると、なるほど確かに「鬼の詩」出演者の中に「渡辺潔」の名もあった。雪次朗が大映映画に出演した形跡はないので、雪太朗との接点はこの映画しか考えられないのである。
つまり「師弟関係」と言うのは、撮影で親しくなった縁で芸名を貰ったことを指すのだろう。まあ、実際のところは本人に聞かなければわからないが。
ちなみに大映時代の芸名表記は「蛍」雪太朗だったが「鬼の詩」では「螢」雪太朗になっている。「弟子」が「螢」雪次朗なのもそのためだろう。

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